中世ヨーロッパの修道服
ベネディクト修道会は六世紀に聖ベネディクトによって創設された西ヨーロッパ最古の修道会である。
世俗の財産の一切を拒否し、労働と祈りの二つを掟とする厳しい戒律にしたがい、僧は共同生活を送る、
彼らの黒衣の様子は、映画化されたウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を思い起こせばよいのかもしれない。
(略)
清貧と簡素を主張する修道服は黒く染めた布というより、本来は黒い羊の毛を織っただけの粗末な未染色の布だったからである。
(略)
中世では、ベネディクト会修道士を「黒僧」と呼んだのに対し、フランチェスコ会修道士は「灰僧」の名で呼ばれ、すなわち修道服が灰色を帯びていた。
とはいえ基本的には未染色のウール地であるから、現実には白に近いものから褐色がかったものまでヴァリエーションがあり、それぞれの修道服の色を厳密に分けることは不可能である。
(略)
シトー修道会は白い修道服によって「白僧」と呼ばれたが、実際の衣の色はフランチェスコ会修道服と見まがうものもあったにちがいない。
僧服の色は各修道士を区別する記号となったが、多分に観念的なものである。
中世ヨーロッパの色彩感覚について語られた「色で読む中世ヨーロッパ」より、修道士の清貧を示す、未染色ウール地の修道服に関する一章を。
最近のコメント