ツツジと羊と羊躑躅

ひつじ話

植物名の多くを中国から借用している事実があるにもかかわらず、万葉植物の考証過程で中国本草学の記述は詳細に検討されることはなく、とりわけ近代の考証家にその傾向は著しい。
古代日本が邦産植物に漢名を充てようとしたのは、東アジア文化圏において漢名が現在の学名(ラテン名)に相当する機能をもっていたからにほかならない。
(略)
『本草経集注』(陶弘景)にある「花苗、鹿葱に似て、羊其の葉を誤食すれば、躑躅(てきちょく)して死す。故に以て名と為す」という記述はきわめて有力な情報を与えてくれる。
躑躅(てきちょく)は「たちもとおる、ゆきもどりつする」という意味であるから、羊が葉を食べると、足が麻痺、萎えて竦むことを示唆し、羊躑躅という名もこれに由来するというのである。
(略)
中国では躑躅花は羊躑躅(トウレンゲツツジ)の花であり、(略)邦産ツツジ類で躑躅花の代用となり得るのは、トウレンゲツツジの変種であり、形態が酷似して有毒であるレンゲツツジをおいてほかはない。
(略)
ツツジのすべてに毒性があるわけでなく、ほとんど無毒のツツジも少なからずあり、中には山菜のように消費されるものがある。
(略)
ツツジの花冠を食べる習慣がかなり古くから始まったことを示唆する間接的な証拠なら、室町時代に成立した『塵添壒嚢鈔』巻九に見ることができる。
それによれば、「羊ノ性ハ至孝行ナレハ此花ノ赤キ莟(つぼみ)ヲ見テ母ノ乳ト思テ躑躅シテ膝ヲ折リテ之ヲ飲ム故ニ云」とあり、これは羊躑躅の語源を説明したものであるが、「赤キ莟」とあるから花冠は赤色であり、また中毒を起こすとは一言も触れていないから、レンゲツツジのことでないことは明らかである。
この『陶景注』と似て非なる語源説は、赤い花冠のツツジすなわちヤマツツジやサツキを食べても安全であることをいわんとしているように見え、漢籍の記述を大きく変質させていることから、日本で発生した俗話であることはまちがいない。
現在の日本では、躑躅は広くツツジ科ツツジ属種を表すが、中国ではトウレンゲツツジとその近縁種だけを指し、そのほかのツツジにこの字を用いることはない。
有毒なツツジ類とそうでないのを区別しているからであろう。

「一休、あて字を訓み給ふ事」モチツツジと羊の関係「和漢三才図会」などをご紹介しつつもいまひとつすっきりしない、「躑躅」の語源のお話をもう少し。万葉植物の考証事典に混乱の原因について明快な説明がありましたので、引用を。

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シャルル=エミール・ジャック 「森の中の羊飼いと羊の群れ」(山寺後藤美術館)

ひつじ話

「森の中の羊飼いと羊の群れ」 「森の中の羊飼いと羊の群れ」(部分)

 「山寺後藤美術館所蔵 ヨーロッパ絵画名作展」 

これまで数多くご紹介しているシャルル=エミール・ジャックをもうひとつ。
ジャックの羊は姿かたちに愛嬌があって大好きなのですが、構図タイトルが似過ぎていて、ご紹介済みかもしれないと毎回不安になるのがいかんともしがたい感じです。

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『ジャータカ』より「羊問答」

ひつじ話

羊と犬は、
「さて、われわれはどうして生きていったらよいものか」
と生きるすべを考えた。そして、羊が言った。
「もしわれわれが協力して暮らしていければ、いい考えがあるよ」
「それを話してみてよ」
「お友だちさん、きみはこれから象小屋へ行きなさいよ。
『犬は草なんか食べない』と[思って]象番はきみに疑いをかけることはないだろう。
きみはぼくが[食べる]草をもってくる。
ぼくは[王の]台所へ入って行く。
『羊は肉なんか食べない』と[たかをくくって]、料理番はぼくを疑わない。
ぼくはきみが[食べる]肉をもってこよう」
(略)
王はかれらがなかよくしているのを見て、考えた。
「ああ、わしは、いままで見たことのない光景を見てしまった。
羊と犬はたがいに敵であるのに、なかよく暮らしている。
このことを取りあげて難問とし、賢者たちにたずねてみよう。
この難問を解けなければ国外追放としよう。

