戦後フランスにおける広告デザインの巨匠、レイモン・サヴィニャックによる、TRECA社の広告です。マットレスの会社なので、羊毛(というか羊)とスプリングが強調されています。
ミレー 「羊飼いの少女と羊の群れ」
少女の羊飼いを描いたジャン=フランソワ・ミレーの絵は、「羊飼いの少女」とエッチングのものをご紹介していますが、こちらは水彩です。季節のせいか、少女の手仕事も、編みものではなく糸紡ぎの模様。
「ひつじ探偵団」
「モップル」 彼女は小声で言ったが、リーダーの牡羊みたいに決然としていた。 「ゼラニウムを食べなさい。とにかく食べて、ゼラニウムに穴をこしらえてちょうだい。早く」 モップルはグレンキル一、早食いだった。
(略)
「食えよ」 オテロは歯を食いしばって、うなった。
まもなく、今までゼラニウムが植わっていた場所は砂漠状態となった。その砂漠の向こうに、テーブルを前にすわっているベスとレベッカが見えた。内側からは、三個の羊の頭がプランターに植わっているように見えたに違いない。幸いにも、二人の女のどちらも、窓の外を見ようとはしなかった。本文よりひつじファン必読! むくむく可愛いひつじ小説
つぶらな瞳、ふわふわの毛、そして天才的な推理力。見るものを虜にするカリスマひつじのメイプルが、仲間のひつじとともに難事件に挑む。ドイツでベストセラーとなったとってもキュートな物語。最新刊情報より
早川書房から出たばかりの、レオニー・スヴァンの小説です。上は、窓辺のプランターを荒らしながら事件捜査(盗み聞き)をする主人公たち。
それにしても、「ひつじファン」! 「ひつじ小説」! それは一定の経済効果をもたらしうるものなのか、気になってしかたがありません。
ちなみに、英訳版のタイトルは、「Three Bags Full」。マザーグースの「バァ、バァ、ブラックシープ」からとられたものと思われます。主人公のミス・メイプルは、クリスティのミス・マープルがモデル(?)らしいので、タイトルも洒落たのですね。でも、日本語版の「ひつじ探偵団」のほうが、じつは小説の内容に近いような気がします。
なお、単行本の帯についた応募券を送るとひつじ柄トートバッグが10名様にあたるキャンペーンが、2007年2月28日まで行われているようです。
こちらの情報は、カーター卿さんからいただきました。ありがとうございますー!
『平林美紀 Photo exhibition』
ひつじ・羊・ヒツジ…。
どこまでも羊づくしの写真展。
数えても眠くならない。
この面白さは、まさにヒツジエンターテイメント。
大草原のひつじ達に癒され放題。
写真集もポストカードブックも大人気の
平林美紀さんの羊の写真展。
写真集には載せきれなかった秘蔵作品も展示します!
