サン・ジョヴァンニ洗礼堂のコンクール〈追加)
カリマーラは当初大商人、ビジネスマンの組合だったが、経済の発展とともに、銀行家、絹織物業者、そして羊毛製造業者は別の組合を作ることになったので、15世紀には主に織物を扱う商人の組合となっていた。(略)
さて長い間の懸案であった、洗礼堂の第二のブロンズ扉の制作を決定したカリマーラ組合は、誰に制作を依頼すればよいか思案することになった。
フィレンツェにはブロンズ鋳造の伝統がなかったからである。
(略)
ギベルティが勝利した理由については、クラウトハイマーという学者の古典的研究がほぼ受け入れられている。
つまり、技術的にギベルティのほうが優れていたというのだ。
ブルネッレスキの浮彫は全体の重さが25.5キログラムだが、基盤の厚さは5ミリメートルしかない。
一方、ギベルティのそれは全体が18.5キログラムで、基盤の厚さは9ミリメートルある。
さらに、ブルネッレスキは四つの部分を合わせて一枚のパネルにしているが、ギベルティは全体を一つに作り、イサクの像だけを後から加える形をとっている。
つまりギベルティの作品は技術的にしっかりできており、全体の費用も40パーセント近く安い。
以前お話した、「古代以来最初の美術コンクール」(上記「フィレンツェの世紀」より)における、ブルネレスキとギベルティの「イサクの犠牲」とその審査基準について、詳しい解説書を見かけましたので、あらためて。
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