辻邦生 「春の戴冠」
父マッテオは富裕な羊毛輸出入商(カリマラ)であり、仕事のかたわら読書に専念し、著書も数冊残している。
(略)
そのなかには、わがフィオレンツァの花々しい興隆の姿が、雲の低く垂れた北の町々、ロンドンやブリュージュやリオンやリューベックなどの賑やかな風景、また梱包された羊毛、穀物袋、皮革、オリーブ油を満載したジェノヴァの船の風をはらんだ帆柱の軋りなどとともに克明に記されているのである。
いや、それだけではない。父の日記にはその日々の羊毛の取引高、手数料の変動、輸出織物の数量なども、少し右斜めにかしいだ几帳面な字体で詳細に記されている。
(略)
都門からはかたい石だたみの道を鳴らして馬車がひっきりなしに入ってきた。
もしその馬車がサン・フレディアーノ門からやってくるとすれば、それはほとんどピサを経由してジェノヴァから送られてきた羊毛の袋を満載していた。
フィレンツェの話をもう少し。
15世紀のフィレンツェを舞台にした辻邦生の歴史小説から。
羊毛を扱う富豪の家に生まれ、サンドロ・ボッティチェッリの幼友達でもあった主人公の「私」の目を通して、メディチ家による花の都の黄金時代と、サヴォナローラの台頭と破滅までが描かれます。
引用はその冒頭、すでに年老いた「私」が少年時代を回想し、その活気あふれる様と現在の荒廃とを引き比べて打ちのめされる場面です。
ボッティチェッリは、システィナ礼拝堂のモーセをご紹介しています。こちらの小説でも出て来ますよ。
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