■熱風書房・壁ギャラリー
■1/20(土)?2/2(金)まで
■10:00?20:00(最終日?19:00)
■入場無料
おとついご紹介した平林美紀ひつじ写真集「sheep island」発売記念写真展、『平林美紀 Photo exhibition』が、外苑前の熱風書房で開かれています。
お近くのかたはぜひともいらしてくださいませ。そして癒され放題に。
こちらの情報は、あろうことか平林美紀さまご本人からいただきました。正確には、ご連絡をとる手段があることを知ったひつじnewsがファンレターを出した、が真相ですが。思い切ってみるものですねぇ。平林さま、ありがとうございました。
捜神記 「墳羊」
李桓子が井戸を掘っていると、土缶(がめ)のような物が出て来た。なかには羊がはいっている。そこで人をやって仲尼に尋ねさせた。
「わしは井戸を掘って犬を手に入れたが、いったいどうしたわけだろう」
すると仲尼は、
「私の知識から判断すれば、それは羊です。木石の精怪は夔とか魍魎(※実際の表記は虫偏。引用者注)などと申し、水中の精怪は竜とか罔象などと申し、土中の精怪は墳羊と申すのだと聞いております」
と答えた。
※注 李桓子 春秋時代の魯の大夫
仲尼 孔子の字
「消えた羊」に続いて、「捜神記」からもうひとつ。これだけだと何の話だかわかりませんが、史記の孔子世家によると、李桓子によるいやがらせを孔子が撃退したときのエピソードのようです。以前ご紹介した和漢三才図会でもとりあげられています。
「sheep island」と「空とぶヒツジ in sheep island」
Hachiさまから、羊写真集と、写真集からセレクトされたポストカードブックのタレコミをいただきました。いや、いただいたのはずいぶん前なんですが、今日やっと現物を見られまして。遅れて申し訳ありません。
というわけで、平林 美紀の羊オンリー写真集です。めくってもめくっても羊です。断尾前の子羊の長いしっぽ、一面の顔(または尻)、牧羊犬の活躍ぶり、そしてなんといっても、なぜか跳ね飛ぶ羊たち。なぜ彼らはここまで飛んだのか。きっと誰もが気になるだろうに、説明が一切ないのも、こちらの本の魅力かも。
エジプト美術の羊
リーダーの雄羊にひきいられて歩く羊たちは、ナイル川の氾濫が残していった泥にまかれた穀物の種をしっかりと踏みかためた。おそらく農業におけるこの役割と、そして生殖力が旺盛だというもっと明白な理由から、雄羊は各地で豊穣の象徴とされ、いろいろな雄羊の神が非常に古くから信仰されていた。中でも重視されていたのが、ヘラクレオポリスのヘリシェフ、メンデスの雄羊神、そしてなんといってもエスナをはじめとする各地で信仰されていた偉大な雄羊のクヌムである。これらの神々にささげられた雄羊はそれぞれの信仰の中心地でミイラにされたが、そういったミイラを描いた絵画は早くも第一王朝のころに現れている。雄羊が太陽と結びつけられたのはわりと早く、新王国時代には最高神アメンも雄羊の姿をとっていた。
エジプト美術に登場する雄羊には二種類あり、種類によってどの神を象徴しているかがわかるようになっていた。最初にエジプトで飼育されたのはオヴィス・ロンギペスという、がんじょうな体格と波形で水平にのびた長い角をもつ種である。クヌムなどの比較的初期の雄羊神や、太陽に関連した姿を描いたものに、この種の羊が使われている。図1はコンスラーネプの葬祭パピルスに、聖なる雄羊として描かれたオヴィス・ロンギペスである。 (略) 『冥界にあるものの書』では、古い大地の神タテネンを、冠をつけた四頭の聖なる雄羊の姿で描いている(図2)が、この雄羊はヒエログリフと同じ形である。
(略)
しかし、このロンギペス種は、後には曲がった角をもつオヴィス・プラティラにとってかわられた。アメン神を描いた絵画などに登場するのはこちらの種である。図3は、カイロ・エジプト博物館にある彩色石灰岩の断片で、下向きの角とほっそりした体格―ロンギペス種よりかなりやせている―をもったプラティラ種の雄羊が描かれ、その上にはいくつかのヒエログリフが書きこまれている。このアメンの雄羊のうつぶせになった姿勢も構図としては独特で、ルクソールのカルナク神殿複合体の、雄羊頭をしたクリオスフィンクスがならぶ参道には、このポーズのアメン神が描かれている。
古代エジプト美術理解のための手引き書から、「雄羊」をひいてみました。
