「論より証拠、まずは実物を食してみるがよい」
と言うと、兼続はかるく両手を打ち鳴らした。
それを待っていたかのように、襖が開き、控えの間にいた前髪姿の小姓が、黒漆塗りに螺鈿を散らした四方盆をささげ持って部屋にあらわれる。
目の前に置かれた菓子を一目見て、
「これは羊羹ではございませぬな」
庄九郎は声を上げた。
(略)
そもそも羊羹は菓子ではない。
はるか天平のむかし、唐の国から渡来した料理の一種で、羊の肉をこねかためて汁に浮かべたものだった。
わが国では仏教の影響で肉食を避けたため、肉のかわりに小豆、山芋、小麦粉、葛粉をこねて蒸し、汁に浮かべるようになった。
のちに、その蒸し物を汁に入れずに食べるようになったのが、菓子としての羊羹のはじまりである。
ただし、それは今日、われわれが一般に羊羹と呼ぶ、“練り羊羹”ではない。
小豆の餡に小麦粉、浮き粉を加えて蒸し固めた素朴な“蒸し羊羹”であった。
“練り羊羹”が発明されたのは桃山時代、金賦りのあとの茶会で、秀吉が披露したのがはじまりだった。
庄九郎の目の前に置かれているのは、まさにその、わが国最初の“練り羊羹”にほかならない。
昨日に続いて、羊羹話を。火坂雅志の短篇、「羊羹合戦」です。
時は天正十七年。関白秀吉から下されたものを参考によりすぐれた羊羹を作ることを命じられた、上杉家家臣庄九郎の孤独な闘い。現在につづく練り羊羹が確立しつつある、当時のさまが描写されています。