ラリックのカーマスコット 「雄羊の頭」

ひつじ話

カーマスコット
雄羊の頭 1928年
マスコットはスカットル(ボンネットと車室をつなぐ部分)かラジエーターキャップ部分に装着されました。
価格は当時大きな作品で約7ポンド、小さな作品は約3ポンドでした。
今現在の価格に換算すると10万?20万円くらいに相当するのではないかと考えられます。

交通機関の発達と伴に旅行やスポーツが社交生活に取り入れられた1920年代の後半から30年代にかけて、ラリックは自動車のボンネットを飾るカーマスコットや豪華列車、大西洋横断豪華客船の内装など交通関係の仕事を手掛けました。
当時の自動車はラジエーター・グリルがフロントに露出していて、冷却水を注ぎ入れる注ぎ口のキャップの上に車種を象徴するマスコットをつけることが流行りました。
ラリックのマスコットはガラス製で特定の車種を想定したものではなく、オーナーの好みによってどんな車にもつけられる個性的なアイテムでした。

先日、牡羊のランプをご紹介したルネ・ラリックの作品をもうひとつ。
トヨタ博物館に常設展示されているコレクションを見学に行ってきたのですが、猪や馬のマスコットと同じケースに飾られてました。ので、おそらく猪突猛進のイメージで作られたものではないかと。

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「富岡恋山開」(続き)

ひつじ話

「富岡恋山開」舞台上の羊
大切な品物や密書、証文の類を鳥や犬が銜えていったり、破ってしまったりするのは歌舞伎の類型だが、その役を紙を食べる習性の羊にさせたところに斬新さがあり、観客は喜んだ。
賑やかな辻打の合方を使い、猥雑な雰囲気を舞台一杯に醸し出す見世物小屋のシーンは、次なる文化文政期に四代目鶴屋南北が得意としたところである。
上方から下った五瓶が、時代の観客の好みを素早く掬み上げ、彼らを喜ばせるコツを熟知していたことが、見世物小屋の道具を飾って羊を働かせた写実の趣向に表れている。

 松竹歌舞伎会 月刊会報誌「ほうおう」2006年4月号 

羊が活躍する唯一の歌舞伎、「富岡恋山開」について教えてくださった「Mary & Wool」のしつじ様から、さらに追加情報をいただきました。ありがとうございます。
歌舞伎会の会報2006年4月号に「歌舞伎博物館 動物篇 第27回 羊 文・服部幸雄」と題された記事があり、平成12年12月国立劇場にて上演された「富岡恋山開」のひつじ写真が掲載されているとのこと。ふさふさしてて、かわいいです。

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『閲微草堂筆記』より、「牧童と大蛇」

ひつじ話

一人の牧童が羊を飼っていた。
ところが毎日、一匹か二匹はいなくなってしまうので、主人からひどく叱られた。
そこでよく注意しながら様子を見ていると、二匹の大蛇が山の襞から出て来て羊を吸いこみ、食ってしまうのである。
大きさは甕ほどもあって、とても立ち向える相手ではなかった。
牧童はひどく口惜しがり、父親と相談して、山の襞に大きな刀を立てておいた。
すると計略どおり、一匹の蛇が腹を裂かれて死んでしまった。

中国清代、紀昀による怪異譚『閲微草堂筆記』より、「牧童と大蛇」を。
二匹の大蛇のいっぽうを退治した牧童と父親は、しばらくはもう一匹を警戒していました。半年たってもうよかろうと放牧地に戻ってきたところ……?
同時代の怪談集に、袁枚の『子不語』があります。ご参考にぜひ。