エジプトのひつじイメージについては、ゾロアスター教やシュメル文明のお話をしたときに、ちょっとずつ触れてます。アメン神のお話は単独でしてますね。あと、アンモナイトのお話も。
捜神記の「消えた羊」
漢のころ、斉国に梁文という男がいて、道術を好み、家に祠を建てた。祠には三、四間の部屋をつくり、神座には黒い帳を張りめぐらして、いつもその前に坐っていた。
こうして十年あまりたつうち、文が祭りをしていると、帳のなかからとつぜん人声が聞こえた。自分で高山君と名のり、供物をさかんに食べるが、病気平癒を祈願すれば必ず効果がある。文はしごくまじめに奉仕していた。
それからまた数年たったある日、文は帳のなかにはいり込む機会を得た。神は酒に酔っていたところで、文が尊顔を拝したいと言うと、
「手を出してみろ」
と言う。そこで、文が帳の中に手をさし入れると、その手が神のあごに触れた。おそろしく長いあご鬚が生えている。文はその鬚を少しずつ手にからませてから、さっと手を引っこめた。すると羊の鳴き声が聞こえたので、いあわせた人びともびっくりして立ち上がり、文に力を貸して、神を帳の外へ引き出した。そして見れば、袁公路の家の羊だったのである。七、八年前に逃げたきり、行方が知れなくなっていたもので、それを殺したら、怪異も消滅してしまった。
・・・どこからどうツッコんだらいいんでしょう、これは。
「捜神記」は、中国六朝時代の志怪小説です。以前ご紹介した、「列仙伝」の葛由や「神仙伝」の左慈のエピソードもありますが、今回はこちらを。
シャルル=エミール・ジャック 「羊飼いの少女」
「羊飼いと羊の群」、「羊飼い」、「夕暮れの羊飼いと羊」や、「森の中の羊の群れ」をご紹介している、シャルル=エミール・ジャックの「羊飼いの少女」です。ジャックはもとは版画家で、そのためか明暗の表現に特徴があります。こちらはその典型になるでしょうか。
道産ラム肉全国区に 最高級、人気急上昇 繁殖技術や販路確立へ
道内の産学官が連携し、道産サフォーク種のラム肉を高級食材として全国に売り込むプロジェクトに取り組んでいる。近年、道内外の一流料理店やホテルがこぞって道産ラム肉を使い始めたが、供給が追いつかないのが実情。そこで、二○一○年をめどに繁殖技術や販路などを確立し、全国区となりながら輸入肉に頼っているジンギスカン料理とはひと味違った、高級路線の「北海道ブランド」に育てる狙いだ。
世界的にサフォーク種のラム肉は牛肉に勝る高級食材。道内でも、士別や焼尻島産などは最高級と評されるが、出荷量は限られ、一流料理店はフランス産などを取り寄せているのが現状だ。
道経済部も「道産ラム肉は北海道を代表する逸品になりうる」と注目していた。そこに、滝川市の羊農場「にいやまふぁーむ」(新山敏夫代表)から経営相談を持ち掛けられ、昨年夏からブランド化の動きが本格化した。
建設業を営む新山代表は○四年から、経営多角化のためサフォークの飼育を始め、現在、約百五十匹を育てている。
新山代表は「ストレスを与えないことが大事」と考え、羊小屋にクラシック音楽を流し、わらの下に薫炭を敷いた清潔な環境を整えた。また、数種類の酢を混ぜた飲料水を与えるなど試行錯誤を重ねた結果、肉質が柔らかく特有の臭みがないラム肉の生産に成功。評判は口コミで広がり、道内外から注文が殺到、現在一キロ三千円で取引されている。
一方で、課題も浮き彫りに。繁殖用の親羊の入手が難しく自然繁殖に頼るため、昨年の出荷は六十匹だけ。注文をさばけず、本来は生後八カ月で出荷するのを四カ月に前倒しするなど、採算が取れない状況だ。新山代表は「育て方が分かっても、売り方などその先のことは分からない。このままでは事業が成り立たない」との危機感を持っていた。
現在、道は道内企業が出資する北海道科学技術総合振興センター(ノーステック財団)とともに、ラム肉の需要動向や流通経路などの調査を行っている。北洋銀行も独自の中小企業支援の基金を通じ、資金面で協力する。また、帯広畜産大や道立畜産試験場(十勝管内新得町)などに、成功率が低い羊の人工授精や効率的な自然繁殖の研究を要請しており、増殖技術の確立も目指す。
道内の羊農家は約二百戸、飼育匹数は約六千匹。一九六○年代の全盛期と比較すると農家数は0・2%、匹数は2%に激減。牛や豚に比べ繁殖や飼育が難しく、オーストラリア産などの安価なラム肉が大量に流通しているためだ。
