干支の町 きたかた
干支を地域区分に用いたいきさつ
明治時代、時の政府が封建的諸制度を捨て新しい制度を取リ入れようとしている時代背景の中、北方町でも戸籍や徴税に用いられてきた地域区分の「門(かど)」という制度を改めようという気運が生まれました。
そこで、今の町長のような仕事を受け持っていた時の第3代戸長 古川定明(さだはる)(在職、明治12年?19年)はかつて先祖の家柄が延岡藩士時代の「天文測量方」であったことから天文学に非常に優れた知識をもっておリ、地域区分に干支を用いることを考え出しました。
全国で唯一の、土地区分に干支の名前を使っている町、北方町の情報をいただきました。ユカさま、ありがとうございますー! お話によれば、「宮崎県延岡市から高千穂に向かって218号線を走っていたとき突然「ひつじトンネル」というトンネルが現れました」とのこと。走りたい。それは走りたいです。
上のホームページでは東臼杵郡となっていますが、最近延岡市に合併されています。住所表記が少し変更になってますが、干支は温存されてるのですね。良かった。 → 延岡市公式ホームページ 内 合併後の郵便番号・住所の表示について
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