こちらは旧サイトです。
2017年4月5日の時点で、サイト内部のページの多くに文字化けが発生しているのを確認しております。
文字列でのサイト内検索、カテゴリページの参照ができません。
個別記事のページ、月別ページはいまのところ正常に見ることができます。
原因は不明ですが、どうやらSQLのサーバー側設定が変更(更新)になったようで文字コードが指定できず現時点で対処不能です(なにしろ使ってるのがかなり古いMTなので)。
新しいサイトして、WordPressに移行しております。
個別の記事とカテゴリー記事に関しては、旧URLを使用した場合も新サイト側にリダイレクト(転送)されます。
※うまく転送されない場合、更新ボタンやキャッシュのクリアをお試しください
それ以前の記事も順次リダイレクト(転送)設定をする予定です。
なお、新サイトのトップURLは、以前と変わらずhttp://www.hitsuzi.jp/となっております。
※旧サイトの削除予定はありませんが、基本的に参照不可かと思います。また、コメント等の一部機能は通常動作しない可能性があります。ご了承下さい。
2017年03月31日
●「魏志倭人伝」
禾稲(かとう)・紵麻(ちょま)を種(う)え、蚕桑(さんそう)緝績(しゅうせき)し、細紵(さいちょ)・縑緜(けんめん)を出だす。
その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲(じゃく)なし。
兵は矛・楯・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭(ちくせん)はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。
現代語訳いね・いちび・麻をうえ、蚕をかい、糸をつむぎ、細紵(いちび、ほそあさの布)・縑(かとりぎぬ・きぬ)・綿を生産する。
その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲(こまがらす・かささぎ)はいない。
兵器には矛・楯・木弓をもちいる。木弓は下を短く上を長くし、竹の矢は、あるいは鉄のやじり、あるいは骨のやじりである。
明治のイザベラ・バードや幕末のオールコック、安土桃山時代のヴァリニャーノなどによる日本見聞記を見ているうちに、
最古の日本伝である魏志倭人伝にもヒツジへの言及があったような気がして、ページを繰ってみました。
ああ、あるある。牛馬虎豹鵲と並んでます。「いない」ことが特記される基準が、わかるようなわからないような。
2017年03月26日
●『唐詩選』より、「水鼓子」。
雕弓(ちょうきゅう)白羽 猟して初めて回(かえ)れば
薄夜 牛羊 復た下り来る
夢水(ぼうすい)河辺 青草合し
黒山(こくざん)峰外 陣雲開く
美しく塗った弓、白い矢羽根の矢をたばさみ、いましも猟から帰って来れば、
夕闇はあたりを包んで、牛も羊もねぐらへと、丘の上から下りて来る。
夢水の川辺には青草が一面に茂り、
黒山の峰のかなたには、戦雲も散り去った。
2017年03月21日
●切り紙のヒツジ。
干支の動物たちをモチーフにした切り紙の入門書を見かけたので、挑戦してみました。
折り紙、画用紙、はさみ、カッター、カッター用のマット、コピーした型紙。うむうむ、よし。
途中経過。見本では難しそうな部分は、適当にはしょってしまいました。アレンジということで、ご勘弁。
できたー。
調子に乗って、さらに指人形と写真立ても作りました。
写真立てには、先日買ってきた「ひつじのショーン」展の絵ハガキを。
こういう楽しみって、ちょっと時を忘れますね。お気の向くことがあれば、ぜひぜひ。
2017年03月16日
●名古屋、松坂屋美術館 「ひつじのショーン」展。
ak様から、名古屋市の松坂屋美術館にて、アードマン・アニメーションズ設立40周年記念「ひつじのショーン」展が開催される由、お知らせいただきました。ありがとうございます。
期間 2017年3月10日(金)─4月9日(日)
