緑釉羊形器 後漢 高さ17.1? 出光美術館
緑釉が美しく銀化している。
銀化は緑釉が大気と水分の溶蝕を受けて生じるため、湿り気を帯びた墓からの出土品に多いとされる。
緑釉羊形器
火の神アグニ
太陽、稲妻、供儀の火
ヴェーダ時代の火の神アグニは、通常の神々とは異なる存在で、ほかのすべての神々にとっては媒介者、人間たちにとっては祭儀の組織者であり、供儀の火でもある。
(略)
アグニはそれぞれに髭をたくわえた人間の顔を3つそなえた姿で表される。
一方の手に数珠を、もう一方の手に壺をもち、しばしばヴァーハナの牡羊に乗っている。
〔ヴァーハナとは神々の「乗り物」の意。ブラフマーは鵞鳥、ヴィシュヌはガルダ鳥、シヴァは牡牛、インドラは象をヴァーハナとする〕。
ロエロンド・サベリー 「廃墟に群れる家畜」
1604年サベリーはプラハに住み、皇帝ルドルフ2世に雇われる。
彼は素晴らしいチロルの遺跡を発見する。
皇帝の所有する動物園では、好んで外国の動物を描く勉強をした。「黄金の17世紀フランドル絵画展」カタログ
ルドルフ2世の宮廷画家ロエロンド・サベリーによる、「廃墟に群れる家畜」です。
レンブラント(工房) 「イサクの犠牲」
レンブラント・ファン・レインの「イサクの犠牲」です。アルテ・ピナコテーク蔵。
同じ主題の絵がエルミタージュ美術館にもあり、しかもご紹介したほうは弟子による工房作らしいのですが、羊が描かれていないところが(ひつじnews的には)決定的に違うので、あえてこちらを。
「イサクの犠牲」テーマについては、関連作品はこちらで。旧約聖書、創世記における該当部分は、こちらでご紹介しています。
東山動植物園のドールシープ
行楽シーズンになりました。暑くもなく寒くもなく、日差しは柔らかく雨も降らず、こんな日は動物園に行くしかありません。
というわけで、名古屋市の東山動植物園に行ってまいりました。
今回の目的は、これです。
野生ヒツジの一種。
アラスカの高地に小さな群れをつくって生活していて、急な崖や岩山を駆けることが得意。
オスの角はメスよりも太くて立派で1mを越すものもある。
繁殖期のオス同士は角を突き合う「ホーニング」をする。ドールシープ舎前解説板より
北アメリカの山岳地帯に棲む野生ヒツジです。ビッグホーンのお話なら時々しているのですが、ドールシープは比べるとかなり小型のようですね。
日本では、現在、この東山動植物園にすむ1998年生まれのラン丸くんだけが唯一の個体とのことで、
一頭のためにはずいぶん立派に見えるドールシープ舎の前でしばらくじっとしていたのですが、なんの気配もせず、なぜか人通りも少なく、心細くなってきたころ、
そっと出てきてくれました。やっぱりもう良いトシだし、表に出るのもおっくうなんでしょうか。
せっかくなので、もう一枚。
さらにせっかくなので、こども動物園(ふれあい広場)にいる普通のヒツジにも会っていきましょう。
東山動植物園では、このほか、植物園の温室でタカワラビを見ることができます。ご縁がありましたら、ぜひ。
『子不語』より「糊をなめる子羊〔羊骨怪〕」
杭州人、李元珪(げんけい)は沛県(江蘇省)の韓公の事務所に間借りし、文書のことを扱っていた。
たまたま郷里の親戚のものが杭州に帰ることになり、李は家への便りをこれに託することにした。
家童に命じて糊をつくらせ封をした。
家童は碗の中で糊をこねあげたが、李はそれを使いおわると、残りを机の上においた。
夜、ぴちゃぴちゃと音がする。鼠が来て盗み食いをしているものと思った。
帳を掲げて様子を窺うと、灯のもとに一匹の子羊がいて、その丈二寸ばかりである。
全身白毛で、糊を食い尽くすと去って行った。李は眼がどうかしたのかと訝った。
次の日とくに糊を作って待っていた。夜になると、子羊がまたやって来た。
そこでよくよく注意してどこに去って行くのかを見ていると、窓外の木の下まで行って消えた。
次の日、主人に話して樹下を掘ってみたら、羊の骨が一本出て来た。
骨の穴の中に糊がまだ残っていた。
とり出して焼いたところ、その後は、妖怪は出なくなった。
清朝の詩人袁枚による『子不語』から、「糊をなめる子羊」です。
中国の怪異譚は、これまでに、「唐代伝奇集」や「捜神記」などから、それぞれ数話ご紹介しています。
「アルベルト大公の肖像」
画家は、赤一色のバックに右手を剣の柄においた、大公の半身肖像画を描いた。
このような肖像画の型は17世紀の初期の伝統的な肖像画に従ったものである。「黄金の17世紀フランドル絵画展」カタログ
