羊神判
その神判のしかたは、『墨子』の「明鬼」篇(下)に、その例がしるされている。
むかし、斉の荘君の臣に、王里国、中里キョウとよばれるものがいたが、この二人が訴訟で争うて、三年しても決着がつかなかった。斉君は、確証のない嫌疑だけでは裁定しかねるので、羊神判を行うことにした。そこで各自に羊一頭ずつを提供させて、斉の神社で盟いをさせ、羊の頸血を社壇にそそがせた。王里国が神への陳述をよみあげてよみ終るまで、なんらの異常もなかった。ところが中里キョウがその辞をよみ進めて、まだ終らぬうちに、羊がおきあがって中里キョウにふれ、社殿におどりあがって、盟所にたおれた。
これで、中里キョウの敗訴が決定した。 (略)
この解タイといわれる神羊は、古い伝承によると、むかし刑法を定めた皐陶が、獄訟を裁くときに用いたもので、その性は不直なるものを識別する能力があり、神判では不直なるものに触れてそれを知らせるという。『墨子』のしるすところとも一致しており、皐陶を裁判神とする伝承もあったのであろう。皐陶は羌族の祖神で、羌族は牧羊族であった。羊神判は、古くこの牧羊族が伝えていたものかも知れない。
白川静による古代中国文化論に、羊による裁判が紹介されています。
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