場所 松坂屋美術館 (松坂屋名古屋 南館7階)
開催時間 午前10時─午後7時30分 (最終日午後6時閉館。 入場は閉館の30分前まで)
というわけで、松坂屋まで。
ショーンを中心としたアードマン作品の設定スケッチや絵コンテ、パペット、セットの現物がずらりと並び、スタジオの様子やインタビューの映像が流れ、盛り上がることこの上なし。
そして出口付近に撮影可のスポットが。
会場限定のグッズも充実しています。書籍類や食器、手ぬぐい、お菓子、バッグ、もちろんぬいぐるみも。
充実しすぎていて気圧されてしまったので、絵ハガキだけ買ってまいりました。
ミュージアムショップは美術館の外なので、グッズのためだけに再訪しても良いかと。
お近くならば、ぜひ。
2017年03月12日
●モザイクタイルのヒツジ。
岐阜県多治見市にある、多治見市モザイクタイルミュージアムに行ってまいりました。
施釉磁器モザイクタイル発祥の地にして、全国一の生産量を誇る多治見市笠原町に誕生したモザイクタイルミュージアムは、タイルについての情報が何でも揃い、新たな可能性を生み出すミュージアムです。
設計は、独創的な建築で世界的な評価の高い建築家、藤森照信氏。
タイルの原料を掘り出す「粘土山」を思わせる外観は、地場産業のシンボルとして、なつかしいのに新鮮な、不思議な印象を与えます。
さて、ファンタジー世界に迷い込んだような錯覚を楽しめるこちらの博物館ですが、見どころはなんといっても最上階の常設展示フロアです。
こんな感じで空に向かってモザイクタイルのカーテンが広がってます。雨でもタイルだから平気です。
そしてこのフロアに、古い銭湯のタイル絵が展示されているのですが。
あ。ヒツジだ。
十二支を描いたものの一部だと思うのですが、お風呂につかりながらヒツジを眺めるというのは、ちょっとオツな感じです。現役だったときにめぐりあいたかったですね。
お近くならば、多治見まで、ぜひ。
2017年03月06日
●「ハーディ」のエプロンとマグカップ。
K&T様から、イギリスは湖水地方のヒツジ雑貨ブランド「ハーディ」について教えていただきました。ありがとうございます。
この地を原産とするハードウィック種をモチーフにしているとのことで、公式HPを見ると、キッチングッズからアクセサリーまで充実した品揃え。
ぽやんとした感じの表情がハードウィックっぽくて、じつにかわいいです。
「ハーディ」公式HP
とはいえ海外通販はハードルが高い。K&T様によれば楽天市場に代理店がある由。他にはと探してみると、伊東屋でも購入可能な模様。
……といった経過ののち、ポケットからハーディちゃんが顔をのぞかせてるエプロンとマグカップを買ってしまいました。
ほどよい厚みが心地よいビタミンカラーのエプロンは、春に向けて元気に動かねば!という気分を盛り上げるのに最適です。
さて、なにから春を始めましょう。
なお、公式HPでは現在見られなくなっているのですが、ハーディの貯金箱を使ったストップモーションアニメがいくつも作られているようです。
下は、そのうちのひとつで、ハーディお店から大脱走の巻を。
2017年03月02日
●北海道、美深町のふるさと納税。
・濃くてコクのある羊乳で作ったゴーダチーズ
・通常ヨーグルトよりも水っぽさがない感じで程よい酸味で口当たりが良いヨーグルト。
・「羊乳」です。かなり濃厚です。羊くさい独特の臭いはありません。当農場の羊乳製品を一度に体験できるセットです
使用される羊乳は、工房の裏手にある放牧地で自分で羊を飼い、ミルクを搾って製造しています。
チーズは自然の環境を利用してゆっくり熟成させていますので、敢えて真空パックしないで熟成状態で提供しています。
昨年暮れにK&T様から教えていただいた、北海道は上士幌町のふるさと納税。
こちらの「仔羊一頭」は憧れはしてもやはり手に余る、もう少し気軽なヒツジものがあればと思っていたら、4月の羊様から、美深町は羊乳製品や羊肉ソーセージなどが充実している旨、お知らせをいただきました。ありがとうございます!
