羊の羮のうらみ(続き)

楚が鄭に命じて、宋を攻撃させた。
宋は華元を将軍とした。鄭の軍は宋の軍を打ち破り、華元を捕虜にした。
華元は、これから戦おうという時、羊をつぶして士卒にふるまったが、華元の御者だけは羊の羮の分配がなかったので、御者は怨みに思い、〔華元の戦車を〕鄭軍の中へ駆け込ませ、それで宋軍は敗れ、華元は捕えられたのである。
宋は戦車百台と飾りをつけた馬四百匹〔の賠償〕で華元を返して貰うことにしたが、まだそれらを全部鄭に送っていないうちに、華元は逃げ出して、宋へ戻った。

 史記 宋微子世家 

華元は羊をつぶして兵士たちに食わせたが、彼の〔戦車の〕御者羊斟(ようしん)には与えなかった。
これを怒った羊斟は〔車を〕とばし鄭の陣へ駆けこんだので、鄭は華元を捕虜にした。

 史記 鄭世家 

戦に先立ち、華元は羊を殺して戦士たちに振舞ったが、華元の御者をつとめる羊斟はそれから外された。
戦となるや、羊斟は、
「昨夕の羊は、子(あなた)がとりしきられた。今日の戦は、我(こちら)がとりしきります」
と、車を御して鄭軍に駆け入ったため、敗戦となったのである。

 春秋左氏伝 宣公二年 

羊羮のうらみで大変なことになるのは、中山国だけではなかったようです。
春秋時代の名宰相華元が、羊の羮のために陥った敗戦のエピソード。ちなみに、鄭伯の「肉袒牽羊」は、この十年後のお話です。

ひつじ話

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