「キリストの降誕」をご紹介したことのある、ドメニコ・ギルランダイオによる聖母マリアの生涯を描いた連作から、「神殿から追い出されるヨアキム」です。サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂。
後に聖母の父親となるヨアキムが、子に恵まれないことを理由に神殿への供物を拒否される場面です。絶望したヨアキムは荒野で羊飼いたちと暮らすようになるのですが、そのあたりは、以前ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画でお話したことがありますね。
ギルランダイオ 「神殿から追い出されるヨアキム」
ビル・ピート 「子羊のぼうけん」
ながいこと ちびは 絶壁のうえにたったまま はるか下の谷間を みつめていたよ。
「なんて ひろいんだろう」と ちびはおもった。
「ゴツゴツした岩も けわしい崖もないんだから ぼくだって 安心してくらせるな。
あそこなら 角でころんだって 鼻にコブをつくるくらいだもん」「子羊のぼうけん」
ビル・ピートの絵本です。
ロッキー山脈に棲む野生羊ビッグホーンの子羊ビュフォードは、育ちすぎた角のために岩山で暮らしていくことができなくなります。群れと離れて、新天地を探そうとするビュフォードですが……?
ビッグホーンに関しては、「シートン動物誌」と羊の祖先たちについてお話をしています。
クリスティーナ・ロセッティ 「シング・ソング童謡集」
On the grassy banks
Lambkins at their pranks;
Woolly sisters, woolly brothers,
Jumping off their feet;
While their woolly mothers
Watch by them and bleat.
くさの どてで
ちいさなこひつじたちが ふざけている
やわらかいけの しまいたち やわらかいけの きょうだいたちが
とびはねている
やわらかいけの おかあさんたちが
そばで みまもり メーとないている
「シング・ソング童謡集―クリスティーナ・ロセッティSING‐SONG A NURSERY‐RHYME BOOK訳詩集」
「White Sheep」をご紹介したことのある、クリスティーナ・ロセッティの童謡です。
ブリューゲル 「春」
《春》において、ブリューゲルは種蒔き、羊の毛刈り、耕地、アーケードの棚にブドウの蔓をはわせる作業など種々の労働を描く一方、小川のほとりで音楽を奏でながら愛を語りあうといった季節の楽しみをも描き込んでいる。
ピーテル・ブリューゲル下絵の版画、「春」。画面中景で羊の毛刈りが行われています。
ブリューゲル下絵の版画は、「良い羊飼いのたとえ」をご紹介しています。
「列子」天瑞篇
また羊の肝は「地皋(ちこう)」すなわち泥に変化し、馬の血は「転鄰(てんりん)」すなわち狐火となり、人の血は「野火」すなわち鬼火となる。
鷂(たか)は鸇(はやぶさ)となり、鸇(はやぶさ)は布穀(ふこく)〔よぶこ鳥〕となり、布穀は久しくたつとまた鷂となる。
また燕は蛤となり、田鼠(もぐら)は鶉となり、くさった瓜は魚となり、古い韭は「莧(けん)」すなわち藺草(いぐさ)となり、年老いた羭(くろひつじ)は猨(さる)となり、魚の卵は虫となる。
「列子」冒頭の天瑞篇、『万物はみな「機」より出て「機」に入り、変化転生する』より。
野ざらしの髑髏と向かいあって万物の流転について思索する場面なのですが、そのたとえのなかに聞き捨てならない一言が。羊が老いるとサルに……そうか、サルに。
屠羊之肆(とようのし)
「屠羊説は居處(きょしょ)卑賤なるも、陳義甚だ高し。子其れ我が為に之を延くに三旌の位(さんせいのくらい)を以てせよ」と。
屠羊説曰く、「夫れ三旌の位は、吾其の屠羊の肆より貴きを知るなり。萬鍾の祿(ばんしょうのろく)は、吾其の屠羊の利より富むを知るなり。
然れども豈以て爵祿を貪りて、吾が君をして妄施の名有らしむ可けんや。説敢て當らず。
願はくは復た吾が屠羊の肆に反らんことを」と。
遂に受けざるなり。
通釈
(王は)「屠羊説は、卑しい身分でありながら、その述べている義理は傑出している。そなたは、私のために、彼に三公の位を与えて召し出してくれ」
と頼んだ。しかし、屠羊説は、
「三公の位をいうものは、私もそれが羊を屠殺する店よりも貴いことを知っています。またその万鍾の俸禄が羊屠殺業の利益よりも多額であることも知っています。
しかし、それだからといって、私が爵位や俸禄を欲張り取って、我が大君にみだりに賞を与えたという悪名を被らせてよいものでしょうか。私はけっして三公の位の名誉に当たりません。
どうか私を羊屠殺の店に帰らせてください」
と言って、またまた辞退し、ついになんの恩賞も受けなかったのである。「全釈漢文大系17 荘子 下」
「荘子」譲王篇より、「ふさわしい分際」を意味する故事成語「屠羊之肆(屠羊説之義)」です。
敗戦による楚王の亡命に付き従った羊屠殺人の説は、王の復帰にともなって恩賞を受けることになりますが、元の職に戻れたことこそが賞である、国都の防衛や回復に働いたわけでもない、と辞退をくりかえし、元の肆(店)に戻る、というお話。
「荘子」からは、「読書亡羊」と、逍遙遊篇より羊角のお話をしています。
