中世ヨーロッパのモノクロの流行

灰色の流行についてはドゥヴィーズの世界にも証言がある。
『騎馬試合の書』を著したアンジュー公ルネは、黒と灰色と白の三色を自らのドゥヴィーズとし、1437年のシャルル七世のパリ入市に際し、この三色を着た従者をしたがえて行列に加わったことが伝えられている。
1449年に彼は南フランスのタラスコンで「羊飼い女の武芸試合」を開催しているが、参加した20人の騎士のうち12人までが、黒か灰色か白、あるいはこの三色をドゥヴィーズの色としたと伝えられている。
試合は羊飼いの娘とのたわいない恋を歌った抒情詩、パストゥーレルに取材されたというから、灰色への好みは牧歌的なものへの憧れが源泉のひとつとしてあったのだろう。

以前お話したフランチェスコ会修道士のウールの服に見られるように、中世ヨーロッパにおいて清貧を象徴する色でしかなかった灰色は、15世紀以降に流行色となりました。その理由のひとつとして、先日ご紹介した「羊飼い女の武芸試合」の様子などを根拠に、牧歌的世界への憧れが挙げられるようです。
ドゥヴィーズについては、同じく「色で読む中世ヨーロッパ」から以下に引用を。

14世紀から15世紀の王侯貴族は、いわゆる家紋とは別に個人的な、多分に遊戯的なドゥヴィーズdeviseと呼ばれる紋章をもっていた。
(略)
いくらでも変更できるものだったし、複数の文様を使い分けることも可能で、武芸試合などの祝祭に合わせてそれをつくり、そこに心情的なものを込めることもあった。

ひつじ話

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