カラヴァッジオ、カピトリーノの「洗礼者ヨハネ」(続き)
ジローラモ・マッティ枢機卿と兄のチリアーコ、弟アズドゥルバーレもカラヴァッジョの熱心なパトロンとなり、カラヴァッジョは、1601年夏にはデル・モンテ枢機卿のパラッツォ・マダマを出て、マッティ家の邸館に移った。
(略)
チリアーコ・マッティの息子は洗礼者ヨハネを意味するジョヴァンニ・バッティスタという名であったため、これはチリアーコが息子のために注文したものであると考えられてきたが、洗礼者ヨハネにしては、十字架状の杖や洗礼用の椀など、ヨハネであることを示す持物(アトリビュート)が見当たらないのが不自然である。
少年が抱くのが、子羊でなくて角の伸びた牡羊であることも図像の伝統に反する。
そのため、近年では、これはヨハネではないとする説があいついで唱えられ、とくに「解放されたイサク」であるとする説が有力になった。
犠牲に捧げられそうになったイサクが救われて、代わりに犠牲となる牡羊を抱いて喜んでいる場面であるというのである。
少年の座っているのが祭壇であることを示すように、画面左下には火の点いた薪のようなものも見える。
ずいぶん以前にご紹介した、カラヴァッジオの、カピトリーノ美術館蔵の「洗礼者ヨハネ」について、カラヴァッジオの解説本にこのようなお話が。そ、そうだったんですか?
洗礼者ヨハネ関連はこちら、イサクの犠牲についてはまとめてこちらで。イサクの犠牲の聖書該当部分は、これもカラヴァッジオの絵とからめてご紹介しておりますので、こちらでぜひ。
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