東方の驚異としての「司祭ヨハネの手紙」

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それから別のところにある私どもの地方では、ただ胡椒のみ茂り、それは刈り取られると、小麦・糧食・毛皮・生地と交換されます。
さらにこの地方は、柳に類似した樹木が森を成し、いたるところに蛇がいます。
これらの蛇は大きく、二つの頭をもち、牡羊のような角、そしてランプのように光る眼をもっています。
胡椒が成熟するや、近隣地方のすべての民衆が、籾殻、藁、よく乾いた木を両手に携えてやって来て、それらを用いて、森全体をあらゆる方向からとり囲むのです。
そして風邪が激しく吹くときに、蛇が森の外に出てゆくことができないよう、森の内外に火を付けると、自分の洞窟に逃げ帰った蛇をのぞいて、蛇はことごとく、強く熱せられた火の中で死滅するのです。

「皇帝の閑暇」をご紹介している『西洋中世奇譚集成』シリーズからもう一冊、「東方の驚異」を。プレスター・ジョンの伝説として知られる「司祭ヨハネの手紙」が収録されているのですが、その中に昨日お話した「胡椒を守る蛇」が出てきます。

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東方の驚異としての「胡椒を守る蛇」

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胡椒を守る蛇
『東方の驚異』
1025年頃 ロンドン、大英図書館
蛇は「雄羊のような角をもち、コルシアスと呼ばれており」、胡椒の木を守っている。
「人が胡椒を集める時は、火を持って近づき、それによって蛇は地下にもぐり、胡椒は黒くなる」。

中世ヨーロッパの人々が未知の世界に対してふくらませた想像の数々については、これまでに植物羊「北方民族文化誌」などのお話をしているのですが、その類型である角のある蛇が描かれた写本の一部です。
なんとなくゴネストロップの大釜を思い出すのですが、どこかでつながっている可能性はあるのでしょうか。

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皇女コンスタンティナの石棺

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コンスタンティナの石棺 コンスタンティナの石棺(部分)
4世紀半ば 紫斑岩 160×235×157センチ
ヴァティカーノ美術館
この石棺は、ノメンターナ街道のサンタニェーゼ・フォリ・レ・ムーラ聖堂に付属するコンスタンティヌス帝の娘コンスタンティナ(354年没)の霊廟、サンタ・コンスタンツァ聖堂に置かれていたものである。

なんどかお話している、初期キリスト教美術関連でひとつ。
プットーがブドウの収穫をする画面の下端を、羊が歩いてます。

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ルイ11世を助けたバルカンの羊たち

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ブルガリアでは、チーズやヨーグルトは食生活に欠かせない食べ物であるだけでなく、古代トラキア人にかかわる重要な文化遺産の一部ともみなされている。
2006年に設立されたヨーグルト博物館では、「ルイ11世の機密文書より」というパネルのなかで興味深い歴史が紹介されている。
それによると、胃腸病にかかったルイ11世を助けるために、コンスタンチノープルの医師が羊の群れをパリまで連れていき、そのミルクを発酵させてフランス王に食べさせつづけた結果、病気が完治したという。
事実かどうかわからないが、バルカンの羊たちはルイ11世の命の恩人なのかもしれない。

国立民族学博物館の広報誌『月刊みんぱく』の連載、「生きもの博物誌」シリーズをもとにまとめられた『食べられる生きものたち』の一章、「フランス史に痕跡を残したバルカンの羊たち」から。おいしいのでしょうね、羊乳ヨーグルト。食べてみたいです。

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クロード=ジョゼフ・ヴェルネ 「アルプスの女羊飼い」

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「アルプスの女羊飼い」

「17世紀─19世紀・名作でつづるフランス絵画 トゥール美術館展」

18世紀フランスの風景画家、クロード=ジョゼフ・ヴェルネの「アルプスの女羊飼い」です。
ヴェルネはローマに長く滞在し、クロード・ロランなどから影響を受けています。
クロード・ロランはいくつかご紹介しておりますので、こちらで。

