脂尾羊の尻尾の脂肪

ひつじ話

脂尾羊は遊牧民の品種改良によるきわめて独創的な産物のひとつである。
このグロテスクな動物は、アラビアでは古代から記録に残っているし、現在でも、とくに中東と中央アジアの草原や高原の、遊牧民の文化が浸透しているところではよく見られる。
このヒツジが引きずっている尻尾は重くてかさばり、ビーバーの尻尾と同じくらいの幅になることもある。
自由に動けなくなると、たいへんなことになる。
ひどいときには、尻尾を運ぶためにヒツジに小さな荷車を取りつけなければならない。
だが、得られる恩恵はそうした不便をおぎなって余りある。
遊牧民の牛の肉は旅で鍛えられて筋肉質なのに対して、脂尾羊の尻尾の脂肪は驚くほどやわらかいのだ。
まるで即席の油のように、すぐに溶ける。
熱する時間がなかったり火をつけるためのたきつけが手に入らない場合でも、生のまま食べることができて、すぐに消化される。
この貴重な物質を、動物を殺さなくても切り取れる部分に集めることは、絶えず移動をつづける人びとにとってはなにものにもまさる天の恵みだった。

なんどかお話したことのある脂肪尾羊に関して、もう少し。殺さずに切り取って、そのまま食べる、のでしょうか……。

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セガンティーニ 「靴下を編む少女」

ひつじ話

「靴下を編む少女」

日本語で読めるジョヴァンニ・セガンティーニの画集が欲しいと長年思い続けていたのですが、この春に待望のものが出ていたことにいまさら気がつきました。取り急ぎ、「靴下を編む少女」をご紹介。
セガンティーニは、以前、上野の国立西洋美術館にある「羊の剪毛」を見に行ったお話をしたことがあります。最近また行ってきたのですが、現在は展示をしていないのですね。残念。

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シラー 「オルレアンの乙女」

ひつじ話

そっとひとりで楽しく過ごしたあの場所、この場所、
これっきりでお別れなの、おまえたちとも。
野の子羊たちよ、離れ離れになるのだよ。
おまえたちは、今は飼う者のない群れ。
危険でいっぱいの血みどろの戦場で、
わたしは別の群れを飼わねばならないの。

フリードリヒ・フォン・シラーの戯曲「オルレアンの乙女」冒頭、ジャンヌ・ダルクの旅立ちの場面を。
ジャンヌ・ダルクが出てくる戯曲といえば、以前、シェイクスピア「ヘンリー六世」をご紹介したことがあります。シェイクスピアはイングランドの人ですから、ジャンヌの扱いは文字どおり天地ほどに違いますが。
シラーと同時代人であるゲーテのお話は何度かしておりますので、ご参考にこちらも。

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フランソワ・ブーシェ 「恋文」

ひつじ話

「恋文」 「恋文」(部分)

 「ヤマザキマザック美術館〔絵画・彫刻〕」 

フランソワ・ブーシェです。名古屋市のヤマザキマザック美術館蔵。
これまでにご紹介しているブーシェは、こちらで。

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「あらゆる名前」

ひつじ話

「あらゆる名前」表紙
その見知らぬ彼女の墓の脇に、湿った草をもぐもぐかんでいる白い羊が一頭いた。
見まわすとここにもそこにも羊たちが草をはんでいた。
杖を手に持った老人が、ジョゼ氏のほうへ近づいてきた。
(略)
名前を取り替えるのはほんの少しの冒涜ではありません、
戸籍管理局の補佐官が名前に関してそういう考えを持ってるっちゅうことはわかるがな。
羊飼いは一時的に中断して、犬に、はぐれてしまった羊を捕まえに行くよう合図を出した、そして続けた、
墓石の番号がついた板を取り替えようと思った理由をまだ話しておらなんだな、
そんなことに興味はありませんよ、
興味がないなどということはないじゃろう、
どうぞおっしゃってください、
もしわしの考えが正しければ人が自殺するのは見つけてほしくないからじゃ、

ジョゼ・サラマーゴの小説を。
孤独な戸籍係ジョゼ氏は、偶然手にした見知らぬ女性の戸籍をきっかけに、彼女の人生をたどることになります。
たどりついたのは霊園の自殺者の区画。そこで出会ったのは、死者を特定するための墓石の番号をでたらめに取り替えている羊飼いの老人でした。寓意に満ちたこの小説のなかでも、白眉の場面です。