仏教の本生譚『ジャータカ』の「大トンネル前生物語」より、「羊問答」を。
世尊の前世である賢者マホーサダが仕える王様がもちだす、理不尽な難問のひとつです。

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串田孫一 「雲」

ひつじ話

雲が羊の眞似をしているうちに
眞似が上手になり過ぎて
ちょっと厄介なことになりましたね
あなたが
あの羊の一匹を撫でたいというのなら
こちらへ呼んでみることも
出來ましょうが
私は呼び方に
自信があるわけではありませんから
群れたまんま
押し寄せて來るかも知れません
北の國の廣い草原を
そこに小徑があってもなくても
一列二列になって
殆どあたりを見廻すこともなく
宿命に從って歩いて來るあの羊たちとは
少し違っていることに
早く氣が附いて下さい

先日の「羊飼の星」に続いて、串田孫一をもうひとつ。もとは放送台本とのことですので、音読すると楽しいかもしれません。

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星新一 「オオカミがきた」

ひつじ話

そしてまもなく、ついに本物のオオカミがあらわれた。
オオカミの群れは、少年とヒツジとどちらがうまそうか、見くらべて舌なめずりをしている。
少年はそれに気づき、瞬間的に考えた。
前述のごとく、彼の頭は悪くない。村人たちが「もう演習にはあきた」と話しあい、だれもかけつけてくれないだろうと想像した。
そこで、少年は大声でこう叫んだ。

星新一版イソップ物語、「いそっぷ村の繁栄」より、「オオカミがきた」を。毒気のあるオチと教訓がこのあとに続きます。……なんて叫んだと思います?

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串田孫一 「羊飼の星」

ひつじ話

戦争の末期、一九四五年の夏、厄介になっていた農家の隅で、ひと目を気にしながら殆ど隠れるようにして読んでいたフォントネルの本の中に、金星のことを「羊飼の星」と呼んでいるところがあった。
後に大きな百科事典を使えるような状態になってから確かめてみると、「羊飼の星」という項目があって、羊飼は山にいて、宵に夜明けに出る金星を安易に見られるから、という説明があった。
それ以来、金星を見れば同時に「羊飼の星」という呼び方を想い出すし、そのためにこの星が一段と身近なものになって来たのだった。
人々が時計を持つ時代になっても、羊の群と共に過ごす山上の生活者にはそれは不要である。
というのは、時を知る時計があれば、時に合わせて開き、また時が来れば閉じる花がある。
それを誰が名附けたとも知れず「羊飼の時計」と呼んでいる。
金星にこんないい名前を附けたのは、いつ頃のどんな人であったのかは、誰も知らないが、羊飼自身でなかったことは確かであろう。

串田孫一の随筆「羊飼の星」から。

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『和漢三才図会』より、「羊躑躅」

ひつじ話

羊躑躅(れんげつつじ)
黄躑躅(こうてきちょく) 老虎花(ろうこか) 黄杜鵑(こうとけん) 驚羊花 玉枝 羊不食草 鬧羊花(どうようか)
(略)
『本草綱目』(草部毒草類羊躑躅[集解])に次のようにいう。
羊躑躅(ようてきちょく ツツジ科)は集落近くの諸山にはみな生えている。
小樹で高さ二尺。葉は桃の葉に似ていて、三、四月に花を開く。
黄色で凌霄花(りょうしょうか 蔓草類紫葳)に似て五弁、蕊・弁はみな黄色で、気味はみな悪い。
花[辛、温、大毒がある] 羊はこの葉を食べると、足をばたばたさせ地を蹴って死ぬ。
 思うに、羊躑躅[和名は以波豆豆之(いはつつじ)、また毛知豆豆之(もちつつじ)ともいう]は、『本草綱目』の諸説に拠ると、今いう蓮華躑躅(れんげつつじ)である。