道商業経済交流課は「事業として成り立つめどがつけば、他の生産者も応用でき、全道規模でサフォーク種ラム肉の安定供給の道が開ける」としている。
ひつじグッズよりどり
災害時に本当に必要な防災グッズを、羊のお腹に収納しています。
サイズ 本体:530×280×120mm
……なんかゴツゴツしたクッションになりそうですが、いつも隣にヒツジ(の防災バッグ)という着目点は見事かも。ラジオ、ライトがないMセットもあるようです。 |
ナチュラル素材にぴったりな、やさしいデザイン。お客様を温かくお迎えします。ヤシの実の内側の皮を編んで作ってあります。
Size:H40x67cm
玄関先にもやっぱりヒツジ。 |
ひつじさんのチャイルドチェアーです キッズのちいさな体を優しく包み込んでくれるような優しい木製のチェアー、、 クルリとしたラインがポイントです^^
サイズ:約横幅33cm 高さ50cm 座面までの高さ29cm
……ひつじ? |
西條八十 「トミノの地獄」
「トミノの地獄」
姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、可愛いトミノは寶玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が氣にかかる。
叩け叩きやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内(あない)をたのむ、金の羊に、鶯に。
革の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、無間地獄の旅仕度。
春が來て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ鶯、林の雨に妹戀しと聲かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて來てたもれ、針の御山の留針を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。
先日、「羊」をご紹介した西條八十を、もうひとつ。詩集「砂金」におさめられた「トミノの地獄」です。声に出してフシつけて読むと、気持ち良いですよ?(←すこしいわくのある詩らしいので音読はやめておいた方が無難かも。kura さんご指摘ありがとうございました)
石仏のひつじたち
羅漢場は人間が人間を見つめるところである。冷たい石であるが撫でるとホカホカと温かく、どれもなかなかの「ひょうきんもの」である。
亥と遊ぶ羅漢はどうしてもみつからなかったが、他の十二支は揃っていた。全国に羅漢場は数多くあるが、十二支の揃っているのは川越をおいて他にないようである。
「石佛十二支・神獣・神使」
狛犬、狐、猫、猿、象まで、あらゆる石仏の動物たちが集められたこちらの本、少数ながらひつじもひそんでました。上は川越喜多院の五百羅漢、下は東京都港区の願生寺です。森山隆平著。
ミレーと羊飼いテーマ
バルビゾンは、彼の故郷の人々よりも、もっと力強い、特徴的人物―羊飼い―をミレーにもたらした。
羊飼いは、田畑の耕作や他の働きをする農家の人々とは異なり、得体のしれない、神秘的な存在である。彼は一人で暮らし、番犬と羊以外に友もいない。サン=マルタンの復活祭の時には、車輪のついたあばら屋に入り、羊たちの番をして星空の下で眠り込む。冬には、少しでも多くの牧草を見つけるため、じめじめした湿地にも入って行く。春になると、子羊を産もうとしている牝羊を助け、産まれた子羊の面倒をみる。彼は羊の群れの案内人であり、友人であり、そして医者でもある。その上、さらに注意深い自然の観察者である。彼は星の運行を調べ、天空を探り、時刻を当てる。大気の全生命と日常的に慣れ親しんでいる。
この隠者にも似た羊飼いが、ミレーの興味をひいた。
「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」や「羊飼いの少女」などをご紹介した、ジャン=フランソワ・ミレーの伝記から、ミレーと「羊飼い」テーマとの関わりについて。「カルパチアの城」といい、「星」といい、19世紀フランスの羊飼いイメージは、なんだか奥が深そうです。