トーマス・マン 「ヨセフとその兄弟」

イサクは衰弱し、死んだ。
高齢のために目がみえなくなっていたが、代々伝えられてきたイサクという名前をもつその老人、アブラハムの息子は、臨終のおごそかな時に、ヤコブや居合わせていた一同の面前で、「自分」のことを高い恐ろしい声で、予言者のように、頭が変になったように、受け容れられなかった犠牲の仔羊のことを話すように語り、牡羊の血を自身の血、真正な息子の血と考えるべきであって、万人の罪をあがなうために流された血であると語った。
それどころではない、イサクは息を引き取る直前に、不思議な巧妙さで牡羊のように鳴こうとした。と同時に血の気のひいた顔が驚くほど牡羊の顔に似てきた。―むしろいままでも存在していた類似性にひとはいま急に気づいたというほうがいいかもしれない―、一同は愕然とし、あわててひれ伏したが、間に合わなくて、イサクの顔が羊の顔になるのがみえてしまった。

トーマス・マンによる、聖書に材を取った長大な小説「ヨセフとその兄弟」より、第一部のヤコブ物語の一節を。
旧約聖書創世記における、「イサクは年老い、日満ちて息絶え、死んで、その民に加えられた。その子エサウとヤコブとは、これを葬った。」という記述に対応する場面ですが、だと思うんですが、ほんとに同じ場面なんでしょうか、これは。
イサクについては、「イサクの犠牲」テーマの絵画などをいろいろご紹介しておりますので、こちらでまとめてぜひ。創世記の対応部分は、こちらで。
小説のタイトルであるヨセフと兄弟については、ラファエッロの「兄たちに夢の話をするヨセフ」をご紹介しています。

ひつじ話

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