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『皇帝の閑暇』より、「「貞潔羊」と呼ばれる樹」

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「貞潔羊」と呼ばれる樹がございます。
もし眠り人の頭の下に、その枝を一本敷けば、眠っているあいだ中、幽霊の幻を夢見ることはないでありましょう。
ですから伝承によりますと、アブラハムが祭壇を建てたモリア山で、犠牲に供された獣たちの皮にくるまって眠っていたレベッカが、双生児が彼女の胎内でたがいにぶつかりあっていると主に相談したときに頭の下に敷いたのは、この樹の一本の枝であるということです。

12、3世紀のヨーロッパ、ティルベリのゲルウァシウスによって蒐集・編纂された驚異譚集、「皇帝の閑暇」から。
なにがどう貞潔で羊なのかわかりません。わかりませんが、なにかこう。
レベッカというのは、創世記に出てくるエサウとヤコブの母リベカのことですね。聖書の該当部分を下に。

主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。
ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、
「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」。
彼女は行って主に尋ねた。

 旧約聖書 創世記第二十五章 

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ジャン=フェルディナン・シェノー 「羊の群れ」

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「羊の群れ」
ジャン=フェルディナン・シェニョー
1830、ボルドー ─ 1906、バルビゾン
1858年、バルビゾン村に移居、フォンテーヌブローの森の風景を描く。
シャルル・ジャックに技法上の影響を受け、また主題も同様に、羊の群れを好んで描く。
1870年にはバルビゾン村に家を持ち、そのアトリエからは直接に羊の群れを見ることができた。

 「印象派とフランス近代絵画の系譜」カタログ 

19世紀フランス、ジャン=フェルディナン・シェノーの「羊の群れ」です。
シェノーは何度かご紹介しておりますので、こちらで。
また、影響を与えたシャルル=エミール・ジャックもご参考にこちらでぜひ。

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シュメルの論争詩 「羊と麦」

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シュメルの詩の一分野に「論争詩」と呼ばれるものがある。
『鳥と魚』「鷺と亀』『夏と冬』『羊と麦』などなど、題名を見るとまるでイソップ寓話の先祖が勢揃いしたかのようだ。
イソップの『北風と太陽』のようにシュメルの詩でも鳥や魚、夏や冬が擬人化され、各対決者がそれぞれ自分の利点をあげ連ね、相手の欠点をあげつらう。
たとえばドゥムジとエンキムドゥにも似た論争詩『羊と麦』のあらすじは次のようである。

(略)
エンキ神とエンリル神の計らいで、人類が神々の聖なる食卓のために創造された羊と麦の世話をすることになった。
あるとき、立派になった羊と麦姉妹は葡萄酒やビールを痛飲した挙げ句に口論をはじめた。
「羊というものは、肉も乳も毛も腸さえも有用なものだし、その皮は水の革袋やサンダルにもなるのよ」と羊が自慢すれば、麦も負けずに
「麦ならパンはもちろんのこと、ビール製造に欠かせないふすま(マッシュ)にもなり、そのうえ羊を飼育さえするのよ」と応酬する。
そこでエンキ神が調停に乗り出し「まあまあ、姉妹なんだから、そう突っかからずに。とはいえ、ここは麦の勝利ではなかろうか。なんとなれば、人類は金銀宝石や羊なしでも生きられるが、麦なしには生活できないのだから」とエンリル神にお伺いを立てた。

(略)
『羊と麦』では「麦の勝利」ということになっている。
イナンナ女神が夫として農夫を選ぼうとしたのも、そうした価値基準を踏まえているとも考えられる。

以前お話した、牧畜と農耕の対立を描くシュメル神話「ドゥムジ神とエンキムドゥ神」に関連して、「羊と麦」を。擬人化された「羊」と「麦」の論争によって、両者が比較されています。
シュメル文明のお話は時々しておりますので、こちらで。

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「アンドロイドの夢の羊」

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「残念だがそれほど単純な話ではないのだよ、長官」
ナーフ=ウィン=ゲタグは身を乗りだし、ブリーフケースからタブレット端末を取り出すと、それをヘファーのデスクに置いた。
「どんな羊でもいいわけではない。ある特定の品種、それもきわめて希有な品種の羊でなければならない。実をいうと、アウフ=ゲタグ氏族が権力の座についたときに特別に開発された品種なのだ─毛の色にきわだった特徴がある」
ヘファーは手をのばしてタブレット端末を受け取った。
エレクトリックブルーの毛におおわれた一頭の羊の写真が表示されていた。
「〈アンドロイドの夢〉と呼ばれる品種だ」

