ブルネレスキとギベルティの「イサクの犠牲」
1401年フィレンツェの毛織物商組合は、フィレンツェ大聖堂のファサードに面したサン・ジョヴァンニ洗礼堂にブロンズの門扉を寄進することを決め、その制作者を決めるためのコンクールを実施しました。
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コンクールの課題は旧約聖書からとった「イサクの犠牲」でした。
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ブルネレスキとギベルティの二人のコンクール提出作品は、現在もフィレンツェの国立バルジェロ美術館にのこされていますが、ギベルティの作品が均斉のとれたむしろゴシック的端正さをもっているのに対して、ブルネレスキの作品は激しい動きをもったドラマチックな表現で、当時としては革新的なものでした。
上がフィリッポ・ブルネレスキ、ふたつめのがロレンツォ・ギベルティの、ブロンズの「イサクの犠牲」です。
「イサクの犠牲」については、プリンストン大学美術館のカラヴァッジオ、ウフィツィ美術館のカラヴァッジオ、バルトロメオ・マンフレーディ、後日談(?)などをご紹介しています。
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