カスティリオーネ「メランコリー(「ユリシーズの部下たちを野獣に変えるキルケー」)」(続き)

ひつじ話

ユリシーズの部下たちを野獣に変えるキルケー
この主題はホメロスの《オデュッセイア》第10巻に基づいたものである。
美しい魔女キルケーは料理と酒でユリシーズの部下たちを誘い、やがて魔法の杖をふるって、彼らを獣に変えてしまう。
古代の廃墟のような中に座ったキルケーの顔には、満足そうな表情が浮かび、体からは不気味な光が放散している。
彼女の足元の本には、占星学の記号がびっしり書かれている。
他に打ち捨てられた鎧一式、そしてフクロウ、孔雀、雄鹿、羊、犬などに変えられた部下たちの姿がある。

以前ご紹介したベネデット・カスティリオーネ「メランコリー」の解説を見かけましたので、あらためて。
頬杖をついたポーズ以外は、メランコリーでもなんでもないのですね、じつは。
「オデュッセイア」の当該場面を、下に。

キルケは一同を中へ招じ入れると、ソファーと椅子をすすめ、彼らのために、チーズと小麦粉と黄色の蜂蜜とを、プラムノスの葡萄酒で混ぜ合わす。
その上さらに、故国のことをすっかり忘れさせるために、恐ろしい薬をその飲物に混ぜた。
一同がすすめられるままに飲み乾すや、キルケは直ぐに彼らを杖で叩きながら、豚小屋へ押しこめてしまった。
今や彼らは頭も声も毛も、またその姿も豚に変わったのだが、心だけは以前と変わらぬままであった。

キルケのかかわるオデュッセイアの場面として、他に第十一歌をご紹介しています。

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李賀 「神絃曲」

ひつじ話

神絃の曲
西山(せいざん)に日は没して東山(とうざん)昏く
旋風は馬を吹いて馬は雲を踏む
画絃素管(がげんそかん) 声浅繁(せんはん)たり
花袴(かくん)は萃蔡(すいさい)として秋塵(しゅうじん)に歩(ほ)す
桂葉(けいよう)は風に刷(はら)われて桂は子(み)を墜(おと)し
青狸(せいり)は血に哭して寒狐死す
古壁の彩蛟(さいきゅう) 金は尾に帖(ちょう)す
雨工は騎(の)りて入(い)る 秋潭(しゅうたん)の水
百年の老梟(ろうきょう)は木魅(ぼくみ)と成り
笑声と碧火(へきか)と巣中(そうちゅう)に起(おこ)る
 神楽の歌
 西の山に日は落ちて東の山はほの暗く
 旋風の吹き起こり神の馬は雲を踏み分けて降り来る
 美しき絃と清らなる管の浅く繁く鳴り響き
 巫女たちはしゃなしゃなと花の裳を翻して塵の中より現れ出づ
 
 木犀の葉を吹く風に払われてはらはらと黄金の実の落つるとき
 青き狸は血を吐きて泣き叫び痩せたる狐は息を引きとる
 古壁に絵具もて描ける蛟(みずち)のぴくぴくと金色の尾を動かせば
 雨の神はその背に騎りて秋の淵の水底深くそを逐いやりぬ
 百年の劫を経し梟は木の精と化けいたりしが
 笑い声と碧き火と巣の中に湧き起こる

「唐代伝奇集」陳舜臣「ものがたり唐代伝奇」などでご紹介し、「龍の文明史」でも触れた、「柳毅伝」に出てくる龍女の飼う羊似の怪雨工ですが、唐代の詩人李賀の「神絃曲」に、龍と一緒に出てくるようです。
動こうとする描かれたみずちが雨工に逐われているらしいのですが、ということは龍より強いんでしょうか。
ところで、話は変わりますが、もりもとさんから明日夜の「日曜ビッグバラエティ」の情報をいただきました。

2011年2月13日夜7時54分から放送
極寒!北の大地に生きる、羊飼い6人家族の365日
北の大地・北海道。人里離れた山中で羊牧場を営む6人の大家族、その1年間のドラマに完全密着!モンゴル帰りの父さんが営む牧場は全て手作り。大自然に向き合う家族とは?