ジョン・スコルジーの小説です。あとがきに「フィリップ・K・ディックが墓のなかで嘆いていなければいいのだが。」とかありましたが、なんというか、バカSFです。でも、ディックへのオマージュとして読むことは充分可能。
トカゲ似のエイリアンとの外交交渉のために希少な羊を探すことになった、戦争の英雄にして凄腕ハッカーの主人公。見つかった羊の正体がまた、色々とこう。

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ポラジンスカ 「白いひつじ」

ひつじ話

そのひつじは、ほかのひつじたちと、どこかちがっていました。
まるで雪をふりかけたように、まっ白で美しいそのひつじは、いつも先頭にたって、むれをみちびいていました。
そしてヤーネクがふえをふきはじめると、どんなにとおくはなれていても、ヤーネクのそばへかけよって、じっとふえの音にききいるのでした。
ヤーネクも、その白いひつじがかわいくてたまりませんでした。
白いひつじがいるので、みなしごのくらしも、まえのようにつらくはありませんでした。

ヤニーナ・ポラジンスカ文、ミーハウ・ブィリーナ絵、内田莉莎子訳のポーランド民話集『千びきのうさぎと牧童』より、「白いひつじ」です。
やとわれ羊飼いのヤーネクと美しい白いひつじは、しあわせな日々を過ごしていました。しかしある日牧場主が、子羊を産まない役立たずの白いひつじを処分しようと言い出して……。

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『中世の秋』より「牧歌ふうの生のイメージ」

ひつじ話

田園詩(パストラル)は、一個の文学ジャンル以上のものであることを、その本来の意義とする。
素朴、自然の喜びに明け暮れる羊飼いの生活を、たんに描写するのみではない。
それを追体験しようとする志向がそこにはあった。
つまり、これは「模倣(イミタティオ)」なのだ。
羊飼いの生活にこそ、愛本然の姿がそのままに実現されている、これはひとつのフィクションであった。
ひとは、このフィクションにそって、羊飼いの世界に逃げこもうとした。
(略)
けれども、後期中世は、なお、極度に貴族主義的な時代であり、美の幻想に対しては、まったく無抵抗であったのだから、美しく飾ることをしない自然のままの生活を求める気持ちも、強力なリアリズムにまではついにいたらず、ただ、技巧をこらして宮廷風俗を飾るにとどまったのであった。
十五世紀の貴族は、たしかに羊飼い、羊飼いの女役を演じはした。
けれども、その演技の内容たるべき、真実、自然への尊敬、質朴と労働への讃嘆は、なお、きわめて微弱だったのである。
三世紀ののち、マリー・アントワネットは、ヴェルサイユ宮庭園内の小トリアノン館で、乳をしぼり、バターを作った。
すでにそのころには、重農主義者の本気の願いが、この理想にこめられていたのである。
自然と労働とは、この時代、眠れる大神たちであったのだ。
だが、なお、貴族主義的文化は、これを遊びと化してしまったのであった。

テオクリトスの時代から延々と続く、牧歌(田園詩、パストラル)の文化について、ホイジンガ『中世の秋』の一章、「牧歌ふうの生のイメージ」より。
牧歌的情景に関する記事は、ずいぶんご紹介しておりますので、まとめてこちらで。
この貴族主義的文化に対しては、すでに古代ローマにおいてホラティウス「農村讃歌」が皮肉な見方を示しているようです。
また、マリー・アントワネットの田園趣味については、ツヴァイクの評伝をご紹介しています。
『中世の秋』についても、少しだけお話したことがありますので、こちらを。