作っておられる「松山農場」や「チーズ工房羊飼い」の公式HPでも、通販が可能な模様。
良いですねぇ、北海道……。
2017年02月26日
●『苗族民話集』より、「ラール山の白ヒツジ」
ある日、ひとりの天女がラール山の上を通りかかった。
ふと下をみると、ミャオ族の村々では、ニワトリ、アヒル、ウシなどを飼っているのに、なぜかヒツジだけは一頭も見あたらない。
そこで、産土神を呼んで尋ねてみた。産土のいうことに、
「そりゃ、ラール山があんまり高くてけわしいでのう、ヒツジがようのぼらぬ、それだけのことですわい」こう聞いた天女、ついと手をのばして浮雲をつかみ、鋏で子ヒツジの形にきりぬいた。
それをふところに入れてあたためる。
と思うまに、めぇーめぇー、ヒツジは鳴き声をあげた。
天女がそっと手をはなすと、白い子ヒツジは二頭ならんでフワリフワリと空にただよい、やがてラール山へとおりたった。(略)
おとなになった二頭のヒツジは、朝日がのぼるごとに、あたり一面に、羊毛を雪のように舞わせた。
はじめ村人は冬毛がおちるのだと思った。
ところが、ひろって見てみると、家ではなくて、なんと銀だった。
先日の「中国昔話集」に続いて、「苗族民話集」を読んでみました。
天女から贈られたヒツジは村人たちに富をもたらしましたが、富は麓からトラブルをも呼び寄せてしまいます。村人とヒツジは、対抗してたたかうのですが……?
2017年02月18日
●イザベラ・バード 「日本奥地紀行」
東京との間に蒸気船が通行しているある村のところで別の川[渡良瀬川]を渡舟で渡り終えると、あたりの風景はいっそうすばらしくなった。
(略)
動物を搾乳や運搬のために、あるいは食肉用としても利用することはないし、草地も皆無である。
それで、田園も農家の庭もこの上なく静かで、まるで死んだようである。
貧弱な一匹の犬とわずかな鶏だけが各家で飼う動物や家禽を代表しているかのようである。
私はモーモーという牛の鳴き声やメーメーという羊の鳴き声が恋しくなってくる。
(略)
道は[阿賀川の]峡谷を眼下に見ながら山裾を縫うように続いていた。
川の対岸には灰色のすばらしい崖が展開し、その先に金色の夕陽に包まれて紫色に染まる会津の巨大な峰々からなる壮大な風景が見えた。
複数の寺院の青銅の鐘の、哀調を帯びた心地よい音が静寂にたゆたい、このような牧歌的な地域に一層ふさわしいはずの牛の声と羊の声がないこと[その声を聞きたいという思い]を忘れさせてくれた。
オールコック「大君の都」、アンベール「続・絵で見る幕末日本」、「ゴンチャローフ日本渡航記」など、幕末の西洋人による日本見聞記をいくつかご紹介したことがあるのですが、
こちらはやや時代が進んで、明治11年の日本を旅した英国人旅行家、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」です。
牛と羊が鳴かないと静かすぎて寂しい、というのは、わかるようなわからないような感覚です。
訳注によると、この表現は、旧約聖書サムエル記上15章にある、
「それならば、わたしの耳にはいる、この羊の声と、わたしの聞く牛の声は、いったい、なんですか」
という一文を意識したものとのことなので、あるいはキリスト教圏を遠く離れた場所を旅する寂しさなのかもしれません。
なお、ヴィクトリア朝の女性旅行家としては、バードの他にマリアンヌ・ノースをご紹介しています。ご参考にぜひ。
2017年02月13日
●『中国昔話集』より、「ほら吹き」
昔、妻と一人娘がいるお百姓がいた。
(略)
やがて、頭のいい男に娘を嫁がせた。
この男もお百姓だったが、とてもずる賢かったし、時々人に悪ふざけがしたくなるたちでもあった。(略)
こうして、さらに何回か婿にだまされた。