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『続一休咄』より、「一休、あて字を訓み給ふ事」

ひつじ話

「いったいこの鳥羊と申しますものは、いまだかつて承ったことがありません。薬材にでもあるのでしょうか、あるいはひょっとすると菓子の類ではないでしょうか。よくよくお考えください」と言うので、
一休和尚も少しの間考えをめぐらされて言うことには、
「なんともまあ思いも寄らないあて字であることよ、ちょっと判読しかねたのも当然だ。これは鳥刺に用いる鳥黐(とりもち)のことだ」とおっしゃった。
しかし、その男は不審そうな表情で、「鳥羊と書いて黐と読みましょうか」と言うと、
「そうは読めない字を宛てるから宛字というのだ。
そもそもあのつつじということ、まだ花開かぬつつじのつぼみが乳頭に似ているので、これをみた羊が転がるように近づいていくとか言う。
だから『羊躑躅(ようてきちょく、羊が伏しつ転びつする)』と書いて、『もちつつじ』と訓読する。
その人は何かの字尽(じづくし)の一紙に『羊躑躅』に『もちつつじ』と仮名がついているのを見て、『羊』という文字は『もち』と読むものと理解して、鳥と言う文字と羊という文字で『黐』の意味に用いたのではと思いついたのだ」とおっしゃった。

一休宗純を主人公とし、現在に続く「とんちの一休さん」のイメージのもとともなった江戸期の読み物のひとつである、『続一休咄』より、「一休、あて字を訓み給ふ事」です。
判読できないなあて字をされた注文書を受け取った人物が、和尚に相談に来る場面です。これは「黐(とりもち)」を送ってくれということだろう、辞書に載っていた「羊躑躅(もちつつじ)」の読みについて誤解したのだ、との推理が披露されています。
「もち」と「羊」がどこでつながるのかについてが判然としないのですが、モチツツジの鳥もちのような粘着性、つぼみが乳頭に似ていることによる「タルルチチ」語源説、和漢三才図会にある礼を知る子羊の話などが参考になるかと思われます。
この記事は、ak様から情報をいただきました。ありがとうございます。

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ギデオンの羊毛

ひつじ話

ギデオンは神に言った、
「あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルを救おうとされるならば、わたしは羊の毛一頭分を打ち場に置きますから、露がその羊の毛の上にだけあって、地がすべてかわいているようにしてください。これによってわたしは、あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルをお救いになることを知るでしょう」。
すなわちそのようになった。
彼が翌朝早く起きて、羊の毛をかき寄せ、その毛から露を絞ると、鉢に満ちるほどの水が出た。
ギデオンは神に言った、
「わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせてください。どうぞ、もう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。どうぞ、羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにしてください」。
神はその夜、そうされた。すなわち羊の毛だけかわいて、地にはすべて露があった。

 旧約聖書 士師記第六章 

旧約聖書の士師記より、自覚の乏しいままに指導者となるべく召命を受けてしまったギデオンが、神を試す場面を。

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12世紀装飾写本の「ノアの箱舟」

ひつじ話

「ノアの箱舟」 「ノアの箱舟」(部分)

ウンベルト・エーコ「芸術の蒐集」から、12世紀装飾写本の「ノアの箱舟」を。どうも納得のいかない生き物がまざってる気がしますが、羊は普通に羊のようです。

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時祷書 「羊飼いへのお告げ」

ひつじ話

「羊飼いのお告げ」

時節柄ということで、「羊飼いへのお告げ」を描いた、15世紀スペインの時祷書です。
時祷書は、「ベリー侯の豪華時祷書」「ワーンクリフの時祷書」などで、羊飼いへのお告げを描いたものをご紹介しています。

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「赤い羊は肉を喰う」

ひつじ話

「いいことでもあったのか?」
「まあね」
電話口から、理香子の可愛らしい笑い声が漏れてくる。
「─ねえ、赤い羊って見たことある?」
突然、理香子はそう訊いた。
「赤い羊?」
どういうわけか、偲は背筋がぞくっとした。いるわけがない動物の存在を、さらりと口にした理香子。彼女の中では、その存在に違和感がない証拠だ。
「そうよ。あたし、今日見ちゃった」

五條瑛の小説を。ジャンルとしては、サスペンスでしょうか。冒頭、主人公の女友達が謎めいた言葉を残して失踪する直前の場面です。

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『転身物語』より「カエサルの昇天」

ひつじ話

いたるところで地獄の鳥である梟が、不吉な予兆を告げた。
多くの場所では、象牙の神像が涙をながし、神聖な杜では、哀泣の声やおそろしげな叫びが聞えたといわれる。
いくら犠牲をささげても、よい兆しはあらわれず、その臓腑は、大きな変事が近いことを予示し、なかでも肝臓の先端は、剣のために切りつぶされていた。

