福田恆存 「一匹と九十九匹と」

 ぼくはぼく自身の内部において政治と文學とを截然と區別するやうにつとめてきた。その十年あまりのあひだ、かうしたぼくの心をつねに領してゐたひとつのことばがある。「なんじらのうちたれか百匹の羊をもたんに、もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、往きて失せたるものを見いだすまではたづねざらんや。」(ルカ傳 第十五章) 
(略)
 が、天の存在を信じることのできぬぼくはこの比喩をぼくなりに現代ふうに解釋してゐたのである。このことばこそ政治と文學との差異をおそらく人類最初に感取した??のそれであると、ぼくはさうおもひこんでしまつたのだ。かれは政治の意圖が「九十九人の正しきもの」のうへにあることを知つてゐたのにさうゐない。かれはそこに政治の力を信ずるとともにその限界をも見てゐた。なぜならかれの眼は執拗に「ひとりの罪人」のうへに注がれてゐたからにほかならぬ。九十九匹を救へても、殘りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいつたいなにものであるか―イエスはさう反問してゐる。
かれの比喩をとほして、ぼくはぼく自身のおもひのどこにあるか、やうやくにしてその所在をたしかめえたのである。ぼくもまた「九十九匹を野におき、失せたるもの」にかゝづらはざるをえない人間のひとりである。もし文學も―いや、文學にしてなほこの失せたる一匹を無視するとしたならば、その一匹はいつたいなにによつて救はれようか。

 「福田恆存著作集 第七巻・評論編(四) 日本および日本人」 

福田恆存によって戦後すぐに著された評論、「一匹と九十九匹と」です。
新約聖書の羊飼いに関する章句を引き、政治と文学とを区別する必要性が説かれています。
こちらは、もりもとさんからネタ提供をいただきました。上記の本もお借りしました。ありがとうございます。

ひつじ話

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