最後の場合には、婿が羊を二十頭ばかり買ってよそから帰ってきたところへお百姓が来合わせ、たくさんの羊を見て婿に訊いた。「この羊はどこから手に入れたんだい」
婿が「五つの海の龍王がくれたんですよ」と答えると、お百姓は金持ちになるために自分でも欲しくなった。
そこで婿に羊をもらいに自分と一緒に行くよう言いつけた。
二人は海辺へ行った。
今度も婿はもうある計略を練ってあった。
婿はお百姓をかめに入れ、自分は桶に入って、海に乗り出した。
そして自分は桶をたたきながら、お百姓にもかめをたたけと言った。
二人はたたきながらこう唱えた。
「桶、桶、かめ
五つの海の龍王さま
羊をちょっと分けとくれ」
さらに婿が、「お父さん、もう少し強くたたいて」と言うと、この愚か者も力いっぱいたたいたものだから、カキーンと音がしてかめが割れた。
「中国昔話集」から、もうひとつ。
以前ご紹介した、ナスレディン=ホジャやバラガンサンやティル・オイレンシュピーゲルの仲間のように見えますが、さて。
2017年02月08日
●月岡芳年 「和漢獣物大合戦之図」
月岡芳年の「和漢獣物大合戦之図」の一部分を。
幕末に描かれたこの作品では、動物になぞらえた日本軍と外国軍とおぼしきものたちが戦うさまが描かれています。その外国軍のひとりに、羊のような何者かが。
2017年02月01日
●『中国昔話集』より、「松に住む毛の生えた娘」
さて忠庵という寺の門前には、枝葉を切ってもすぐにまた生えてくるふしぎな松があった。
ある日、老和尚は何日もこの松の葉が半分なくなったままになっているのに気づき、「何が食べているのだろう」と考えた。
その晩は眠らず、二つの目で、しっかり門の隙間から見張っていた。
真夜中になって月が出ると、ヒューヒューいう音とともに、木の上にふしぎなものが降りてきて、パクパクと松葉をしきりに食べだした。
全身、白い毛におおわれて、月に照らされた様子は綿羊そっくりだった。「化け物だろうか、神仙だろうか」と考えて、和尚は翌晩二更の頃、熱々の生臭料理を一卓用意させて、松の下に置いた。
白い毛のものが、神仙ならまず食べないだろうが、化け物ならがつがつ食うだろうと考えた。
真夜中近く、和尚が宝剣を構えていると、白い毛のものが空から松に降りてきた。
においを嗅ぐと、よだれを垂らして松の下を見た。
四方を眺めまわし、やおらテーブルの傍らに飛び降りるや、魚をつかみ、肉をつかんでは、がつがつ口に放り込んだ。
老和尚は庵の門を開け、宝剣を振りかざして一喝した。
「おまえは何の化け物か」
白い毛のものは、手をまっすぐにして、飛び立とうとしたが飛べなかったので、ひざまずいて言った。「化け物ではありません。邵家の嫁です」
和尚は宝剣を振りかざして、また一喝した。
「邵家の嫁なら、なぜこのような姿になったのか」
白い毛のものは恐れてぶるぶる震えながら答えた。
「邵家のふしぎな木を枯らしました。そうしたら、お姑さんが命で償え、と言ったので怖くて逃げました。
食べる物がないので松葉を食べて二月ほどしたら、体に白い毛が生えて飛べるようになりました。
山には松は少ししかないし、苦いのです。ただこの松の葉だけがとてもおいしくて、食べてもなくなりません。
「中国昔話集」から。山に入って松葉を食べて生き、空を飛べるようになった人は、普通「仙人」って呼ばれると思うんですが、このお話ではなぜか羊に。
2017年01月25日
●「ゲセル・ハーン物語 モンゴル英雄叙事詩」
ゲセルは赤毛の神馬に乗って、魔王の城下まで来ると、城をとくと眺めて、それがいかにも高くて堅固だと知った。
彼は城門を探しあぐねて、ついに赤毛の神馬に命じた。「赤毛の神馬よ、わしを乗せたまま城壁を飛び越して、城内へ金のシャー[羊の踝の骨を磨いて作った玩具。四面体を成し、各面に金属を流し込んであり、抛り投げて出た目を競う]をほうり投げたようにぴたりと着地せよ。