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『神道集』より「赤城大明神の事」

ひつじ話

この羊の太夫というのは、たった今上野(こうずけ)の国の多胡の庄を出発して都へ上れば、未の時(午後二時)には都の指令を受けて、申の時(午後四時)には国もとへ帰着するので羊の太夫と呼ばれる。
だから彼は、申の半ば(午後五時)に上野の国群馬郡有馬郷を出発して、日の暮れに京の三条室町に到着した。

なんどかお話している群馬の羊太夫伝説について、「神道集 赤城大明神の事」から抜き書きを。

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「マナス 少年篇―キルギス英雄叙事詩」

ひつじ話

隊商の連中はゲームのために路上に画かれた輪もゲームに熱中する少年たちも全く眼中になかった。
折しもマナスが輪の中央に置かれたサイコロを打ち出すために、輪の中に入って行ったところだった。
「駱駝を輪の中に入れるな!」
と輪の周りにいた者たちが言った。
駱駝の手綱を取るサルト人らは、「駱駝を進めなかったらどうする!? 放っとけ! サイコロが弾かい? やつらに何ができる!?」と思った。
カルマク人らも同様に、「おれたちはハーンの者だ。やつらに何ができる!?」と思った。
駱駝が次々と皇宮取りの輪の中に足を踏み入れ始めた。
マナスは打棒に手をのばしてこれをつかむと、羊のくるぶしの骨でできたサイコロを打棒で打った。
打棒の端で力一杯打ったので、サイコロが鉄の弾のように先頭の駱駝に向かって飛んで行って、その片脚を粉砕した。
駱駝がばったりと倒れた。
さらにもう一つのサイコロが飛んで行って、前にいた驢馬の脚に同じく命中し、驢馬が倒れた。

キルギスの叙事詩「マナス」から。
のちの英雄である少年マナスが、隊商をよそおった敵方の密偵団にケンカを売る場面なのですが、武器として羊の距骨のサイコロが使われています。
このサイコロに関しては、これまでに何度かお話したことがありますので、こちらで。
遊び方は場所や時代によってさまざまですが、マナスたちの興じている「皇宮取り」ゲームについては、同書の註釈に詳細な説明がありました。下に引用します。

このゲームは、キルギス語でオルド(皇宮の意)と呼ばれる。
遊ぶときには、人員を二組に分け(各組二人以上)、平らに踏みならした地面に大きな輪(直径十メートル前後)を画き、たくさんのサイコロ(羊のくるぶしの骨製)を輪の中央に置いて、かわるがわる牛の骨製の四角い骨で打ってはじく。
輪の外に打ち出した数の多い方が勝ちとなる。
このゲームは皇宮を攻め落とす戦いを模したことから皇宮取りと呼ばれるようになったという。

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グイド・レーニ 「聖家族―エジプトへの逃避途上の休息」

ひつじ話

「聖家族」 「聖家族」(部分)

 「カンヴァスに描かれた女性たち」展カタログ 

17世紀イタリア、グイド・レーニの「聖家族―エジプトへの逃避途上の休息」です。聖家族の一員として、羊を抱いた洗礼者ヨハネが。
現在、豊橋市美術博物館で2011年7月10日(日)まで開かれている「カンヴァスに描かれた女性たち」展で、現物を見ることができます。
こちらの展覧会は、このあと、7月16日?9月19日足利市立美術館、10月14日?12月11日大分市美術館、2012年2月10日?3月25日秋田市立千秋美術館に巡回が予定されているようです。お近くならばぜひ。
エジプト逃避のテーマでは、これまでに、レーニの師にあたるアンニーバレ・カラッチのものと、クロード・ロランのものをご紹介しています。

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ティツィアーノ 「ノリ・メ・タンゲレ」

ひつじ話

「ノリ・メ・タンゲレ」 「ノリ・メ・タンゲレ」(部分)

ティツィアーノの「ノリ・メ・タンゲレ」(私に触ってはいけない、の意)です。
聖書の該当部分を下に。埋葬され、復活したキリストと、マグダラのマリアの会話です。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。
マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。
マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。」

 ヨハネによる福音書第20章 

これまでにご紹介しているティツィアーノは、こちらで。

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多胡碑(続き)

ひつじ話

碑文の語句のなかで難解とされている「給羊」の羊については、方角説や人名説、動物説、さらには省角・通用字説、誤字説などがある。
(略)羊を名とみる考えが多くの支持を得ていて、「羊に給す」というのは羊を郡司に任じたことを意味すると解釈したのである。
(略)
地元では、碑文の羊と藤岡市の七輿山古墳とを関連させて、壮大なロマンをかき立てる羊太夫の伝説が広く伝えられている。
古くは『神道集』に採られており、そのほか多胡碑周辺の鏑川流域の地に伝わっているものである。
(略)
この羊太夫という伝説の主人公の名が、多胡碑銘文中の「羊」に由来するものであることは確実であろう。

