ロバート・ソーントンが、1820年にブレイクに委嘱した木口木版画のシリーズである。「神奈川県立近代美術館所蔵 ヨーロッパ古版画展」カタログ
以前、サミュエル・パーマーの「眠る羊飼い」をご紹介したさいに触れた、ウィリアム・ブレイクのソーントン編「ウェルギリウスの牧歌」の挿画です。これまでにご紹介しているブレイクは、こちらで。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
ロバート・ソーントンが、1820年にブレイクに委嘱した木口木版画のシリーズである。「神奈川県立近代美術館所蔵 ヨーロッパ古版画展」カタログ
以前、サミュエル・パーマーの「眠る羊飼い」をご紹介したさいに触れた、ウィリアム・ブレイクのソーントン編「ウェルギリウスの牧歌」の挿画です。これまでにご紹介しているブレイクは、こちらで。
天界の事象と人界の出来事は関連しあっているという天人相関説は、古代思想の特色のひとつである。
星宿信仰は代表的な例だが、その密教版というべきものが星曼荼羅である。
北斗曼荼羅ともいい、延命や除災(災害を除く)を目的に修される北斗供(ほくとぐ)(星供(ほしく)ともいう)の本尊として用いられた。「王朝の仏画と儀礼 善をつくし美をつくす」展カタログ
野尻抱影の「星座」と、法隆寺の所蔵品二点のうち一方をご紹介している星曼荼羅ですが、あらためてもう一点のほうを。
高27.4センチ 商後期(B.C.15?B.C.11世紀)「坂本コレクション 中国古代青銅器」
時々お話している、古代中国の青銅器を。奈良国立博物館所蔵の瓿(ほう)です。肩のあたりに羊の犠首がついています。
こちらが収められている青銅器館は、現在、正倉院展期間中のため休館している模様。カタログはミュージアムショップ及び通販で購入可能です。
これまでにお話している中国古代青銅器については、こちらで。
名門ハプスブルク家の傾きを必死に支える皇帝フランツ・ヨーゼフが着用しているのは、微妙な関係にあるハンガリー(当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国)の軍服だ。
この上着はアッチラ服と呼ばれ、トルコ風毛皮帽とともに一世を風靡した。
中野京子の美術エッセイ集「名画に見る男のファッション」から、「ハンガリーの軍服姿の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」の章を。重厚謹厳な老皇帝の胸元に金羊毛騎士団勲章が下がっています。
ハプスブルクのお話はときどきしておりますので、こちらで。
「おお、これだ、これ。今田くん」 韮山がスマートフォンの画面を弾吉に向ける。「きみ、これ、どう思う?」
そこには羊が三匹いた。本物ではない。絵だ。それも水墨画らしい。
頭を垂れて草を食む一匹を真ん中にして、左右の羊はつまらなそうにそっぽをむいていた。
背景はなく、真っ白だった。簡素だが、描写はしっかりしていた。
それでいて、ぜんたいにトボケたタッチである。見ているうちに心が和み、自然と口元が緩んでいきそうだ。
「いい絵ですね」 弾吉は率直な感想を口にした。
「おお」 韮山が姿勢を正し、身を乗りだしてきた。 「で、どうだ。価値はありそうかね」
「一匹羊」をご紹介している、山本幸久の小説「展覧会いまだ準備中」です。
下っ端学芸員の主人公が古い絵の鑑定を頼まれるところからはじまる、右往左往と夢と希望。「一匹羊」とこっそり世界がつながってるのも、嬉しいところです。
もうずいぶん以前に、名古屋市の筒井町天王祭で曳行されるからくり山車「神皇車」をご紹介したことがあるのですが、この秋の市民まつりで、宵に提灯を点灯しての山車揃が行われると知って、見てまいりました。
例年の名古屋まつり「山車揃」に参加する山車9車が、長島町通(東照宮付近)で提灯を点灯し、本町通を練り歩いたのち、名古屋城でからくり演技を披露します。
神皇車(じんこうしゃ)
森高雅、山本梅逸ら郷土の高名な画家が下絵を手がけた十二支の水引幕は、江戸工芸美術の粋を伝えます。
また巫女から鬼面、そして龍神へと様変わりするからくりは必見です。
というわけで、夜の名古屋市役所及び県庁付近です。
きらきらとした山車がいくつも過ぎていくなかを待ち構えていると、見覚えのある山車がやってきました。
水引幕の十二支のうち、羊はたしか後ろのほう……ええと……
ありました!