モチツツジのお話の続きです。以前、「羊」の項目をご紹介した「和漢三才図会」より、「羊躑躅」の項を。
典拠が中国の「本草綱目」なので、レンゲツツジを説明するものになっているようです。

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ネパール移牧社会の民族誌

ひつじ話

出産直後の仔羊は森林の中で迷いやすいため、母羊の放牧中も群れから隔離する。
羊飼いは群れを放牧に出す時間になると、総出で仔羊を母羊のもとからとりあげる。
彼らは宿営地のまわりで仔羊を1カ所にまとめ、その上からグムラーリという毛布を1枚かけて身動きができないようにする。
(略)
放牧から帰った羊飼いが最初にするのが隔離した仔羊を母羊のもとへ連れてゆくことである。
この時に頼りになるのが羊の名称である。
たとえば、彼らはカーギー・ジブリー・ハーシー(耳の長い・首筋に黒い模様のある・白い羊)の仔はスッドゥー・ハーシー・パティ(全身白い・メスの仔羊)という具合に、出産した仔羊と母羊の名を一緒に覚えている。

ネパールの牧畜社会を精細にたどった民族誌から、仔羊の育成に関する章を。
基本の色柄、そのバリエーション、ツノや耳の状態などを組み合わせた名前をつけることで個体識別をしており、新人牧夫の最初の仕事は羊たちの名前を覚えることなのだとか。たいへんそうです。すごく。

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14世紀フィレンツェの十字架

ひつじ話

十字架 十字架(部分)
裏側は、表のキリスト像の光輪に当たる場所に神秘の子羊が表され、その周囲に四福音書記者の象徴、すなわち聖ルカの牡牛、聖ヨハネの鷲、聖マルコのライオン、聖マタイの天使が配されている。

 「フィレンツェ─芸術都市の誕生」展カタログ 

14世紀中頃のフィレンツェで作られたと考えられている金工美術品です。裏側に神の子羊。
神の子羊があしらわれた工芸品というと、バーゼルの聖体顕示台や、クロイスターズ美術館蔵の十字架などをご紹介したことがあります。

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モチツツジ(続き)

ひつじ話

「羊」も「餅」もともに神に捧げるものであったことが注目される。
羊が犠牲獣となった背景には諸説あるが、そのおとなしい性格(殺される時にすら羊は従順である)も一つの理由である。まるで植物のように。
(略)
また「羊躑躅」と「もちつつじ」の結びつきはモチツツジの毛茸(もうじょう、細かい毛)の多い葉にあるかもしれない。毛茸は羊の毛を連想させる。

先日の、「一休、あて字を訓み給ふ事」で謎を残してしまった「モチツツジ」と「羊」の関係について、西川照子『神々の赤い花』の一章、「羊躑躅─羊は植物だった」より。
ちなみに、中国では「羊躑躅」はトウレンゲツツジに相当するようで、こちらについては、その有毒性のために「誤って食べた羊が躑躅(てきちょく)として死ぬ」との語源説が与えられています。
なお、おとなしい犠牲獣としての羊については、馬琴の「烹雑の記」で触れたことがあります。

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ダニエル・リッジウェイ・ナイト 「ロルポワーズの羊飼いの女」

ひつじ話

「ロルボワーズの羊飼いの女」

 「ブルックリン美術館所蔵 バルビゾン派の画家たち展」カタログ 

大晦日ですね。静かな心持ちになれそうな、「ロルボワーズの羊飼いの女」を。19世紀アメリカ、のちフランスに移住した、ダニエル・リッジウェイ・ナイトによるものです。

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ヘシオドス 「仕事と日」

ひつじ話

獣らは身震いして尾を股の間に入れる、
柔毛がその皮を覆っている獣でもな。
胸毛の厚い獣をすら、氷のごとき寒風は吹き通すのだ。
北風は牛の皮も吹き通す、その皮も風を防ぐことはできぬ。
また毛長の山羊も吹き抜けるが、ただ羊のみは、
その豊かな毛のゆえに、さすがに強い北風も決して吹き通すことはない。

