羊羹の歴史
鎌倉新仏教、なかでも禅宗は和菓子のみならず、日本の食文化の発展にとって実に大きな役割を果たしています。
禅宗は中国(宋)へ留学した僧侶等によってもたらされましたが、同時に教義だけでなく様々な文化や習慣も将来されました。
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中国に渡った僧侶は、羊などの動物や魚を使った羮(あつもの)を見聞きし、食べもしたでしょう。
本来は魚肉食をしない禅僧ですが、信者から供養されたものは魚肉でも受けなければならなかったといいます。
その羮を日本へもたらした禅僧達、しかし本来彼らは魚肉食を禁じられていました。
寺院の中では小豆や大豆などの豆類や米・小麦をはじめとする穀物を粉にして練って、魚や羊や猪などの肉に見立てて成形した蒸物に、汁をかけて食べていました。いわゆる精進の見立て料理です。
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長い間料理(点心)として扱われてきた羊羹も、戦国時代頃には菓子に衣替えしています。
室町時代、饗膳の献立などに料理としての羊羹が登場する一方、茶席の菓子として羊羹が登場します。
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料理としての羊羹にしても、小豆などで作った固形物です。
この固形物が甘味を持ち、料理と共存しながら徐々に独立して、菓子に変化したのでしょう。
もともとは羊肉のスープだった羊羹が、なにがどうなってあの甘いお菓子になったのか。そのあたりの事情がよくわかる解説本がありました。
中途を抜かせば驚くような変化でも、歴史を知ればなるほどと…………思えるような、やっぱりよくわからないような。
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