宵闇の中で見ると、昼とはまた違った風情がありますね。
羊のあしらわれた山車といえば、なんといっても祇園祭の保昌山ですが、他にも類例がありそうです。この先、ご紹介の機会があれば良いのですが。
前期:10月24日(金)?11月7日(金)
後期:11月8日(土)?24日(月・振替休日)
会期中無休
開館時間:午前10時-午後8時 入館締切:各日午後7時30分
JR京都の駅ビル内にある美術館「えき」KYOTOにて、来週から歌川国芳展が開かれる模様。
以前ご紹介した「年が寄ても若い人だ」がチラシに使われていて、とても気になります。お近くならば、ぜひ。
歌川国芳については時々お話しておりますので、こちらで。
「近世ヨーロッパ絵画の軌跡」展カタログ
「海辺の羊」をご紹介している、19世紀フランスの動物画家ジャック=レイモン・ブラカサの「牛のいる風景」です。
背景の左側から、飼葉桶をかついだ羊飼いがやってくる。
彼は羊をひき連れて、城のまわりに繁茂する草木を帯状に取り除かねばならない。
敵が身を隠すのに利用されてはならないからだ。
むき出しになった土地は、城に近づくものを容赦なく支配者の前に晒し出すのである。
だが、その一方で貪欲な羊から、隣接する畑をも守らなければならない。
以前ご紹介したことのある、「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」の3月について、政治的な視点から解説を与える「政治的風景」の一文を。
「ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美」カタログ
18世紀フランス、ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー の「プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)の肖像」です。胸元に金羊毛騎士団勲章。
同時代の肖像画としては、フランシスコ・デ・ゴヤ「ウェリントン公爵の肖像」、ジョゼフ・デュプレシ「ルイ16世」、ヨーゼフ・ヒッケル「皇帝ヨーゼフ2世」をご紹介しています。
金羊毛騎士団のお話はよくしておりますので、こちらをご参考にぜひ。
樹下鳳凰双羊文白綾(じゅかほうおうそうようもんしろあや)
(樹下鳥獣文様の綾) 一片 径約五一
岩の上に立つ南国風花樹の下で向かい合う鳳凰を表した文様を中心に、その左右に樹下双羊文様を表し、それらの隙間に花卉・見返り鳥・花喰鳥・蝶・霊芝雲文様を対照的に配した文様の綾である。
(略)
この綾の用途は、形状から見ると鏡箱のうちばりか献物几(けんもつき)の褥(じょく)の類と思われる。
※ 献物几 仏に献納する品をのせる台机。宝庫には東大寺大仏などへの献納品をのせた献物几が多数伝存する。
褥 敷物のこと。献物をする際に献物の下に敷かれた几褥や僧侶の座具として用いられたものなどが正倉院宝物として伝わっている。「第65回正倉院展」カタログ
正倉院宝物つながりで、樹下鳳凰双羊文白綾です。ずいぶん前にご紹介してるのですが、全体像が載ったカタログがありましたので、改めて。
エジプトでは動物までもミイラにされた。
カイロに近いサッカラで発見された羊のミイラは、アモン神と同じ型の角を持っていた。
このミイラには毛や皮がなく、かわりに布が巻かれていたが、カイロの農業博物館に保存されているウールのフリースと毛糸はすでにまだらでない羊からとったと思われるものだった。
このウールは紀元前1400年頃のエジプト18王朝のファラオ、イクナートンを祀る寺院に残されていた。
同じ頃のバビロニアのウールにくらべると質はやや落ちるが、まだらでないということは、エジプトでも羊種の改良が進んでいたことを示唆している。
古代エジプトのミイラです。アモン(アメン)神については、こちらで。
ラシャメンとは、けだし羅紗綿の意で、当時、我が国へ渡来した紅毛碧眼の人々が来ていたラシャ(ポルトガル語)に由来するのでしょう。
