古代キリスト教美術の誕生

ひつじ話

カタコンベ壁画に旧約聖書や新約聖書場面が登場するのは三世紀半ば以降であるが、二世紀末から三世紀初めにはキリスト教徒は、既存のローマ異教葬礼美術の図像レパートリーの中から、キリスト教の文脈でも利用できる図像を巧妙に選んで墓を飾っていたとみなすのが、今日、一般的な見解となっている。
(略)
異教、キリスト教を問わず三世紀後半の石棺浮彫りやカタコンベ壁画にも頻繁に登場する奏楽や読書、擬人像表現による四季の営み、さらには狩猟の情景、羊飼いと羊や山羊の群れの牧歌的田園情景は、死者に手向けられた理想的な死後世界の表現である。
そして同時にそれはローマ社会の上流階層の教養人たちが、海辺や田園の別荘(ヴィッラ)に求めた精神的世界そのものの表現でもあった。
(略)
三世紀後半はローマ社会の混乱期ではあったが、キリスト教会にとっては非常に重要な時期で、財力もあり教養もある多くの人々が入信した時期でもあった。
彼らが田園の別荘生活に求め、実践した精神的生活が、キリスト教への改宗をより容易にしたともいえる。
そしてシドニウス・アポリナーリスをはじめとする四?五世紀の文人たちも伝えるように、ローマ社会の伝統的な貴族階級の者たちはキリスト教徒となったのちも、田園のオティウムの世界で獲得した古典的教養の世界を決して捨てることはなかった。

ヴァチカン美術館所蔵の石棺カタコンベ天井のフレスコ画ゴールドサンドイッチガラスなどについてお話している、初期キリスト教美術のそのはじまりについて、わかりやすい解説書がありましたのでご紹介を。

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ターナー 「クリューズ渓谷の小針峰、フランス」

ひつじ話

「クリューズ渓谷の小針峰、フランス」
「マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵 巨匠たちの英国水彩画展」カタログ

愛知県岡崎市の岡崎市美術博物館にて、18、19世紀英国の風景画を中心とした、「マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵 巨匠たちの英国水彩画展」が開かれています。ひつじ度高いです。
以前、「ヴァレ・クルージス修道院、デンビシャー」をご紹介したことのあるターナーほか、 「めえめえ仔羊」をご紹介のブラウン「両親の家のキリスト」ミレイなどによる羊が目白押しです。
岡崎市美術博物館での開催は、2012年6月24日(日)まで。その後、
2012年7月14日(土)?9月24日(月) 島根県立石見美術館
2012年10月20日(土)?12月9日(日) Bunkamura ザ・ミュージアム
2012年12月18日(火)?2013年3月10日(日) 新潟県立万代島美術館
こちらに、巡回が予定されているようです。ご縁がありましたら、ぜひぜひ。

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饅頭起源説話

ひつじ話

次に「曼頭」(饅頭)は後世まで盛行して、我が国にも製法が輸入されているので、その形状品質は周知の通りであるが、その原始的なる物は中の餡に獣肉を用いたのである。
これに関して宋の高承の『事物起源』巻九に奇怪なる起源説が語られている。
即ち蜀の諸葛孔明が孟獲を征した時、人の勧めにより蛮神を祭って加護を祈ったが、蛮俗では人を殺してその首を供える風習であったのを、孔明は羊と豚の肉を麺に包んで人頭に象ったものを作ってこれに代えた、饅頭はこれから始まったのだという。
更に明の郎瑛の『七修類稿』巻四十一には、最初これを「蛮頭」といったが、後に訛って「饅頭」としたのだと補足している。
しかしこれはむしろその反対に、「曼」と「蛮」と字音が相通ずるところから、右のような奇怪な縁起説が起ったのであろう。

三国志演義などで饅頭の起源説話をご存知のかたも多くいらっしゃると思うのですが、青木正児の「華国風味」を読んでおりましたら、この説話が奇怪呼ばわりされてました。いや奇怪ですけども、たしかに。
青木正児の著書は、「随園食単」訳注「中華飲酒詩選」などをご紹介しています。

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ドービニーのエッチングとクリシェ=ヴェール

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「羊の柵囲い」
クリシェ=ヴェールは、1800年代中頃に写真技術発達の過程で派生的に誕生した技法である。
皮膜で覆ったガラス板をニードルなどで引っかいて絵を描く。
このように線の部分のみ光を透過するようにした原版を、印画紙に重ねて感光することで図柄を得る。
フランスやイギリス、アメリカで流行したが、とりわけバルビゾン派の画家たちは1850年代から60年代にかけて数多くの作品を試みている。

