インカ帝国の羊
フランシスコ・ピサロが率いるスペイン人征服者たちは、1524年から二度の探検航海を行なったあと、1531年1月20日に再びパナマを出帆し、翌年の11月16日にアンデス山中のカハマルカで第13代皇帝アタワルパを捕虜にして、インカ帝国を手中にした。
(略)
征服者フランシスコ・ピサロの従弟ペドロ・ピサロが1571年に著した『ピルー(ペルー)王国の発見と征服』の中に次のような記述がある。
そこにいた何頭かの羊(リャマのこと)を贈られ、また航海中とらえた何隻かのバルサ船に、金銀の数珠玉で飾った帯や、何着かの土地の衣服を見つけ、陛下にお目にかける見本にするからエスパニャへ持って行こうということになって、保管することにした。
同じ年代記の中に、スペイン人を偵察しに来たアタワルパ皇帝の使者についての記述があるが、その使者は皇帝に「奴らは海から現れた髭の盗人であり、コリャオ地方の羊(リャマ)のような獣に乗って来た」と報告した。
スペイン人がリャマのことを「羊」と呼び、一方、インカ人が初めて見る馬を指して、「リャマのような獣」と言っているところが面白い。
アンデス文明の終焉とともに、リャマやアルパカは、はじめてヨーロッパ人と出会い、そして記録に残されました。「新大陸の羊」として。
というわけで、先日お話したばかりの「カンディード」に出てくる「エルドラードの赤い羊」ですが、たぶん正体はリャマかアルパカです。宝石とはいえ荷物を積めるようですから、まぁリャマですね。
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