ああ、これは録画しないと。

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ハンガリー民話 「グリフィン」

ひつじ話

「さあ王子、家へお連れしよう。わたしの背に乗るがよい。でも家に着くまで、あの小さな本を開けてはいけない。よいかな?」
「わかった」と王子が言った。
二人は早速出発した。
王子の国の近くまで来た時、その本はなんなのだろうという好奇心に打ち克てず、グリフィンが気づかないように、そっとポケットから出して開けた。
なんと不思議なことに、本が開くや、中から金色の毛の駿馬、羊、子羊が数百頭も出てきた。
数えられないほど、その小さな本から飛び出した。
それも一頭はこちらへ、もう一頭はあちらへと、ばらばらに飛んで行った。

ハンガリー民話集から。
翼をいためたグリフィンを助けた王子は、小さな本を与えられます。好奇心に負けて帰るまでに開いてしまった、その本に詰まっていたものは。

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ボス「東方三博士の礼拝」右パネル

ひつじ話

「東方三博士の礼拝」右翼

以前ご紹介したヒエロニムス・ボスの祭壇画「東方三博士の礼拝」から、右側のパネルにいる羊を。手前の人物二人は、寄進者とその守護聖人である聖アグネスですが、羊はこの聖アグネスのアトリビュートです。そのわりには、彼女たちに距離を置いて背景に溶け込んでますが。

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ジョルジュ・サンド『フランス田園伝説集』より「火の玉婆」

ひつじ話

リュードルは犬たちがおとなしくなって言うことを聞いたのを見ると、さあこれでよしと眠ろうとした。
ところが、彼らはまた立ちあがって、今度は野獣のように羊の群れにとびかかっていったのだ。
そこには約二百頭の羊がいたのだが、それがみんな狂ったようにおびえて、悪魔そのもののように柵囲いを跳びこえると、鹿にでもなったような勢いで野原に走り去ってゆく。
犬は犬で、狼のように狂暴に彼らを追いかけながら、脚に噛みついたり、毛を引きむしったりしたので、あたりの茂みがとびちった毛でまっ白になるくらいだった。
(略)
ようやく朝の光がさしそめてきた。
そのときになって見ると、彼が追いかけていたつもりの羊は細長くて白い小さな女たちだった。
(略)
そこで彼は、まちがいなしにサバトの宴に引っぱりこまれてしまったものと判断して、へとへとに疲れてしょげ返りながら柵囲いに戻ってみた。
すると驚いたことにそこには羊たちが犬たちに守られてすやすやと眠っているではないか。
犬たちも彼のところへ駆けよって身体をすりよせるのだ。
彼は寝床にとびこんで、ぐっすりと眠りこんだ。
そして翌朝、日の光のもとで羊を数えてみると、何度数えても一頭足りない。

19世紀フランス、ジョルジュ・サンドによる、民間伝承の集成から。
鬼火の妖怪との契約を反故にしようとした羊飼いが、怒った鬼火の婆に手ひどい仕返しを受けます。弱り切った羊飼いは、物知りの老羊飼いに相談し……?

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『トリノ時祷書』より「聖処女たちの仔羊礼拝」

ひつじ話

「聖処女たちの仔羊礼拝」
新しいネーデルラント風景画最初の作例は、不運に見舞われたことでも有名な『トリノ時祷書』である。(略)
この時祷書ももとはベリー公ジャンのために十四世紀末にあるフランスのアトリエで『いとも美しき聖母の時祷書』として彩飾が開始され、公の死後、持ち主が代わり、エノー、ホラント、ゼーラントを統治していたバイエルン=シュトラウビング家の一員の所有するところとなった。
この時、未完の部分にネーデルラントで絵画装飾が施された。我々が今ここで取り上げるのは、この部分である。
『トリノ時祷書』は合計三つの部分に分かれてそれぞれ異なった場所(トリノとミラノとパリ)で保管され、二十世紀の初頭まで生き延びたが、トリノ国立・大学図書館に所蔵されていた巻は1904年に火災で焼失してしまった。
(略)
これまでの研究でしばしば指摘されたように、『トリノ時祷書』のミニアチュール(例えば、焼失した「聖処女たちに囲まれるマリア」の頁のヴィネット「聖処女たちの仔羊礼拝」)と、ファン・アイク兄弟の《ゲントの祭壇画》(1432年にヤンによって完成された。)との間には疑いなく、一定の関係が認められるので、問題はこの関係をどのように解釈するか、である。
アイク芸術の前触れと見なすべきか、それとも、アイク芸術の個性的な模倣作なのか。
また、アイク芸術早期の局面と見る場合にも依然として、兄のフーベルトか、それとも、弟のヤンか、の問題が残る。