先日お話した、群馬の古碑多胡碑と羊太夫伝説に関してもう少し。
「羊」という名前の渡来人の豪族が多胡郡の郡司に任じられたことが記されている、という理解がいちばん自然なのだろうとは思うのですが、それはそれとして、動物説について、もう少し詳しく知りたい気がします。

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『黄金伝説』より「聖ゲオルギウス」

ひつじ話

そこで町の人びとは毎日二匹の羊を竜に与えて、怒りを鎮めることにしました。
こうしないと竜は城壁のしたにやってきて、毒気を吹きかけ大気を汚染するので、たくさんの人間が死んでしまうからでした。
しかし、羊の数が減ってあまり見当たらなくなると、今後は日に一匹の羊とひとりの人間を悪竜に捧げることに相談がまとまりました。

ヤコブス・デ・ウォラギネの「黄金伝説」より、竜退治の聖人として知られる聖ゲオルギウスの章冒頭を。
これまでにご紹介した「黄金伝説」の聖人は、こちらで。

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イスラム圏の占星用黄道十二宮図

ひつじ話

黄道十二宮図 黄道十二宮図(部分)
その表象は、天文学・占星術関連の写本挿絵のみならず、陶器や金属器など様々な分野における美術品の意匠として使われている。
ただし、古代オリエント・インドに同じ起源をもちながら、西洋世界のそれとイスラーム世界のものは、若干異なっている。

14世紀マムルーク朝の鏡16世紀サファヴィー朝の皿をご紹介しているイスラム圏の十二宮図をもうひとつ。15世紀ティムール朝の「占星用黄道十二宮図」です。

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多胡碑と羊太夫伝説

ひつじ話

多胡碑には「上野国片岡郡、緑野郡、甘良郡合わせて三郡のうち、三百戸を郡となし、羊に給いて多胡郡と成す。和銅四年三月九日甲寅に宣る」とある。
この「羊」は渡来人と目される。
羊年の羊の日、羊の刻に生まれ羊太夫と呼ばれた偉丈夫には小脛(あるいは八束脛、八束小脛)という家来がいた。
二人は大和の朝廷へ日参する。
小脛は自分が眠っているところを見ないでくれといっていたが、あるとき見ると脇の下に翼を着けていた。
羊太夫がそれを抜き取ると以来、鳥のように走ることができなくなり、朝廷への伺候も止む。
それを謀反であるとして朝廷の追補を受けた二人は蝶となって天に舞い上がり、やがて鳶(あるいは白鳥)に変わった。
これだけなら鳥人伝説であろう。
この羊太夫が大和へ日参する途中立ち寄った尾張の山田(現名古屋辻町)に羊神社がある。火辻(羊)が辻(辻町)に変わった。安中市にも羊神社がある。

群馬県高崎市の古碑「多胡碑」の碑文にまつわる伝承について。
名古屋市の羊神社は、以前お参りしたことがあります。安中市の羊神社については、こちらの記事が公式のものかと。

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黒死病とタペストリー

ひつじ話

中世の医師たちは、疫病が沼沢地から立ち上る瘴気と同じように空気伝染すると信じ込んでいたので、生活のスタイルを変えるよう助言した。
窓を閉め切って覆いを掛けなければならなかったので、裕福な人たちは分厚いタペストリーを買い求めた。
黒死病は、フランドルやフランス北部のタペストリー製造業者にとって需要の拡大という著しい商業的な効果をもたらした。
(略)
西洋においてタペストリーの製作に従事していたのは、すでに中世の美術品の主要な製作者としてその地位を確立していた修道士だった。
だが、裕福な人々が求めるようになった、悪疫の侵入を食い止めるといった特定の用途をもったきわめて大きなタペストリーを製作しようとすれば、数多くの腕の立つ職人を組織的に働かせなければならなかった。
裕福な人々が求めていたのは、中世の人々に広く知られていたロマンスからお好みの情景を選びだし、それを精巧なつづれ織りによって図案化したものであって、分厚いだけで変わり映えのしないタペストリーでは、こうした人たちの嗜好を満たすことができなかったからである。

タペストリー(タピストリー、タピスリー)は、15世紀トゥールネの「羊の毛刈」16世紀フィレンツェの「ヴィーナス=フローラとしての春」18世紀フランスの「手相占い」などをご紹介していますが、意外な一面をその用途に持っていたようです。
黒死病と文化の関係では、他に、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂サン・ジョヴァンニ洗礼堂に絡んでお話をしたことがあります。

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