串田孫一 「羊飼の星」

戦争の末期、一九四五年の夏、厄介になっていた農家の隅で、ひと目を気にしながら殆ど隠れるようにして読んでいたフォントネルの本の中に、金星のことを「羊飼の星」と呼んでいるところがあった。
後に大きな百科事典を使えるような状態になってから確かめてみると、「羊飼の星」という項目があって、羊飼は山にいて、宵に夜明けに出る金星を安易に見られるから、という説明があった。
それ以来、金星を見れば同時に「羊飼の星」という呼び方を想い出すし、そのためにこの星が一段と身近なものになって来たのだった。
人々が時計を持つ時代になっても、羊の群と共に過ごす山上の生活者にはそれは不要である。
というのは、時を知る時計があれば、時に合わせて開き、また時が来れば閉じる花がある。
それを誰が名附けたとも知れず「羊飼の時計」と呼んでいる。
金星にこんないい名前を附けたのは、いつ頃のどんな人であったのかは、誰も知らないが、羊飼自身でなかったことは確かであろう。

串田孫一の随筆「羊飼の星」から。

ひつじ話

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