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」とほぼ同時代に制作されたと思われる、時祷書のミニアチュールです。
ヤン・ファン・アイクの手が入っていると推定されており、ここでは《ゲント祭壇画》が挙げられています。

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『詩経』より「無羊」

ひつじ話

爾(なんぢ)の牧 来る
薪(しん)をとり 蒸(じょう)をとる
雌(し)をとり 雄(ゆう)をとる
爾の羊 来る
矜矜(きゃうきゃう) 兢兢(きゃうきゃう)たり
騫(か)けず 崩(くづ)れず
之を麾(まね)くに肱(ひぢ)を以てす
畢(ことごと)く来りて既に升(のぼ)れり
 そこに牧夫が来て
 薪(まき)をとり 粗朶(そだ)をとり
 雌鳥 雄鳥を供える
 羊が群れて来るときは
 よりそうように並びます
 乱れもせず 崩れもせず
 肱あげて合図をすると
 みんなぞろぞろ升ります

「羔羊」をご紹介している「詩経」のうち、小雅より「無羊」の一節を。
牧場開きを祝う祝頌詩とのこと。

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アリストテレス「動物誌」の作られかた

ひつじ話

しかし、動物学と動物史の創始者と考えられるだけでなく、20世紀以上の間ゆるぎなかったそれらの主としての地位を認めさせるのは、いうまでもなくアリストテレス(紀元前384―22)である。
(略)
動物学においてはアリストテレスは、たぶん、弟子のアレクサンドロス大王が彼の配下に置いたらしい文書係の人々に助けられて、漁師、猟師、船乗り、羊飼い、農民のところで個人的に聴き取り調査をすることから研究を始めるのだった。
このような直接観察、実験、解剖(イルカやゾウも含む)に満足せず、彼は今日では消失している他の多くの書物を考慮し引用していた。
こうして彼は、400近い動物の解剖、生理、生態、行動の研究の基礎を築くことができ、それらについて精密な分類を行ったのである。

アリストテレスの羊に対するあんまりな評価がなにに由来するものなのか、長年気になっていたのですが、どうもちゃんとした観察の結果らしいことがわかってしまいました。そんな。

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ボス 「東方三博士の礼拝」(続き)

ひつじ話

朱の外衣の老王(カスパール)は、あたかも祭壇の前にいるかのように、聖母子に向かって恭しく跪拝している。
(略)
手前においた、真珠をあしらった贈り物は奇妙なもので、その黄金製の容器には「イサクの犠牲」の彫刻がある。
それはやはりタイポロジーを示す形象であって、薪の束を肩にかつぐイサクの姿は、十字架を担ってゴルゴタへ向かうイエスの予型にほかならない。
注意してみると、ガマがこの贈り物の下で圧しつぶされている。
本祭壇画には別のところにも不気味なガマがいるし、ボッスはほかの絵画でもしばしばそれを描き添える。
ガマは特別の意味をもつはずで、たぶん異教ないし性的な罪を象徴する記号である。
とすれば、「イサクの犠牲」を示す器の下でガマが圧しつぶされているのは、イエスが己が身を犠牲にすることで、異教の世界、邪悪な世界を打破することを意味する。
この贈り物の意味合いが、おそらくは本祭壇画を貫く主題といってよかろう。