デューラー 「多くの動物のいる聖母子」
アルブレヒト・デューラーの「多くの動物のいる聖母子」です。アルベルティーナ版画素描館蔵。画面右手奥で、羊飼いたちが天使のお告げを聞いています。
デューラーは、「黙示録」より「子羊の崇拝」をご紹介しています。
群羊を駆りて猛虎を攻む
且つ夫れ従を為す者は、以て群羊を駆つて猛虎を攻むるに異なる無し也。
夫れ虎の羊における、格せざるや明らかなり矣。
今大王猛虎に与せずして、群羊に与す。
ひそかにおもへらく、大王の計過てり矣と。
通釈
また、そもそも合従を〔して、秦に敵対〕するということは、群羊を駆り立てて猛虎に攻めかかるのと異なるところがありません。
虎と羊とでは勝負にならないことは明らかです。
今、大王は猛虎と手を結ばずして群羊と仲間になっておいでです。
ひそかに、大王のはかりごとは過っておられると、考えております。
戦国策・楚策から、弱い者を集めて強者に対抗するという意味の故事成語、「群羊を駆りて猛虎を攻む」。
縦横家である張儀が、楚王に対して連衡策を説く場面で使われる表現です。
戦国策からは、他に「亡羊補牢」と、「中山君、都の士大夫を饗す」をご紹介しています。
ヨルダーンス 「聖アンナ、若い洗礼者ヨハネおよびその両親といる聖家族」
17世紀フランドルのヤーコブ・ヨルダーンスによる、「聖アンナ、若い洗礼者ヨハネおよびその両親といる聖家族」です。メトロポリタン美術館蔵。
羊を連れた洗礼者ヨハネのいる聖家族像としては、他にパルマ・イル・ヴェッキオ「聖家族と聖ヨハネ、聖女マグダラのマリア」やスルバラン「幼児洗者聖ヨハネのいる聖母子像」などをご紹介しています。
「世界を創った男 チンギス・ハン」
斥候は絶望的な声を上げた。人馬はともかく、荷車や羊群の通過は不能ということだ。それを知った瞬間、テムジンは決断した。
「構わぬ、突っ切れ」
(略)
長く延びた集団に命令が伝わると、狂気のような動きがはじまった。女性も老人も、牛車を出て馬に乗った。妻のボルテも、一歳九ヶ月の長男を背負い七ヶ月の次男を胸に抱いて馬に乗った。
干肉や水袋が馬の背に移された。疲れた牛は外し、元気な牛に付け替えた。何台かの荷車が捨てられ、何百頭の羊が置き去りにされた。
(略)
「遅れずに付いて来い。疲れた者は左に寄り、追い抜く者は右を進め、毀れた車は捨てよ、遅れる羊は残せ、何物をも惜しむな、今は時こそ宝ぞ」
テムジンの言葉は、八人四組の親衛隊員によって後方の百人隊長、十人隊長、羊を追う隷属氏族の頭目らへと伝えられた。
堺屋太一氏のチンギス・ハンもの。第二巻より、それまでの盟友にして将来の敵であるジャムカと、ついに袂を分かつ場面を。
一族を引き連れ、背後にジャムカの追撃を警戒しつつ敵性氏族の宿営を突破する、ただでさえ手に汗握る場面に、ぼろぼろと取り残されていく羊たちの描写の数々がもう。
「プルターク英雄伝」より「アレキサンダー」
あたかもそのときクライタスは神に犠牲を献げようとしていたが、しかしただちに祭式を中止し、献祭の準備としてすでに神酒をそそがれた三頭の羊を曳きながら伺候した。
アレキサンダーはその趣を聞いて、例のアリスタンダーとラシディーモニア人クリオマンティスとの二人の神占者にこれを語り、クライタスが献祭を中止したことの意味を尋ねた。
二人の判断が凶兆と出たのみならず、彼自身も三日前、クライタスがパーミーニオの死んだ三人の子のそばに悲嘆して坐っている姿を夢に見たので、彼は神占者両人にたいし至急クライタスのために無事息災を祈って神に犠牲を捧ぐることを命じた。
プルタークによるアレクサンドロス大王の伝記から。
その政策を批判しつづけた末、ついに王自身によって殺害されるにいたった武将クレイトスの、最後の伺候の場面です。
アレクサンドロス関係では、リシマコス銀貨をご紹介しています。
「ターシャ・テューダーのクリスマス」
彼女のジンジャーブレッドは、ひとつひとつが芸術作品だ。
オーナメントをつくるとき、ターシャはわたしたちのように抜き型を使ったりはしない。
長年絵を描きつづけてきたおかげで、なじみの動物たちの形を自由に、ときにはほとんど生地を見ずに切りぬくことができる。
ターシャ・テューダーのクリスマス写真集です。
上の引用は、森から切り出してきたツリーに飾るために、ジンジャーブレッドを焼くところ。
ターシャ・テューダーは、ずいぶん前に、「ひつじのリンジー」をご紹介しています。
ミレー 「杖に倚る羊飼いの女」
先日に続いて、ボストン美術館のジャン=フランソワ・ミレーを。「杖に倚る羊飼いの女」です。
ミレーの描く美しい女羊飼いたちについては、これまでに、「二人の羊飼いの少女」、「小さな羊飼い」、「家路につく羊飼い」、「羊飼いの少女」などをご紹介しています。
ミレー 「森のはずれの羊飼いと羊の群れ、たそがれ」
ジャン=フランソワ・ミレーの「森のはずれの羊飼いと羊の群れ、たそがれ」です。ボストン美術館蔵。
ミレーについては、ずいぶん繰り返しお話していますので、こちらでまとめてぜひ。
クヌム神小像
クヌム神小像
銀 鋳造、彫刻 高9.8 幅3
末期王朝時代、前664―323年頃
エレファンティン「ルーブル美術館所蔵古代エジプト展」カタログ
昨日のカルトナージュ棺に続いて、古代エジプトです。
クヌム神については、「古代エジプト神々大百科」と、角の話でご紹介しています。