フェリペ4世、カルロス2世に続いて、金羊毛騎士団勲章をつけた人物をもうひとりご紹介。作者不詳ながら、17世紀スペイン領ネーデルランド総督アルベルト大公の肖像画です。
セバスティアン・エレーラ・バルヌエボ 「幼年時代のカルロス2世の肖像」
カルロス2世(1661―1700)は1665年にスペイン国王に即位した。
フェリーペ4世とマリアナ・アウストリアの息子で、彼が成人するまでは母マリアナが摂政を務めた。
幼い国王は金羊毛徽章をつけ、ハプスブルク家の紋章に描かれている獅子と鷲に囲まれている。「エルミタージュ美術館展 16―19世紀スペイン絵画」カタログ
「フェリペ4世の肖像」に続いて、宮廷画家セバスティアン・エレーラ・バルヌエボによって描かれた、その息子にしてスペイン・ハプスブルク最後の国王カルロス2世の肖像を。
ル・プランス 「ロシアの生活情景」
ル・プランス, ジャン=バティスト
ブーシェ門下だが、オランダ滞在中にレンブラントの作品に接して、その感化を受けた。
1758年ペテルブルグに赴き、レンブラント様式を伝えている。
数年間のロシア滞在ののち、フランスに戻り、ロシアの民衆を題材とする一連の版画を制作し、ロシア趣味をパリに普及させた。
彼の作品を下絵とするタピスリーの連作「ロシアの遊び」が、ボーヴェーの王立織物工場で織られた。「エルミタージュ美術館展 フランス バロック・ロココ絵画」カタログ
タピスリーの連作『ロシアの遊び』より「手相占い」をご紹介している、ジャン=バティスト・ル・プランスの「ロシアの生活情景」です。優雅でエキゾチックな、幻想のロシアですね。
師匠のブーシェについては、 「フルートのレッスン」と「雅な羊飼い」をご紹介しています。
ベラスケス工房 「フェリペ4世の肖像」
1630年代末に、親戚にあたるウィーンのハプスブルク家に贈るための、フェリーペ4世とブルボンのイサベルの対の肖像画が制作された。
現在はウィーンの美術史美術館に所蔵されている2枚はともに膝から上の肖像画であるが、これはベラスケスが描いたのちに、下部が切り落とされたものと考えられている。
エルミタージュ所蔵の本作品は、ベラスケス本人が描いた国王の肖像画を、工房で繰り返したものと思われるので、ウィーンにある上記作品の完成当初の姿を伺うことができる。「エルミタージュ美術館展 16―19世紀スペイン絵画」カタログ
「シルバー・フィリップ」をご紹介している、スペイン国王フェリペ4世の肖像画をもう一枚。胸元に金羊毛騎士団勲章。
金羊毛騎士団については、こちらをご参考にどうぞ。
ヴァトー 「滝のある風景」
「エルミタージュ美術館展 フランス バロック・ロココ絵画」カタログ
ロココ絵画の巨匠、アントワーヌ・ヴァトーの風景画です。
ロココの画家は、他に、フランソワ・ブーシェの「フルートのレッスン」と「雅な羊飼い」、、フラゴナールの「家畜の群れの帰り」、ジャン=バティスト・ル・プランス下絵によるタピスリーをご紹介しています。
ヤン・ブリューゲル、バン・バレン 「花と果実の輪にかこまれた聖家族」
「黄金の17世紀フランドル絵画展」カタログ
ヤン・ブリューゲル(父)と、共同制作者ヘンドリック・ヴァン・バレンによる、「花と果実の輪にかこまれた聖家族」です。
羊を連れたヨハネの姿は数多くご紹介しておりますので、こちらでぜひ。
司馬江漢 「天球図」
和蘭天球ノ図ハ、彼国ノ法ニシテ、禽獣人物異形ヲ以テ星ノ名トス
銅カイチ
銅獬豸(どうかいち、一角獣)
魏―西晋時代(220年―316年)
長さ70.2?
甘粛省酒泉市下河清(出土 1956年)
甘粛省博物館蔵
一角獣は伝説の神獣「獬豸(かいち)」で、人の正邪を判別し、不正なものを突くといわれる。
また、麒麟や鳳凰などと並び、祥瑞を表す動物でもある。
副葬においては鎮墓や魔除けの意味をもち、通常、墓門の中央に置かれた。「シルクロードの煌めき―中国・美の至宝」
羊似の幻獣カイチについては、これまでにもいくつかお話をしているのですが、こちらは魏―西晋の頃の副葬品です。あんまり、というか全然、羊じゃないですね……。
デューラーの星図
はじめて星図が印刷されたのは1515年ニュールンベルクにおいてである。
それはデューラーが木版画としてデザインしたもので、以後3世紀の間、印刷された星図というジャンルが形成される中で絶大な影響をおよぼした。
アルブレヒト・デューラーの意匠による、印刷されたもっとも古い星図です。
デューラーは「テオクリトスの『牧歌』のための扉絵細密画」などを、星図はフラムスチード天球図譜を、これまでにご紹介しています。