多胡碑と羊太夫伝説

多胡碑には「上野国片岡郡、緑野郡、甘良郡合わせて三郡のうち、三百戸を郡となし、羊に給いて多胡郡と成す。和銅四年三月九日甲寅に宣る」とある。
この「羊」は渡来人と目される。
羊年の羊の日、羊の刻に生まれ羊太夫と呼ばれた偉丈夫には小脛(あるいは八束脛、八束小脛)という家来がいた。
二人は大和の朝廷へ日参する。
小脛は自分が眠っているところを見ないでくれといっていたが、あるとき見ると脇の下に翼を着けていた。
羊太夫がそれを抜き取ると以来、鳥のように走ることができなくなり、朝廷への伺候も止む。
それを謀反であるとして朝廷の追補を受けた二人は蝶となって天に舞い上がり、やがて鳶(あるいは白鳥)に変わった。
これだけなら鳥人伝説であろう。
この羊太夫が大和へ日参する途中立ち寄った尾張の山田(現名古屋辻町)に羊神社がある。火辻(羊)が辻(辻町)に変わった。安中市にも羊神社がある。

群馬県高崎市の古碑「多胡碑」の碑文にまつわる伝承について。
名古屋市の羊神社は、以前お参りしたことがあります。安中市の羊神社については、こちらの記事が公式のものかと。

ひつじ話

Posted by


PAGE TOP