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ロシア民話 「とりかえっこ」

ひつじ話

百姓はとりかえて、牛の角をひっぱっていった。
すると羊の群れがいた。その牧童が百姓にこうたずねた。
「やあ、お百姓、どこへ行ってきたんだね」
「王さまのところさ、ゼリーをもってね」
「王さまから何をもらったんだい」
「金の山鳥だよ」
「その山鳥はどこにいるんだ」
「馬とかえたよ」
「その馬はどこだい」
「牛ととりかえたのさ」
「その牛と羊をとりかえっこしようじゃないか」
百姓が羊を追っていくと、豚の群れがいた。
牧童が百姓にこう言った。
「やあ、お百姓、どこへ行ってきたんだい」

先日の、「姉アリョーヌシカと弟イワーヌシカ」に続いて、アファナーシェフのロシア民話集からもうひとつ。
王さまにゼリーを献上して金の山鳥をもらったお百姓が、帰り道でとりかえっこを繰り返し、家に着いて女房に手ひどくぶたれるまでの一部始終。

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トロワイヨン 「小さな群れ」

ひつじ話

「小さな群れ」
1840年以降はフォンテーヌブローの森でバルビゾンの画家グループと頻繁に合流した。
そこでトロワイヨンはバルビゾンの農場で選んだ動物をモティーフに描くようになり、動物画というジャンルの直接的で総合的な写実主義に心を奪われるようになった。
1847年にオランダに旅行したことは重要な意味をもち、その際に17世紀オランダの画家の動物画、とりわけカイプとポッテルの作品に開眼したことで、トロワイヨンの動物への傾倒はさらに強まった。

「ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画─新古典主義からロマン主義へ」

19世紀フランス、コンスタン・トロワイヨンの「小さな群れ」を。
影響を受けたオランダの動物画家のうち、カイプについては「平原の眺め」を、ポッテルは「休息する家畜の群れ」「若い牡牛」をご紹介しています。
また、トロワイヨンがその主要な一人とされるバルビゾン派については、まとめてこちらで。

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ハーバート・ドレイパー 「金の羊毛」

ひつじ話

「金の羊毛」 「金の羊毛」(部分)
この絵は1904年のロイヤル・アカデミーに出品されたもので、「タイムズ」紙に「ひときわ高い人気を博した作品群」と書かれたものの1点である。
(略)
彼らはイアソンの仲間、アルゴー船の勇士たちと共に、ギリシアへ帰る旅に出た。
しかしながら、王は彼らを追いかけてきた。
そこでメディアは、自分の弟アブシュルトスを海に投げ込むよう指図した。
そこでアイエテスは彼を救わんとして仕方なく追跡をやめ、おかげでイアソンは逃げおおせたのだった。
ドレイパーが描いているのはこの場面である。

「バーン=ジョーンズと後期ラファエル前派展」カタログ

19世紀末?20世紀初頭イギリス、ハーバート・ジェイムズ・ドレイパーの「金の羊毛」です。
金羊毛の神話についてはこちら、関連記事はこちらで。
また、同時代のラファエル前派についてもいくらかご紹介しておりますので、こちらで。

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ロシア民話 「姉アリョーヌシカと弟イワーヌシカ」

ひつじ話

アリョーヌシカがイワーヌシカの名を呼ぶと、イワーヌシカのかわりに白い子羊が姉のあとから駆けてきた。
アリョーヌシカはわけを察してさめざめと涙を流し、干草の山のかげにすわって泣いていたが、子羊はそのわきの草の上を跳ねまわっていた。
ちょうどそこへ一人の貴族が馬車で通りかかり、馬を止めてたずねた。
「美しい娘さん、どうして泣いているのかね」
アリョーヌシカがわが身の不幸を話して聞かせると、貴族は言った。
「わたしについてきなさい。おまえに美しい衣装を着せて銀のかざりもつけてあげよう。子羊もけっして見捨てはしないから。おまえが行くところどこへでも連れていくがいい」

アレクサンドル・アファナーシェフのロシア民話集から、「姉アリョーヌシカと弟イワーヌシカ」を。
子羊の姿に変えられた弟を連れて貴族の奥方になった姉は、彼女に化けた魔女によって水に沈められてしまいます。残された弟の子羊も魔女に食べられそうになるのですが……?
アファナーシェフの民話は、これまでにいくつかご紹介しています。こちらでぜひ。

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