先日ご紹介した、エトルリアの肝臓占いについて、もう少し。オウィディウスの「転身物語(変身物語)」より、ユリウス・カエサルの暗殺が描かれる「カエサルの昇天」を。
その大きさによって吉凶を判断するべき部分が切りつぶされていることが、大凶のしるしとなっているようです。

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ラリックのランプ「牡羊」

ひつじ話

ランプ「牡羊」
1931年
マントルピース用ランプ、ニッケルメッキを施した金属製オリジナル台付

 「アール・デコ光の造形 ルネ・ラリック美術館ガラス・コレクション選集」 

ルネ・ラリックのガラスのランプを。

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エトルリアの肝臓占い(続き)

ひつじ話

「ピアツェンツアの肝臓」の名で知られるこのブロンズ製の羊の肝臓は、表面が四十の区画に分かれていて、それぞれが天界の区分に相応し、その主である神の名前が記されている。
卜占師にとって右側が吉兆の部分、左側が凶兆の部分となっていて、突起部から落ちる日の影によって占ったらしい。
(略)
肝臓は左右の葉に分かれ、さらに葉間切痕と呼ばれる裂け目によって多くの肝葉に分かれる。
とくにその一つである尾状葉を「頭」と見て、卜占が行われたのであった。
ローマの卜占官にもなった政治家キケロは、あらゆる角度から丹念に熟慮し、この「頭」が見つからないときは、これ以上悲惨なことが起こることはない、と判断したと伝える。

ローマと長いこと敵対していた民族に対して意外な措置に見えるかもしれないが、征服後ただちに元老院は天変地異に関してローマ国家の必要に応えうる、エトルリアの臓卜師団を組織した。
(略)
キケロ(『占いについて』第一巻九二)とウァレリウス・マクシムス(第一巻一章)は、ローマがトスカーナ全都市の名門一族に対し、青年を臓卜師として養成するよう求めたことを明記している。
(略)
臓卜師の成功は公式宗教の分野だけにとどまらなかった。
私営の臓卜師が続々と登場し、見料をとって大衆に助言を与えた。
後四世紀末のカルタゴで、のちの聖アウグスティヌスは当時まだ学生だったときに臓卜師に助言を求めた(『告白』第四巻二章)。

ピアツェンツァの肝臓肝臓をもつ人物像をご紹介しているエトルリアの肝臓占いについて、概説書からいろいろと。

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「富岡恋山開(とみがおかこいのやまびらき)」

ひつじ話

木戸  エエ、それじゃア、あなたが聞き及びました三十間堀の、玉屋の新兵衛さんでござりますか。
新兵  アイ、わしゃア新兵衛でござるが、こなさんは、この神明や浅草でよく見る顔じゃが、内の金太郎と何を争っていなさるのだ。
木戸  なんと申して、私も見世物師じゃア人に知られた要七と申します者でござりまするが、今日の物日を当て込みに、この間両国で見せておりました、羊と人間と角力をとる見世物を、この神明に持って来まして、一ト儲け致しましょうと、羊を引いて来る途中、この方がおれに貸してくれとおっしゃいますが、肝心のこの羊を取られましては困りますゆえ、ならぬと申しますれば、なんでも貸せと無理ばかりおっしゃいますゆえ、それで争っているのでござりますよ。
(略)
新兵  でもみすみす覚えのないものを。
藤兵  それじゃア何ゆえ判を押したのだ。
新兵  サアそれは、
藤兵  サア、
両人  サアサアサア。
藤兵  コレ、証文が物を言うわえ。
ト片手に持って証文を広げる。お梅、伊三郎こなし。新兵衛思入れ。
このとき、見世物小屋より、以前の羊のさのさ出て来て、藤兵衛の証文をくわえてむしゃむしゃ喰う事。