「神統記」冒頭をご紹介したことのある、ヘシオドス(ヘーシオドス)「仕事と日」を。農事暦のなかに、真冬の家畜たちの様子を描いた一文が。

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『シャー・ナーメ』より、「火の祭りサデ」

ひつじ話

「火の祭りサデ」 「火の祭りサデ」(部分)
『シャー・ナーメ』からの一枚で、初期サファヴィー朝時代の代表的なペルシア人画家スルタン・ムハンマドが描いた「火の祭りサデ」を見てみよう。
伝説のペルシア王フーシャングが、突然現れた大蛇を殺そうと石を投げると、蛇は逃げたが、石が岩に当たって火花が散った。
王はこうして火を作る方法を発見し、神に感謝を捧げ、家臣や動物を集めて宴会を開いた。
これが、後にサデと呼ばれるようになった火の祭りの起こりであり、スルタン・ムハンマドの細密画はこの宴会の様子を描いたものだ。

そして夜がくると、山のように高々と火を燃やし、王は臣民とともに火を囲み、この夜を祝って酒をのんだ。
あかあかと燃えるこの夜に王のあたえた名が「サデの祭」。その祭がフーシャング王を記念して今もなお残っている。
(略)
彼はまた神よりあたえられた力と王権によって、牛・ロバ・羊を手におえぬ野生ロバや鹿から分け、生活に役立ちうるものを活用した。

イランの叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』を描いた、サファヴィー朝のころの細密画と、「王書」の相当部分を。同時代のものとして、「子羊をかつぐモーゼ」をご紹介しています。

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ルイス・F・デイのキャビネット

ひつじ話

キャビネット キャビネット(部分)
アーツ・アンド・クラフツ展協会の1888年の第1回展で展示された、約12点の家具の一つ。
(略)
デイ(1845─1910)は刺繍に特別熱心だったが、テキスタイル、陶芸、壁紙などのデザイナー、あるいはアーツ・アンド・クラフツ運動の思想家としての方が有名である。
イギリス/1888年頃
ヴィクトリア&アルバート美術館

19世紀イギリス、アーツ・アンド・クラフツの家具を。ルイス・F・デイによる、黄道十二宮の装飾がついた刺繍用キャビネットです。白羊宮の部分に、棒馬ならぬ棒羊で遊ぶ子どもの絵が。

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『マビノギオン』より、「エヴラウクの子ペレドゥル」

ひつじ話

そこでペレドゥルは馬を進め、苦患の王の子らの宮殿にたどりついた。
入っていくと、出迎えるのは女ばかりである。みな立ち上がって、彼を歓迎した。
物語をするうちに、鞍をおいた軍馬がもどってきたが、鞍には死骸が横たえてあった。
ひとりの女が立っていって、鞍から死骸を下ろし、扉の下にあった湯の器をもってきて清め、高価な香油を身体に塗りつけた。
すると男はよみがえって、起きあがり、ペレドゥルのそばに来て、挨拶し、嬉しそうな顔をした。
(略)
翌朝、若者たちは起き出して出かけてゆき、ペレドゥルは、かれらの愛する女人のためにも、同行させてくれるよう頼んだが、断られた。
「あなたがここで殺されても、よみがえらせるものがありませぬ」
みなはそう言ってでかけ、ペレドゥルはあとについていった。
(略)
やがて川の流れる谷があり、そのへりには木々が茂っており、川の両岸には平らな草地があった。
こちら岸には白い羊が、向こう岸には黒い羊の群れがいた。
白い羊のどれかがメエと鳴くと、黒い羊の一頭が川を渡ってきて、白い羊になった。
黒い羊がメエと鳴くと、白い羊が川を渡ってきて、黒くなった。

以前触れたマビノギオンに出てくる羊のお話をあらためて。独特の生命観の例として挙げられていたものですが、羊の谷を通って化け物退治へ向かうまでの経過が、また不可思議です。

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