平賀源内 「放屁論後編」

だいたいこの天地の間に、火ほど尊いものはなく、また、この火がどうして発生するのか、その原理を目の前で明らかにしてくれるから、エレキテルほど尊い器械はないのです。
(略)
エレキテルを両国か浅草に見世物に出したなら、きっと間違いなく大金ができるだろう。というのは珍獣の山嵐や綿羊を見世物にして大当たりをとった例があるからだと、またしきりにすすめる者も多いのですが、陰陽の原理がことごとく尽くされているこのエレキテルを、見世物にするのはもったいないと思い、それには応じなかったというわけです。
(略)
わたしは、綿羊を見れば、日本でラシャ、ラセイタ、ゴロフクレン、ジョン、トロメン、ヘルヘトアン、サルゼ、それに毛氈類の毛織物を織らせ、外国からの輸入品を待たずに、日本でそれらを産出し、需要にあてたいと心を砕くのですが、人は見世物にでもして簡単に金をかせぐことばかりを考える始末です。
いくらものを言わない畜生だからといって、その毛を織れば、国の利益になるものを、ラシャメンなどといい加減な名前をつけて、絵の具で体じゅうを塗りたくり、引きずりまわして恥をさらすなどということは、綿羊のためにもまったく心苦しいかぎりです。

見世物としての羊江戸期のウール産業に関してお話した平賀源内の怪気炎を「放屁論後編」から抜き書きしてみました。怒って・・・ますね・・・。

ひつじ話

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