ホラティウス 「農村讃歌」

ひつじ話

テルミヌスの宴の最中に
家路を辿る羊らを
見るのは楽しい光景だ。
疲れた牛はのそのそと
背中に逆にのせられた
鋤を運んで戻って行く。
燃える囲炉裏を囲んでいる
家で育った召使は
金持の家族と同様だ」。
こういったから金貸しの
アルフィウスは、百姓に
なるかと思えば、満月の
月の半ばに貸した金を
取り立て、次の月初めに
またその金を貸し出すのだ。

ホラティウスの『エポドン』より、「農村讃歌」を。
古代ローマの田園志向のお話はしたことがあるのですが、それに対する皮肉な見方もまたあったのですね。

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ジュリアン・デュプレ 「羊飼い」

ひつじ話

「羊飼い」
ジュリアン・デュプレは、働く農民の姿を画題にした画家たちの第2世代にあたる。
本作品は1883年のサロン(官展)に出品したものである。

 「田園讃歌 近代絵画に見る自然と人間」展カタログ 

「羊飼いの女」「羊飼いの女と羊の群れ」をご紹介している、ジュリアン・デュプレの「羊飼い」です。地母神のように堂々とした美しい農婦を描く画家、みたいなイメージがあったんですが、この男性羊飼いと牧羊犬のコンビも良いですね。
新潟県立近代美術館・万代島美術館所蔵。

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ヨーロッパの羊伝説

ひつじ話

穀物霊としての動物
穀物に棲む動物霊をネコ、ウサギ、ヤギ、ウシ、ウマ、オオカミなどで現す地域が多い。
(略)
フランスのギエンヌでは最後の穀物が刈り取られると、一頭の去勢ヒツジを畠中引き回す。
それは“畑のヒツジ”と呼ばれ、角は花輪や穀物の穂で、頭や体は花束や色紐で飾る。
刈り手は皆このヒツジの後について歌いながら行進し、最後に畑で屠殺する。
最後の刈り束を“去勢ヒツジ”という。
生贄、替罪羊など
ギリシア、ローマの儀式の規則では、殺す前に生贄の頭に焼いた穀物と塩の混合物をふりかけ、頭に特別な花冠を被せ、牡ウシ、ヒツジ、ヤギの角は金色に塗った。
生贄を捧げる人も頭に花冠をつけた。

動物にまつわるヨーロッパの伝説を集めた本から、ヒツジ関連のものを。

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エル・グレコ 「羊飼いの礼拝」(続き)

ひつじ話

「羊飼いの礼拝」 「羊飼いの礼拝」(部分)

 「エル・グレコ展」カタログ 

先日来、マイスター・フランケ「キリスト降誕」シント・ヤンス「キリストの降誕」など、後景に羊飼いへのお告げが描かれた絵画作品をご紹介しているのですが、他に似たものはないかと探したところ、ずいぶん以前にお話したエル・グレコ「羊飼いの礼拝」がまさにそれでした。ので、改めて。

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串田孫一版ギリシア神話

ひつじ話

イアソンはその竜を踏み越えて、遂に金毛の羊皮を木からはずし取ることに成功した。
三人は急いで森をぬけ、羊皮を捧げ持って船へ戻った。
メディアは、自分はもう殺される身だが、急いで船を出して逃げるようにと言った。
イアソンはここまで世話になり、助けてもらったメディアを残して行くこともできず、結婚の約束をして船に乗せて行くことにした。弟も一緒に乗せた。
船は手早く用意をして、パシス川を下り、金毛の美しい皮を柱にかかげて走り出した。
オルペウスは勝利の曲を奏でると、勇士たちは漕ぐ手を早めた。

「雲」などをご紹介している串田孫一によるギリシア神話から、「いかにしてイアソンは金毛の羊皮を取ることができたか」の章を。
イアソンと金毛の羊関連の記事は、こちらでまとめてぜひ。

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「動物農場」の羊の冗談

ひつじ話

『動物農場』での羊の読み書き能力はかなり低いもので、かれらも〈七戎〉を覚えられず、「よつあしいい、ふたつあしだめー!」のスローガンを与えられる。
(略)
ところが、第十章で、〈七戎〉の第一条と第二条を破って、ブタたちが二本足で歩き出す場面で、羊たちはとつぜん正反対のスローガン、「よつあしいい、ふたつあしめーっぽういい」と唱え出す。
事前にナポレオンが仕込んだとはいえ、ずいぶん安直に逆のスローガンに移れたものだね。
(略)
そう、ぼくの訳文にも仕掛けがある。ふたつならべてくらべてみよう。
よつあしいい、ふたつあしだめー! (Four legs good, two legs bad.)
よつあしいい、ふたつあしめーっぽういい! (Four legs good, two legs better!)
そうそのとおり。羊の鳴き声をしゃれにして訳しているわけだ。
英語原文でいうと、badとbetterのbの音のしゃれだ。
前提になっているのは、英語では羊は「バア、バア baa baa」と鳴くということだね。
マザー・グースの羊が出てくる歌(「バア、バア、ブラック・シープ」など)、またルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で女王様がbetterという語の発音を引き金にして「バア、バア」と言いながら羊に変身してしまうくだりに見られるように、おとぎばなしのなかではおなじみの「語彙」なんだ。