 「絵画と写真の交差 印象派誕生の軌跡」展カタログ 

「夕日」などをご紹介している、シャルル=フランソワ・ドービニーのエッチング「羊の柵囲い」及びクリシェ=ヴェール「羊のいる囲場」です。同じ原画から作られたものとのことですが、技法によって雰囲気が違ってくるものですね。

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ジョット 「羊飼いのもとに赴くヨアキム」

ひつじ話

「羊飼いのもとに赴くヨアキム」
1304?05年 フレスコ 200×185センチ
パドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂
(略)
深い思索にふけるヨアキム、主人が来たので喜ぶ犬、怪訝そうに見つめる二人の羊飼い。
書き割りのような背景の山と木は素朴だが、ヨアキムの沈んだ気分を暗示しているかにみえる。
聖なる物語が、このような人間的ドラマとして表現されたことは、それまでにはなかった。

ジョット・ディ・ボンドーネのスクロヴェーニ礼拝堂壁画、「羊飼いのもとに赴くヨアキム」を。以前ご紹介した「ヨアキムの夢」と同じ壁面に並ぶ、「ヨアキム伝」の一場面です。
ヨアキムを描いたものは、他に、ギルランダイオの「神殿から追い出されるヨアキム」をご紹介したことがあります。

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ドストエフスキー 「死の家の記録」

ひつじ話

わたしは、しかし、煉瓦運びを愛したのは、この作業で体力がつくからだけではなかった。
さらに、この作業がイルトゥイシ河畔で行われたからである。
わたしがしばしばこの河畔のことを言うのは、他に理由はない、ただそこからは神の世界が見えたからである。
(略)
わたしにとって、そこにあるすべてのものが貴く、そしていとおしかった。
果てしない紺碧の大空に輝く明るい熱い太陽も、遠い対岸キルギスから流れてくるキルギスの歌声も。
長いことじっと目をこらしていると、そのうちに、遊牧民の粗末な、煤煙で黒ずんだ天幕らしいものが見えてくる。
天幕から小さな一すじの煙がのぼり、キルギス女が一人忙しそうに二頭の羊の世話をしている。
それらはすべて貧しく、粗野ではあるが、しかし自由である。

フョードル・ドストエフスキーによる、シベリアへの流刑体験に基づく「死の家の記録」から。

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赤像式クラテル(続き)

ひつじ話

クラテル
紀元前425年頃
ギリシア、アテネ出土
高42.3センチ、直径47センチ
このクラテルに描かれている場面から、古代アテネ人の宗教的慣習について多くのことを知ることができる。
垂れ下がった花冠と花輪で飾られた雄牛の頭蓋骨から、聖域で儀式が行われていることが分かる。
儀式に参加している男性は皆、丈の長い衣装と葉冠を身につけている。
左側では、若い男性が生贄とされる羊を導いており、その後ろで一人の男性が2本の管楽器、アウロスを奏でている。

 「古代地中海世界の美術」展カタログ 

先日の、ペリアスの死を描いたものに続いて、クラテルをもうひとつ。羊を使った動物供犠の場面のようです。

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アドリアン・デ・フリース 「ルドルフ二世像」

ひつじ話

ルドルフ二世

アルチンボルド関係などで何度かお話しているハプスブルク家の神聖ローマ皇帝ルドルフ二世ですが、画像をご紹介したことがありませんでしたので、あらためて。胸に金羊毛騎士団勲章をさげた、アドリアン・デ・フリースによる胸像です。
金羊毛騎士団勲章のお話はずいぶんしておりますので、こちらでまとめてぜひ。

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羊飼いと羊図ゴールド・サンドウィッチ・グラス坏残欠

ひつじ話

ゴールド・サンドウィッチ・グラス
3世紀─4世紀 イタリア 径9.7センチ
コップの底や側面に金箔を熔着し、文様をエッチングして再加熱、その上に透明ガラスを被せかけて作ったゴールド・サンドウィッチ・グラスは、多くローマのカタコンベで発見され、キリスト教の図像が描かれているのが通例である。

 「世界ガラス美術全集1 古代・中世」 

初期キリスト教のゴールドサンドイッチガラスです。アメリカ、コーニング・ガラス美術館所蔵。

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赤像式柱形クラテル

ひつじ話

赤像式柱形クラテル
伝 アエギスタスの画家作
ギリシア、初期クラシック時代、紀元前470年頃
陶器
ギリシア、アテネ出土
高37センチ、直径33センチ(口部分)
このクラテルは、ワインを混ぜるための堂々とした容器で、イオールコスの王位を奪ったペリアースの死というギリシア神話の中の大変面白い場面が描かれている。

