「ブルックリン美術館所蔵 バルビゾン派の画家たち展」カタログ
大晦日ですね。静かな心持ちになれそうな、「ロルボワーズの羊飼いの女」を。19世紀アメリカ、のちフランスに移住した、ダニエル・リッジウェイ・ナイトによるものです。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
「ブルックリン美術館所蔵 バルビゾン派の画家たち展」カタログ
大晦日ですね。静かな心持ちになれそうな、「ロルボワーズの羊飼いの女」を。19世紀アメリカ、のちフランスに移住した、ダニエル・リッジウェイ・ナイトによるものです。
獣らは身震いして尾を股の間に入れる、
柔毛がその皮を覆っている獣でもな。
胸毛の厚い獣をすら、氷のごとき寒風は吹き通すのだ。
北風は牛の皮も吹き通す、その皮も風を防ぐことはできぬ。
また毛長の山羊も吹き抜けるが、ただ羊のみは、
その豊かな毛のゆえに、さすがに強い北風も決して吹き通すことはない。
「神統記」冒頭をご紹介したことのある、ヘシオドス(ヘーシオドス)の「仕事と日」を。農事暦のなかに、真冬の家畜たちの様子を描いた一文が。
『シャー・ナーメ』からの一枚で、初期サファヴィー朝時代の代表的なペルシア人画家スルタン・ムハンマドが描いた「火の祭りサデ」を見てみよう。
伝説のペルシア王フーシャングが、突然現れた大蛇を殺そうと石を投げると、蛇は逃げたが、石が岩に当たって火花が散った。
王はこうして火を作る方法を発見し、神に感謝を捧げ、家臣や動物を集めて宴会を開いた。
これが、後にサデと呼ばれるようになった火の祭りの起こりであり、スルタン・ムハンマドの細密画はこの宴会の様子を描いたものだ。
そして夜がくると、山のように高々と火を燃やし、王は臣民とともに火を囲み、この夜を祝って酒をのんだ。
あかあかと燃えるこの夜に王のあたえた名が「サデの祭」。その祭がフーシャング王を記念して今もなお残っている。
(略)
彼はまた神よりあたえられた力と王権によって、牛・ロバ・羊を手におえぬ野生ロバや鹿から分け、生活に役立ちうるものを活用した。
イランの叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』を描いた、サファヴィー朝のころの細密画と、「王書」の相当部分を。同時代のものとして、「子羊をかつぐモーゼ」をご紹介しています。
アーツ・アンド・クラフツ展協会の1888年の第1回展で展示された、約12点の家具の一つ。
(略)
デイ(1845─1910)は刺繍に特別熱心だったが、テキスタイル、陶芸、壁紙などのデザイナー、あるいはアーツ・アンド・クラフツ運動の思想家としての方が有名である。
イギリス/1888年頃
ヴィクトリア&アルバート美術館
19世紀イギリス、アーツ・アンド・クラフツの家具を。ルイス・F・デイによる、黄道十二宮の装飾がついた刺繍用キャビネットです。白羊宮の部分に、棒馬ならぬ棒羊で遊ぶ子どもの絵が。
先日、羊の毛刈りロボットのお話をしたときに、BWH羊毛収穫法はどうなったんだろうとぼやいておりましたところ、K&T様から、採毛を行なっているBIOCLIPのHPとYouTubeで見ることができる宣伝ビデオの存在を教えていただきました。ありがとうございます。
羊にとって大迷惑なのは変わりないのですが、こちらのほうが落ち着いて見ていられるかも。
そこでペレドゥルは馬を進め、苦患の王の子らの宮殿にたどりついた。
入っていくと、出迎えるのは女ばかりである。みな立ち上がって、彼を歓迎した。
物語をするうちに、鞍をおいた軍馬がもどってきたが、鞍には死骸が横たえてあった。
ひとりの女が立っていって、鞍から死骸を下ろし、扉の下にあった湯の器をもってきて清め、高価な香油を身体に塗りつけた。
すると男はよみがえって、起きあがり、ペレドゥルのそばに来て、挨拶し、嬉しそうな顔をした。
(略)
翌朝、若者たちは起き出して出かけてゆき、ペレドゥルは、かれらの愛する女人のためにも、同行させてくれるよう頼んだが、断られた。
「あなたがここで殺されても、よみがえらせるものがありませぬ」
みなはそう言ってでかけ、ペレドゥルはあとについていった。
(略)
やがて川の流れる谷があり、そのへりには木々が茂っており、川の両岸には平らな草地があった。
こちら岸には白い羊が、向こう岸には黒い羊の群れがいた。