先日ご紹介したジョージ・オーウェル「動物農場」の、翻訳者による解説書から。こちらの本では、また、オーウェル自身による「笑うに値する冗談には、かならずある思想がひそんでいる。それはたいてい破壊的な思想である」との箴言が紹介されています。
なお、『鏡の国のアリス』の原文が未紹介でしたので、下に。

“Then I hope your finger is better now?”
Alice said very politely, as she crossed the little brook after the Queen.
“Oh, much better!” cried the Queen, her voice rising into a squeak as she went on.
“Much be-etter! Be-etter! Be-e-e-etter! Be-e-ehh!”
The last word ended in a long bleat, so like a sheep that Alice quite started.

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マイスター・フランケ 「キリスト降誕」

ひつじ話

「キリスト降誕」 「キリスト降誕」(部分)

15世紀ハンブルクの画僧、マイスター・フランケによる、聖トマス・ア・ベケットの祭壇画より「キリスト降誕」です。遠くに羊飼いへのお告げの場面が。
羊飼いへのお告げ関連では、先日のシント・ヤンス「キリストの降誕」や、サン・イシドロ聖堂天井画等々をご紹介しています。

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杉山平一 「機械」

ひつじ話

詩集〈夜学生〉から
機械

古代の羊飼ひが夜空に散乱する星々を蒐めて巨大な星座と伝説を組みたてゝ行つたやうに  いま分解された百千のねぢ釘と部品が噛み合ひ組み合はされ  巨大な機械にまで結晶するのを見るとき  僕は僕の苛だち錯乱せる感情の片々が一つの希望にまで建築されゆくのを感ずる

杉山平一の詩を。

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シント・ヤンス 「キリストの降誕」

ひつじ話

「キリストの降誕」 「キリストの降誕」(部分)
トート・シント・ヤンスの《キリストの降誕》は、十七世紀フランスのジョルジュ・ド・ラトゥールに通じる夜景表現で有名だが、人形のような人物表現も大きな魅力になっている。

「荒野の洗礼者ヨハネ」をご紹介している、ヘールトヘン・トット・シント・ヤンスの「キリストの降誕」です。後景に天使のお告げを受ける羊飼いたちが。
比較に挙げられているラトゥールについては、こちらをご参考にぜひ。

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ヨーロッパ史における羊と呪術

ひつじ話

ゲルマン民族においては羊は収穫の際の生贄として用いられ、一八〇二年にもまだチューリンゲンで行われており、収穫の際に羊が一匹殺され捧げられた。
今日でもマルクグレーニンゲンでは八月二十四日に刈り畠で乙女たちが裸足で一匹の羊を追いかける行事が行われている。
羊の形をしたパンはかつての生贄と供物の残滓であるが、それは今でも各地に見られる。
それは繁殖力のシンボルであり、羊や子山羊の形をした雲からきたものと見なされている。
死者の軍勢と呼ばれる死者の行列の中にも羊が走っていることが伝えられている。
シュレージェンでは精霊降誕節の行列のあと焙られて皆で食された羊の骨を、翌日日が昇る前に畠に刺しておくと種子の発芽がよいといわれていた。
三角形の鎖骨は愛の魔術にしばしば用いられていた。

阿部謹也『「世間」への旅」』に収められた一章、「ヨーロッパ史の中の羊のイメージ」から、呪術における羊の役割の重要性についての部分を。

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「鏡の国のアリス」

ひつじ話

「じゃあ、もうお指はだいじょうぶなんですね?」
アリスがとてもていねいに言って、クイーンを追って小川をまたいだ、そのときです─
「ああ、ずっといいの」と、さけんだクイーンの声が、こんなふうに変わっていきました。
「めっちゃええわ! めぇえーちゃええー! めぇえーええー! めえええー!」
最後の言葉はヒツジのような長い鳴き声になったので、アリスはたいそうびっくりしました。
クイーンを見てみると、とつぜんウールでからだをくるんだように見えました。
アリスは目をこすって、もう一度見てみました。
いったいどうなってしまったのか、さっぱりわかりませんでした。
ここはお店のなかでしょうか?
それに、そこにいるのはほんとうに─カウンターの向こう側にすわっているのは、ほんとうにヒツジ?
どんなに目をこすってみても、それ以上のことはわかりません。
アリスは暗い部屋にいて、カウンターにひじをついてもたれかかっていて、向かいには年とったヒツジがひじかけイスにすわって編み物をし、ときおり手を休めては大きなメガネごしにアリスを見ているのです。

