江戸の見世物としての羊
珍相撲
寛政度に両国や芝神明社地で、羊と女の角力が興業された。『寛政珍話』当時見立二幅対の条に、珍らしきものは、蝙蝠の軽業と羊の角力とあるもので、蝙蝠の軽業は、寛政元年葺屋町で興業したのである。従順であるが兎に角獣と女との角力という所が人気を呼んで、夥しい評判であつたから、(略)芝居狂言の一場面ともなつたのである。
珍禽獣
安永五年に大阪で雷獣、江戸でラシヤメンの見世物があつた。(略)
ラシヤメンと号けて両国や浅草で見せたのは、羊を絵の具で塗散らして、人目を集めたイカ物であつた。この見世物を見た風来山人平賀源内は、其著『放屁論』の後編に、我は羊を見るにつけ、日本でも羅紗やゴロフクレン等の毛織物を織らせ、舶来品を待たず世人に供給し、国家の利益を計らうと、日夜心を砕いてゐるのに、情なや人は手短に銭儲けせんがため、如何に物言わぬ獣類だとて、絵の具を塗散らした上異様の名を付け、見世物に引摺り廻はすとは、羊の手前も気の毒であると、万丈の気焔を上げた所に、発明家平賀源内の面目が躍如としてゐる。
江戸期最大の娯楽であった「見世物」は、曲芸や細工などのほか、珍しい生き物もその重要な一ジャンルでした。見世物に使われる程度には、いたんですね、羊。
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