ひつじnewsがリンクさせていただいている、 「Mary & Wool」のしつじ様から、羊が活躍する歌舞伎の演目があるとお知らせいただきました。なんとそんなものが。ありがとうございます。
作者は初代並木五瓶、「富岡恋山開(二人新兵衛)」。主人公の玉屋新兵衛が、彼を逆恨みする藤兵衛に偽の借用書をつきつけられ、おどされる場面です、が、よりにもよって見世物小屋の羊に助けられています。
この羊、おそらく、以前「見世物研究」をご紹介したときに触れた、あの羊ですね。歌舞伎の中に使われるというのは、よほど流行ったのでしょうか。
にしても、どうしてこう、江戸の羊は必ず紙を食うんでしょう。
ところで!
今回のネタをくださった、「Mary & Wool」様ですが、ブログ「つれづれしつじ」にて、現在、一日一匹ひつじイラストを連載されています。全百匹を予定しておられる由。最初の一匹からご覧になることをおすすめします。おかしみとか幸福感とかが、じわじわと来ますから。

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「もの食う人びと」

ひつじ話

気になったのは、「おまえは臭い」「野蛮な羊殺しめ」と言われ、いじめられたという経験談であった。
「臭い」はトルコ料理を、「野蛮」はクルバン・バイラム(イスラム教の犠牲祭)の際の調理法を指した妄言らしい。
トルコ料理は、ハシュラマ(煮物)、ケバプ(焼き物)、ドルマ(詰め物)類全般にわたり、バジリコ、コショウ、唐辛子、ニンニクなど豊富な香辛料を使う。
クルバン・バイラムでは、頸動脈を切って羊を殺す。ドイツ料理と香りがちがうだけで、別に野蛮ではないことは言わずもがなであるのだが。
(略)
アポのほうは「ドイツ人になろうとしたけど、なれなかった」男だ。
言葉はマスターしたが、食べものがだめだった。羊肉にしても、電気ショックで処理したのはまずく、やはりトルコ式に首を切って、しっかり血抜きしたのがうまいという。

「食」をテーマにしたルポルタージュの金字塔、辺見庸『もの食う人びと』の一章、ベルリンのトルコ人街で取材された「食とネオナチ」を。

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フィレンツェ毛織物業組合の紋章

ひつじ話

フィレンツェ毛織物業組合の紋章
フィレンツェ、14世紀末─15世紀初頭
砂岩 85×85センチ フィレンツェ市所管
この紋章は、フィレンツェの7つの大組合のひとつである毛織物業組合(アルテ・デッラ・ラーナ)のものである。
この組合は、フィレンツェで最も早い時期に組織された組合のひとつで、強大な力をもっていた。
毛織物業は14から16世紀にかけて、町で最も栄えた製造業のひとつに成長した。
15世紀を通じて約3万人もの職人を擁していたこの組合は、作業を正確かつ厳密に組織化することによって、都市と田園地帯を横断するしっかりとしたパイプを築き、市場に高価な製品を数多く送り込んでいた。
(略)
職人技によって見事に仕上げられたこの石板は、さまざまな経緯を経た後、フィレンツェ市が所管する文化財となったが、もともとは毛織物業組合が所有する数多くの建物のひとつで壁面を飾っていたはずである。

 「フィレンツェ─芸術都市の誕生」展カタログ 

フィレンツェの毛織物業組合の紋章が刻まれた石板です。
毛織物業組合に関連したものとしては、辻邦生の小説「春の戴冠」「物語イタリアの歴史」、サケッティの「ルネッサンス巷談集」サン・ジョヴァンニ洗礼堂のコンクールのお話などをしています。

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古代イランの牡羊像の皿

ひつじ話

牡羊像の皿
イランまたはコーカサス地方出土
銀製鍍金 径26.5センチ
牡羊は、ゾロアスター教では戦勝の神ウルスラグナの化身とみなされ、牡羊は人間にとって善なるもの、即ち富、幸運など、いわゆる吉祥(フクルナフ、フウァルナー)を運んでくるものとして珍重され、イラン系民族の間では装飾文として多用された。

 「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」カタログ 

前3?前2世紀のアルサケス朝時代の皿です。ただし、中央の牡羊は、ササン朝になってから付加されたものとのこと。エルミタージュ美術館蔵。

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