『続一休咄』より、「一休、あて字を訓み給ふ事」

「いったいこの鳥羊と申しますものは、いまだかつて承ったことがありません。薬材にでもあるのでしょうか、あるいはひょっとすると菓子の類ではないでしょうか。よくよくお考えください」と言うので、
一休和尚も少しの間考えをめぐらされて言うことには、
「なんともまあ思いも寄らないあて字であることよ、ちょっと判読しかねたのも当然だ。これは鳥刺に用いる鳥黐(とりもち)のことだ」とおっしゃった。
しかし、その男は不審そうな表情で、「鳥羊と書いて黐と読みましょうか」と言うと、
「そうは読めない字を宛てるから宛字というのだ。
そもそもあのつつじということ、まだ花開かぬつつじのつぼみが乳頭に似ているので、これをみた羊が転がるように近づいていくとか言う。
だから『羊躑躅(ようてきちょく、羊が伏しつ転びつする)』と書いて、『もちつつじ』と訓読する。
その人は何かの字尽(じづくし)の一紙に『羊躑躅』に『もちつつじ』と仮名がついているのを見て、『羊』という文字は『もち』と読むものと理解して、鳥と言う文字と羊という文字で『黐』の意味に用いたのではと思いついたのだ」とおっしゃった。

一休宗純を主人公とし、現在に続く「とんちの一休さん」のイメージのもとともなった江戸期の読み物のひとつである、『続一休咄』より、「一休、あて字を訓み給ふ事」です。
判読できないなあて字をされた注文書を受け取った人物が、和尚に相談に来る場面です。これは「黐(とりもち)」を送ってくれということだろう、辞書に載っていた「羊躑躅(もちつつじ)」の読みについて誤解したのだ、との推理が披露されています。
「もち」と「羊」がどこでつながるのかについてが判然としないのですが、モチツツジの鳥もちのような粘着性、つぼみが乳頭に似ていることによる「タルルチチ」語源説、和漢三才図会にある礼を知る子羊の話などが参考になるかと思われます。
この記事は、ak様から情報をいただきました。ありがとうございます。

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