 「古代地中海世界の美術」展カタログ 

以前お話した、『転身物語』より「ペリアス」の一場面を描いた、古代ギリシアのクラテルです。右にメデア、左に娘に手を引かれたペリアス。そして中央の大釜で羊が煮られているようです。

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『美味礼讃』より、「コーヒーについて」

ひつじ話

コーヒーの木は最初アラビアで発見された。
その後ほうぼうに移植されたけれども、最良のコーヒーは今でもやはりアラビアから来る。
古くからの言い伝えによるとコーヒーは羊飼いに発見された。
かれは、羊どもがコーヒーの木の漿果を食べた時はいつも興奮してはしゃぎだすのを見たのである。
こういう昔話はさることながら、発見者たるの名誉はこれを全部くだんの羊飼いに帰するわけにはいくまい。
半分は何といっても最初にこのコーヒー豆を炒ることを思いついた者に与えなければならない。

ブリア=サヴァランの『美味礼讃』から、「コーヒーについて その起源」の章を。
コーヒーの起源を説明するカルディ伝説は、普通はヤギの話として語られてるように思うのですが、こちらの本では「羊」になってるので、とりあえず。サヴァランの原文でも羊なんでしょうか、これ。

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ヴァチカン美術館所蔵、3世紀末の石棺

ひつじ話

石棺 石棺(部分)

初期キリスト教の定番モチーフである善き羊飼いが彫られた石棺です。
石棺はいくつかご紹介したことがありますので、こちらでぜひ。

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ラ・フォンテーヌ『寓話』より、「狼と子羊」

ひつじ話

『寓話』より「狼と子羊」
強者の理屈はつねに通る。
すぐにその証明をするとしよう。
一匹の子羊が澄んだ流れで
喉のかわきをいやしていた。
そこへすきっぱらの狼、何かいい獲物はないかと現れた、
ひもじさにこの場所に誘われて。
「いつからこんなに厚かましくなった、おれの水を濁すとは」

原典のイソップ寓話「狼と仔羊」と、江戸時代の翻訳である『伊曾保物語』の「狼と羊との事」に対応する、ラ・フォンテーヌ『寓話』バージョンの「狼と子羊」です。引用は現代教養文庫版からなのですが、ギュスターヴ・ドレの挿絵をまとめて眺められるのが高ポイントです。
これまでにご紹介したラ・フォンテーヌの寓話は、こちらで。

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「アフリカ農場物語」

ひつじ話

遠く、コピの向こうで、息子のウォルドーが羊の番をしていた。
埃まみれの雌羊と仔羊の小さな群れだった。
ウォルドーは、赤い砂を頭のてっぺんから足の先までかぶり、ぼろの上着をまとい、なめしていない皮の靴からはつま先がのぞいていた。
帽子は大きすぎて目の上までずり落ち、黒く柔らかい巻き毛は、すっぽりとその中に隠れていた。
小さな奇妙な姿だった。
羊の群は、ほとんど何も問題を起こさなかった。
あまりの暑さに羊も遠くへは行かず、日陰を求めて小さなミルクブッシュの茂みの一つ一つに群がり、かたまってじっと立っていた。

19世紀南アフリカの女性作家オリーヴ・シュライナーの小説「アフリカ農場物語」を。作者の実体験に基づいた風景の描写が、物語に彩りをそえています。羊、多そうですね。

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サン・イシドロ聖堂扉口彫刻

ひつじ話

扉口彫刻のイサクの犠牲
父親アブラハムが中央軸を占め、右手に持つナイフで、自分の息子イサクを刺そうとしている。
彼の左手は、息子イサクの髪をつかんでいる。
彼らの左側には、神の大きな手が出てきて、犠牲の子羊を、代りに差し出している。
(略)
扉口で一番重要な場所とも言える半円のティンパヌムに、旧約聖書の物語が表現されるのは珍しい。
ここでは、《イサクの犠牲》を表現することにより、上部にある神の子キリストの象徴たる子羊の犠牲を、予示しているのである。

先日ご紹介した王家墓廟天井画に続いて、もうひとつ、レオンのサン・イシドロ聖堂を。聖堂扉口のティンパヌム部分にある、イサクの犠牲をモチーフにした彫刻です。
イサクの犠牲テーマについては、こちらでまとめてぜひ。

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