白い羊のどれかがメエと鳴くと、黒い羊の一頭が川を渡ってきて、白い羊になった。
黒い羊がメエと鳴くと、白い羊が川を渡ってきて、黒くなった。
以前触れたマビノギオンに出てくる羊のお話をあらためて。独特の生命観の例として挙げられていたものですが、羊の谷を通って化け物退治へ向かうまでの経過が、また不可思議です。
ショーンやティミーやシャーリーを動かすゲームがあると、もりもとさんからお知らせをいただきました。ありがとうございます。「ひつじのショーン」のキャラクターたちを協力させてクリアするアクションパズルの模様。やってみたんですが、難しいです。下の攻略用動画(?)も合わせてぜひ。
「Mary & Wool」のしつじ様からいただいた(ありがとうございます!)ひつじ情報をもうひとつ。
カナダの劇団コープスによるパフォーマンス「ひつじ」です。教えていただいたYouTubeの映像は、2011年11月3日に高知県立美術館で、開館18周年記念イベントとして行われたものとのこと。シュールというか、問答無用に異世界を作り上げているというか。ひんぱんに海外公演を行なう劇団のようですので、いつかどこかで見る機会があるかもしれません。どんな世界がそこに生まれるのか、体感してみたいです。
雄羊の頭 1928年
マスコットはスカットル(ボンネットと車室をつなぐ部分)かラジエーターキャップ部分に装着されました。
価格は当時大きな作品で約7ポンド、小さな作品は約3ポンドでした。
今現在の価格に換算すると10万?20万円くらいに相当するのではないかと考えられます。トヨタ博物館 内 ルネ・ラリックカーマスコット展示室パンフレット
交通機関の発達と伴に旅行やスポーツが社交生活に取り入れられた1920年代の後半から30年代にかけて、ラリックは自動車のボンネットを飾るカーマスコットや豪華列車、大西洋横断豪華客船の内装など交通関係の仕事を手掛けました。
当時の自動車はラジエーター・グリルがフロントに露出していて、冷却水を注ぎ入れる注ぎ口のキャップの上に車種を象徴するマスコットをつけることが流行りました。
ラリックのマスコットはガラス製で特定の車種を想定したものではなく、オーナーの好みによってどんな車にもつけられる個性的なアイテムでした。
先日、牡羊のランプをご紹介したルネ・ラリックの作品をもうひとつ。
トヨタ博物館に常設展示されているコレクションを見学に行ってきたのですが、猪や馬のマスコットと同じケースに飾られてました。ので、おそらく猪突猛進のイメージで作られたものではないかと。
大切な品物や密書、証文の類を鳥や犬が銜えていったり、破ってしまったりするのは歌舞伎の類型だが、その役を紙を食べる習性の羊にさせたところに斬新さがあり、観客は喜んだ。
賑やかな辻打の合方を使い、猥雑な雰囲気を舞台一杯に醸し出す見世物小屋のシーンは、次なる文化文政期に四代目鶴屋南北が得意としたところである。
上方から下った五瓶が、時代の観客の好みを素早く掬み上げ、彼らを喜ばせるコツを熟知していたことが、見世物小屋の道具を飾って羊を働かせた写実の趣向に表れている。松竹歌舞伎会 月刊会報誌「ほうおう」2006年4月号
羊が活躍する唯一の歌舞伎、「富岡恋山開」について教えてくださった「Mary & Wool」のしつじ様から、さらに追加情報をいただきました。ありがとうございます。
歌舞伎会の会報2006年4月号に「歌舞伎博物館 動物篇 第27回 羊 文・服部幸雄」と題された記事があり、平成12年12月国立劇場にて上演された「富岡恋山開」のひつじ写真が掲載されているとのこと。ふさふさしてて、かわいいです。
一人の牧童が羊を飼っていた。
ところが毎日、一匹か二匹はいなくなってしまうので、主人からひどく叱られた。
そこでよく注意しながら様子を見ていると、二匹の大蛇が山の襞から出て来て羊を吸いこみ、食ってしまうのである。
大きさは甕ほどもあって、とても立ち向える相手ではなかった。
牧童はひどく口惜しがり、父親と相談して、山の襞に大きな刀を立てておいた。
すると計略どおり、一匹の蛇が腹を裂かれて死んでしまった。
中国清代、紀昀による怪異譚『閲微草堂筆記』より、「牧童と大蛇」を。
二匹の大蛇のいっぽうを退治した牧童と父親は、しばらくはもう一匹を警戒していました。半年たってもうよかろうと放牧地に戻ってきたところ……?
