『中世の秋』より「牧歌ふうの生のイメージ」

田園詩(パストラル)は、一個の文学ジャンル以上のものであることを、その本来の意義とする。
素朴、自然の喜びに明け暮れる羊飼いの生活を、たんに描写するのみではない。
それを追体験しようとする志向がそこにはあった。
つまり、これは「模倣(イミタティオ)」なのだ。
羊飼いの生活にこそ、愛本然の姿がそのままに実現されている、これはひとつのフィクションであった。
ひとは、このフィクションにそって、羊飼いの世界に逃げこもうとした。
(略)
けれども、後期中世は、なお、極度に貴族主義的な時代であり、美の幻想に対しては、まったく無抵抗であったのだから、美しく飾ることをしない自然のままの生活を求める気持ちも、強力なリアリズムにまではついにいたらず、ただ、技巧をこらして宮廷風俗を飾るにとどまったのであった。
十五世紀の貴族は、たしかに羊飼い、羊飼いの女役を演じはした。
けれども、その演技の内容たるべき、真実、自然への尊敬、質朴と労働への讃嘆は、なお、きわめて微弱だったのである。
三世紀ののち、マリー・アントワネットは、ヴェルサイユ宮庭園内の小トリアノン館で、乳をしぼり、バターを作った。
すでにそのころには、重農主義者の本気の願いが、この理想にこめられていたのである。
自然と労働とは、この時代、眠れる大神たちであったのだ。
だが、なお、貴族主義的文化は、これを遊びと化してしまったのであった。

テオクリトスの時代から延々と続く、牧歌(田園詩、パストラル)の文化について、ホイジンガ『中世の秋』の一章、「牧歌ふうの生のイメージ」より。
牧歌的情景に関する記事は、ずいぶんご紹介しておりますので、まとめてこちらで。
この貴族主義的文化に対しては、すでに古代ローマにおいてホラティウス「農村讃歌」が皮肉な見方を示しているようです。
また、マリー・アントワネットの田園趣味については、ツヴァイクの評伝をご紹介しています。
『中世の秋』についても、少しだけお話したことがありますので、こちらを。

ひつじ話

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