鞭起芻羊問木人

鞭起芻羊問木人
写得老胡真面目(老胡の真面目を写し得て)
杳寄自性堂上人(杳か自性堂上の人に寄す)
不信旧臘端午時(旧臘端午の時を信ぜずんば)
鞭起芻羊問木人(芻羊を鞭起して木人に問え)
先に見た富士山図の賛にくらべたら、ずいぶんとむずかしい偈である。大意をとれば、つぎのような意味である。
かねてから達磨の絵を描くよう頼まれていたが、
ここに達磨の真骨頂を描いて、
はるばる豊前の自性寺和尚にお届けする。
十二月の端午の節句に作ったこの画が分からぬならば、
ワラの羊に鞭うって木の人形に尋ねられよ。
謎めいた詩である。「旧臘端午」「芻羊」「木人」といった言い回しは、いずれも禅録では無可有の消息、あるはずのない消息をいう。「旧臘端午」というのは、「12月=5月5日」ということであるが、そんな日付が現実にあるはずはない。蒭羊、蒭は芻に同じ。芻狗という語があり、「ワラで作った犬」をいうが、これと同じ意味である。「ワラの羊」も「木の人間」もあり得ないものであるが、「ワラの羊」を鞭うって「木の人間」に答えさせるというのは、太郎を折檻して次郎に白状させるようなもので、これまたあり得ないことである。

「藁の羊」
言葉としては面白いんですがなんかイメージが……。

ひつじ話

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