「食卓の賢人たち」
ウルピアヌスがこういう話をつづけているところへ、世にいう物知り料理人の見本のようなのが入ってきて、「ミュマでございます」と言った。
ほとんどの者にはこのミュマなるものが初耳だったので―その料理人はミュマとは何か説明しなかった―ぽかんとしていると、彼が言った、
(略)
「(略)料理術が格式の高いものだったことは、アテナイの触れ役を見れば分かります。
触れ役は料理人と犠牲獣の喉を切る係を兼ねていたのですからな。
(略)ホメロスでは、アガメムノンは王でありながら、彼自身が犠牲を供えております。
詩人はこう申しておりますでしょう(『イリアス』三、二九二)、
「(アガメムノンは)かく言うと、哀れみを知らぬ剣をかざして羊の喉を切った。
羊は息もたえだえに、あえいでおったが、青銅の刃に
命を奪われ、地面にくずれ落ちた。」
(略)
ローマでも、検察官―これはたいへん高い地位です―が紫の縁どりをした衣装を着け冠を戴いて、斧で犠牲獣を屠ります。
ホメロスでも触れ役が宣誓を行ない犠牲を執り行ったのは、何かのついでにたまたまやったわけではなく、これは古くから彼のつとめと決められていたことなのです。
「早速にも羊をつれ、プリアモス王を招くべく、ヘクトルは
城内へ二人の触れ役をつかわした。」(『イリアス』三、一一六)
一方アガメムノンは(同、一一八)、
「王アガメムノンはタルテュビオスをばつかわし、
虚ろに造った船の陣へ赴き、羊を持って参れと命じた。」
2世紀ごろにアテナイオスによって著された、古代ローマの宴席を描く「食卓の賢人たち」から、物知り料理人の長台詞を。
王が羊を牽くというと、古代中国の肉袒牽羊の故事を思い出しますが、立場はずいぶん違っていそうです。
なお、これまでに「イリアス」関連でソポクレスの「アイアス」とオデュッセウスを、
古代ローマの宴席については、「サテュリコン」とその続き、及びアピキウスのレシピをご紹介しています。
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