(略)ゲセルは城外三十里の処に走り出た後、左手で馬のたてがみを手綱と共にしっかりつかみ、両足で馬の腹をきつく締め、右手で馬の尻を三回鞭打つと、大呼しながら駆け出した。
鏑矢の届くほどの近くまで来るや、“ハイドー、ハイドー! 進め、進め!”と連呼して、手綱をここぞとばかりに締めた。
すると赤毛の神馬が空中に駆け上がり、城内へ金のシャーが落ちたときのようなチャリンという音を立てて見事着地した。
モンゴルの長篇英雄叙事詩「ゲセル・ハーン物語」です。
英雄が敵地を攻略するにあたって、自らを羊の骨のサイコロにたとえる場面が。
時々お話している、羊の距骨を使った玩具(ナックルボーン、アストラガロス、シャガイ)と同じものかと思うのですが、金をあしらったりもするのでしょうか。
2017年01月19日
●『子不語』より、「地の果て」
保定(河北省)の督標守備の李昌明がにわかに死んだ。
(略)「わしの魂は飄々と風のまにまに東南方へ向かった。
やがて天はようやく明るくなり、砂塵もやや収まった。東北隅を見下ろすと、黄河が一筋流れている。
河岸に牧羊のものが三人いる。羊の色は白く肥え太って馬のようだ。
わしは牧羊のものに、わが家はどの辺であろうか、と聞いてみたが、答えなかった。
それからまた行くこと数十里、遠くに宮殿がぼんやりと見えて来た。
瓦はみな黄色い瑠璃でできていて、帝王の居所さながらである。近づいてみると、二人の男が靴、帽子、袍、帯などの装束をして殿外に立っている。
世間の芝居に出てくる高力士や童貫のような出で立ちであった。
殿堂の前には黄金の扁額があって「地窮宮」の三字が書いてあった。(略)
やや明るくなって殿内の鐘が鳴ったときには、風も霜も収まっていた。
また一人のものが出て来て言った。
「昨夜留め置いたものは原籍の地に返せ」
わしは例の二人に連れられて出かけることになった。
元のところで牧羊者にまたも出会った。男たちはわしを彼らに引き渡した。
「命によりこの者をお前らにあずける。家に連れ戻せ。我らは帰るからな」
先日「廟中の怪」をご紹介した『子不語』から、もうひとつ。なんだか楽しそうな臨死体験です。
2017年01月12日
●『子不語』より、「廟中の怪」
一つの廟があって、関羽、張飛、劉備の三神像がまつられてあった。
廟門は長い年月鉄鎖でとざされていて、春秋の祭祀のとき鍵をあけるのである。
伝えるところでは中に怪物がいると言う。
香火を供える僧もここには敢えて住まなくなった。ある日、陜西の客商が羊千頭を買い求めたが、日暮れてから泊まるところがないので、宿を廟中に求めた。
住民は鎖をあけてこれを入れてやり、事情を離してやった。
羊商人は腕力には自信がある。「心配ない」と行って扉をあけて入った。
群羊を廊下に放し飼いにし、自分は羊鞭を持ち、燭をとって寝についたが、心中こわくないわけはなかった。三更になっても目が冴えて眠れない。
突如、神座の下で豁然たる音がして、何物かが躍り出た。
羊商人は蝋燭の光でこれを見た。
それは体長七、八尺、頭面は人の形をそなえ、両眼は漆黒ながら光を放ち、クルミほどの大きさである。
首より下は体じゅう緑の毛で覆われふさふさとして蓑衣のよう。
それが羊商人に向かって睨みかつ匂いを嗅ぐのであった。
以前、「糊をなめる子羊」をご紹介している、袁枚の怪談集『子不語』から、「廟中の怪」を。
お話では、羊商人は逃げきったんですが羊千頭がどうなったのか書いてないのです。気になる。
袁枚は、「随園食単」もご紹介しています。ご参考にぜひ。
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もし気に入っていただけたようなら、これ以前のひつじも見てやってください。 (・ェ・@ ノシ