それの綿に目をつけたまではよかったのですが、綿と羊毛とはまったく性質の異なる繊維だったのに気がついたとき、高級感をイメージすべき羊毛が、綿布など混同されてはたまらんと、心配症の人々が知恵をしぼったあげく、もともとの羊毛が縮んで波打つようにみえるところから、そのころ輸出品としてブームを呼んでいた絹織物の縮緬(ちりめん)に名を借り、緬羊という字をつくったものなのだそうです。
しかし、こうした苦労の末につくられたせっかくの緬でしたが、結局は迷案の域をでなかったらしく、戦後の漢字制限に遇って、あえなくその姿を消してしまいました。
先日、横浜絵をご紹介したときに触れた羅紗綿(羅紗緬)関連で、さらにもう少し。
「ヒツジ」や「綿羊(緬羊)」と並立する呼称の混乱について、「干支の動物誌」に興味深い解説がありました。
「どうするかというとですね、簡単な情況を設定して、それを同じ発音で意味の違う……ああ、つまり、同音異義の言葉で説明するんですよ。
例を挙げましょうか。ピクニックに行こうというときに、天気が快晴なら問題ありませんね。どしゃ降りの雨なら、これも話は簡単です。ところが、空はどんより曇っていて、天気予報が曇り後雨、ところにより晴れ間が出る見込み、というような場合はどうですか?」
(略)
答えが出そうもないと見て、ゴンザロは言った。「これはね、〈天気が転機(whether weather)〉だよ。天気(weather)がはっきりしなくて、ピクニックに行こうか、どうしようかと迷う。ここが判断の分かれ目(whether)だからね。分かれ目というのは、一つの転機だろう。それで、天気が転機、どうかね?」
(略)
ジェフリー・アヴァロンが七十四インチの高みからあたりを睥睨して言った。
「いいや、考えてみると結構あるものだよ。例えば、去勢した雄の羊を飼っているとするね。これが、天気のよい日は大いに活発に跳び回るけれども、雨の日はすっかりしょげ返って元気がない。じゃあ、曇りの日はどうかというと、元気があるようでもあり、ふさいでいるようでもあって、どうもはっきりしない。この羊の性質は、言ってみれば〈後天の好天はたまた荒天(whether wether weather)〉と」
一同は納得しかねて口々に不服の声を発した。
アヴァロンは言った。「つまりだね、去勢した羊(wether)だから、当然その性質は持って生まれたものではないね。すなわち後天的なものだよ。で、この羊は、天気のよい日と荒れ模様の日とで大いに気分が左右される、とこういうわけだ。ああ、そういう羊がいるのだよ。嘘だと思うなら、字引きを調べてごらん」
アイザック・アシモフのミステリシリーズ『黒後家蜘蛛の会』から、「同音異義」を。引用は、導入部兼伏線の会話です。同音異義語を使った言葉遊びが始まるのですが、その中に羊を使ったものがありました。
アシモフ自身のあとがきに、「翻訳者泣かせな作品」との一文が。さもありなん。
昨日、奈良の正倉院展についてお知らせしたところなのですが、もしご訪問のさいにお時間があれば、興福寺に立ち寄られることをおすすめします。
なぜかと言って、
十二神将立像 頞儞羅(あにら)大将「南円堂平成大修理落慶記念 興福寺国宝展」カタログ
この仏像があるから。
木造十二神将立像(国宝)
宮毘羅(くびら)、伐折羅(ばさら)、迷企羅(めきら)、安底羅(あんちら)、頞儞羅(あにら)、珊底羅(さんちら)、因達羅(いんだら)、波夷羅(ばいら)、摩虎羅(まこら)、真達羅(しんだら)、招杜羅(しょうとら)、毘羯羅(びから)の12体。
像高113.0〜 126.3cm
東金堂の須弥壇上に安置される、一具の十二神将像である。
十二神将は『薬師如来本願経』に説かれ、薬師如来とその信仰者を守護するとされる12体の夜叉である。
本一具は鎌倉時代の作で、ヒノキ材の寄木造。
十二神将はそれぞれに十二支が配当されますが、こちらの興福寺東金堂では、仏像の頭上に十二支の動物たちが載せられているのですよ。薄暗がりで遠目に見ることになるので、判別はほとんど不可能なんですが、「未」は頞儞羅(あにら)大将です。お気が向かれたら、ぜひぜひ。
奈良では、他に南都銀行本店の壁にもヒツジがいます。あわせてこちらもぜひ。