ヘンリー・リー 「スキタイの子羊」
ワタの木に関する初期の、事実に即したこれらの記述が、植物=動物の合成物、「スキタイの植物羊」という完全なお伽話へと発展していく過程をたどると、それは他の中世の伝説の場合と同様に、次のような二つの主要な理由に帰することができる。
(1) 多義的な、あるいは比喩的な言葉の解釈の誤り
(2) 二つの、実際は異なる物体の、外見的な類似
今まではこの問題との関連があるとは気づかれなかったと思うのだが、先に引用したテオフラストスの節の中で、ワタの木の熟していない朔果の形と外見を描写するのにまことに適切に使われているギリシア語のメロンという言葉が、「果物」とも「リンゴ」とも「羊」とも訳すことができるという事実は興味深い。
またそこに使われている形容詞は、「春の、若い」という意味である。したがってその一節は、植物の羊毛は木になる「春のリンゴ」から取られたとも、木になる「若い羊」(すなわち子羊)から取られたとも、解釈できる。
(略)
しかし何世紀かの後に、この植物については何の知識も持たない読者たちが、死語となったラテン語を読んだとき、彼らが「木からできる羊毛」の性質について誤った考えを抱いてしまう可能性に、この転換可能な解釈を許す曖昧な一節が、何の寄与もしなかったとは言えないのである。白い羊毛の柔らかい毛は、春に育った幼い子羊に生えているほうが、春にはまだ一部しか形成されず熟していない状態のリンゴのような果実の中に見出されるよりは、ずっと自然なことに思われる。
(略)
また、このギリシア語の「メロン」という言葉の使用が、後になってこの「植物=子羊」を生む植物の種子がメロンやヒョウタンのそれのようであるという報告を生んだ可能性もある。
こちらの「スキタイの子羊」には、1887年にヘンリー・リーによって著された植物羊に関する考察「タタールの植物子羊―ワタの木の不思議な伝説」が収められています。
リーは、この怪物の正体をワタの木であると結論づけ、ラテン語の誤読説によってそれを説明しています。やや突飛な気もするのですが、訳者によるあとがきでは、「実体やイメージを伴わない「ことば」や「概念」が先行し、それを後から図像化するときに怪物的なものが産まれるのは、よくあることである。」との解説がなされています。
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