ずいぶん以前にご紹介した、ヒエロニムス・ボスの祭壇画「東方三博士の礼拝」に描かれた奇妙な物件について、解説を見つけましたので、あらためて。

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シュメル神話 「ドゥムジ神とエンキムドゥ神」

ひつじ話

「農夫が私よりも、農夫が私よりも、
農夫が、彼が私よりも何を持っているというのか?
もし彼が私に黒い麦粉をくれるなら、
私は彼に、農夫に、私の黒い牝羊をあげ、
もし彼が私に白い麦粉をくれるなら、
私は彼に、農夫に、私の白い牝羊をあげ、
もし彼が私に最上等のビールを注ぐなら、
私は彼に、農夫に、私の黄色いミルクを注ぎ、
もし彼が私に良質のビールを注ぐなら、
私は彼に、農夫に、私のキシム・ミルクを注ぎ、
(略)」
しかし幸いなことに、農夫は心の底から平和と友情を願う柔和な人物であった。
彼は牧人と争うことを拒み、彼の羊たちのために放牧地と水を提供しさえする。
「私は牧人である君と、牧人である君と、
私は君とどうして争ったりしようか?
君の羊にこの川の堤の草をはませなさい。
君の羊を私の耕地に放牧しなさい。
彼らに私の穀物を茎ごとはませなさい。
(略)」

円筒印章カウナケス文字などについてご紹介しているシュメル文明に関して、女神イナンナの夫選びを描いた神話を。
牧畜神ドゥムジとの結婚を拒絶し、自分は農耕神エンキムドゥと結婚したいと答えた女神に対して、憤慨したドゥムジが自らの豊かさを主張する場面です。結局女神はドゥムジと結ばれるのですが、それにしても農耕神が柔和すぎます。

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イタリア民話 「三月と羊飼」

ひつじ話

いちばん気むずかしい三月も、いまは終りに近づきつつあって、万事がうまく運ぼうとしていた。
そしてこの月の最後の日になれば、羊飼にはもう恐いものはなかった。
いまや四月は目のまえにあり、時は春だから、羊の群れは助かったのも同然であった。
そこでいままでの哀願の調子をかなぐり棄てて、冷たく笑って自慢をしてしまった。
「(略)ろくでもない三月よ、さっさと向うの国へ去ってくれていいんだぜ!」
このように大胆不敵な口をきく不実な男の声を耳にして、三月は鼻先に蠅にたかられたみたいな気がした。
すっかり腹を立てて、弟の四月の家へ走っていき、頼みこんだ。
おおわが弟の四月よ、
おまえの日数を三つほど貸してくれ
あの羊飼をこらしめてやるために
どうあっても後悔させてやるために。

イタリア民話集から、コルシカ島の民話「三月と羊飼」を。
厳しい冬を乗り切るために、月々の神に祈りを捧げていた羊飼いが、最後に油断して三月の神を怒らせてしまいます。冬は三日間だけ長引き、その間に彼は大切な羊たちを失ってしまう、という教訓譚。

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「玉葉」文治元年十月八日条

ひつじ話

玉葉巻四十三 文治元年十月
八日、天晴、和泉守行輔、進羊於大将、其毛白如葦毛、好食竹葉枇杷葉云々、又食紙云々、

日本人の固定観念のなかになぜかある、「羊が紙を食う」というイメージは、「和漢三才図会」を筆頭に、江戸時代にできたものだと思っていたのですが、あろうことか、源平合戦のころのお公家さんの日記である「玉葉」に、同じ記述がありました。
葦毛のように白く、竹や枇杷の葉が好きで、紙も食う、とのことです。食べさせてみたんでしょうか、紙。
なお、江戸期の「紙を食う」イメージについては、歌川国芳の「かみゆいどこ未」「道外獣の雨やどり」小野蘭山「本草網目啓蒙」「本朝食鑑」「江戸風俗語事典」「誹風柳多留」などをご参考にぜひ。
ちなみに、日本でもっとも古い羊の記事としては「日本書紀」推古天皇七年が、「玉葉」と同時代には「百練抄」の羊病の噂が存在しています。

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パウルス・ポッテル 「休息する家畜の群れ」

ひつじ話

「休息する家畜の群れ」 「休息する家畜の群れ」(部分)

「若い牡牛」をご紹介している、パウルス・ポッテルをもうひとつ。「休息する家畜の群れ」です。

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ヘント祭壇画 「合唱の天使」

ひつじ話

合唱の天使 合唱の天使(部分)

先日、主題の解説をご紹介したヘント祭壇画ですが、もうひとつ羊を見逃していましたので、あらためて。
開翼時上段の、歌をうたう天使たちが立つ床の絵柄に、神の子羊が。

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