同時代の怪談集に、袁枚の『子不語』があります。ご参考にぜひ。
水兎さまから、羊の毛を刈るロボットの映像を教えていただきました。ありがとうございます。
おとなしいですね、羊……。見てるほうがハラハラするのですが、どうなんでしょう、実際。
BWH羊毛収穫法のほうは、普及してないのでしょうか。
映像はYouTubeから。
いつでも応援するために小さくなってかけつけた6頭のひつじポーチの会
6sheep
a.ポールドーセット b.ドライスデール c.マンクスロフタン d.サフォーク e.ブラックフェース f.メリノフェリシモ公式HP 内 どうぶつコレクション羊の森さまともりもとさんから、フェリシモ商品のひつじ度の高さについてお知らせをいただいて、あわてて雑貨カタログ「クラソ」を買ってまいりました。ありがとうございます。
いやもう、かわいいにもほどがあります。なかでも、このポーチのコレクションがもう。何食わぬ顔をして、マンクスロフタンがいるのがたまりません。
リボンでつりさげられた金羊毛の商標でおなじみのブルックスブラザーズのCMがたいへんキュートだと、YouTubeで話題になっているようです。
キュートです。
ほかに、メイキングとおぼしきものもありました。たいへんそうです。
「いったいこの鳥羊と申しますものは、いまだかつて承ったことがありません。薬材にでもあるのでしょうか、あるいはひょっとすると菓子の類ではないでしょうか。よくよくお考えください」と言うので、
一休和尚も少しの間考えをめぐらされて言うことには、
「なんともまあ思いも寄らないあて字であることよ、ちょっと判読しかねたのも当然だ。これは鳥刺に用いる鳥黐(とりもち)のことだ」とおっしゃった。
しかし、その男は不審そうな表情で、「鳥羊と書いて黐と読みましょうか」と言うと、
「そうは読めない字を宛てるから宛字というのだ。
そもそもあのつつじということ、まだ花開かぬつつじのつぼみが乳頭に似ているので、これをみた羊が転がるように近づいていくとか言う。
だから『羊躑躅(ようてきちょく、羊が伏しつ転びつする)』と書いて、『もちつつじ』と訓読する。
その人は何かの字尽(じづくし)の一紙に『羊躑躅』に『もちつつじ』と仮名がついているのを見て、『羊』という文字は『もち』と読むものと理解して、鳥と言う文字と羊という文字で『黐』の意味に用いたのではと思いついたのだ」とおっしゃった。
一休宗純を主人公とし、現在に続く「とんちの一休さん」のイメージのもとともなった江戸期の読み物のひとつである、『続一休咄』より、「一休、あて字を訓み給ふ事」です。
判読できないなあて字をされた注文書を受け取った人物が、和尚に相談に来る場面です。これは「黐(とりもち)」を送ってくれということだろう、辞書に載っていた「羊躑躅(もちつつじ)」の読みについて誤解したのだ、との推理が披露されています。
「もち」と「羊」がどこでつながるのかについてが判然としないのですが、モチツツジの鳥もちのような粘着性、つぼみが乳頭に似ていることによる「タルルチチ」語源説、和漢三才図会にある礼を知る子羊の話などが参考になるかと思われます。
この記事は、ak様から情報をいただきました。ありがとうございます。