大昔に海洋堂フィギュアの「編み物をする羊」をご紹介したきり、なぜかお話しそこねていた「鏡の国のアリス」を。引用は、河合祥一郎訳の角川文庫版です。

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古代キリスト教美術の誕生

ひつじ話

カタコンベ壁画に旧約聖書や新約聖書場面が登場するのは三世紀半ば以降であるが、二世紀末から三世紀初めにはキリスト教徒は、既存のローマ異教葬礼美術の図像レパートリーの中から、キリスト教の文脈でも利用できる図像を巧妙に選んで墓を飾っていたとみなすのが、今日、一般的な見解となっている。
(略)
異教、キリスト教を問わず三世紀後半の石棺浮彫りやカタコンベ壁画にも頻繁に登場する奏楽や読書、擬人像表現による四季の営み、さらには狩猟の情景、羊飼いと羊や山羊の群れの牧歌的田園情景は、死者に手向けられた理想的な死後世界の表現である。
そして同時にそれはローマ社会の上流階層の教養人たちが、海辺や田園の別荘(ヴィッラ)に求めた精神的世界そのものの表現でもあった。
(略)
三世紀後半はローマ社会の混乱期ではあったが、キリスト教会にとっては非常に重要な時期で、財力もあり教養もある多くの人々が入信した時期でもあった。
彼らが田園の別荘生活に求め、実践した精神的生活が、キリスト教への改宗をより容易にしたともいえる。
そしてシドニウス・アポリナーリスをはじめとする四?五世紀の文人たちも伝えるように、ローマ社会の伝統的な貴族階級の者たちはキリスト教徒となったのちも、田園のオティウムの世界で獲得した古典的教養の世界を決して捨てることはなかった。

ヴァチカン美術館所蔵の石棺カタコンベ天井のフレスコ画ゴールドサンドイッチガラスなどについてお話している、初期キリスト教美術のそのはじまりについて、わかりやすい解説書がありましたのでご紹介を。

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ターナー 「クリューズ渓谷の小針峰、フランス」

ひつじ話

「クリューズ渓谷の小針峰、フランス」
「マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵 巨匠たちの英国水彩画展」カタログ

愛知県岡崎市の岡崎市美術博物館にて、18、19世紀英国の風景画を中心とした、「マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵 巨匠たちの英国水彩画展」が開かれています。ひつじ度高いです。
以前、「ヴァレ・クルージス修道院、デンビシャー」をご紹介したことのあるターナーほか、 「めえめえ仔羊」をご紹介のブラウン「両親の家のキリスト」ミレイなどによる羊が目白押しです。
岡崎市美術博物館での開催は、2012年6月24日(日)まで。その後、
2012年7月14日(土)?9月24日(月) 島根県立石見美術館
2012年10月20日(土)?12月9日(日) Bunkamura ザ・ミュージアム
2012年12月18日(火)?2013年3月10日(日) 新潟県立万代島美術館
こちらに、巡回が予定されているようです。ご縁がありましたら、ぜひぜひ。

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饅頭起源説話

ひつじ話

次に「曼頭」(饅頭)は後世まで盛行して、我が国にも製法が輸入されているので、その形状品質は周知の通りであるが、その原始的なる物は中の餡に獣肉を用いたのである。
これに関して宋の高承の『事物起源』巻九に奇怪なる起源説が語られている。
即ち蜀の諸葛孔明が孟獲を征した時、人の勧めにより蛮神を祭って加護を祈ったが、蛮俗では人を殺してその首を供える風習であったのを、孔明は羊と豚の肉を麺に包んで人頭に象ったものを作ってこれに代えた、饅頭はこれから始まったのだという。
更に明の郎瑛の『七修類稿』巻四十一には、最初これを「蛮頭」といったが、後に訛って「饅頭」としたのだと補足している。
しかしこれはむしろその反対に、「曼」と「蛮」と字音が相通ずるところから、右のような奇怪な縁起説が起ったのであろう。

三国志演義などで饅頭の起源説話をご存知のかたも多くいらっしゃると思うのですが、青木正児の「華国風味」を読んでおりましたら、この説話が奇怪呼ばわりされてました。いや奇怪ですけども、たしかに。
青木正児の著書は、「随園食単」訳注「中華飲酒詩選」などをご紹介しています。

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ドービニーのエッチングとクリシェ=ヴェール

ひつじ話

「羊の柵囲い」
クリシェ=ヴェールは、1800年代中頃に写真技術発達の過程で派生的に誕生した技法である。
皮膜で覆ったガラス板をニードルなどで引っかいて絵を描く。
このように線の部分のみ光を透過するようにした原版を、印画紙に重ねて感光することで図柄を得る。
フランスやイギリス、アメリカで流行したが、とりわけバルビゾン派の画家たちは1850年代から60年代にかけて数多くの作品を試みている。

 「絵画と写真の交差 印象派誕生の軌跡」展カタログ 

「夕日」などをご紹介している、シャルル=フランソワ・ドービニーのエッチング「羊の柵囲い」及びクリシェ=ヴェール「羊のいる囲場」です。同じ原画から作られたものとのことですが、技法によって雰囲気が違ってくるものですね。

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