数年前に葛飾北斎の「北斎漫画」をご紹介したことがあるのですが、改めてもうひとつ、同じころに描かれた絵手本「北斎画鏡」の羊を。
トマス・ナッシュ 「春」
Spring
The palm and may make country houses gay,
Lambs frisk and play, the shepherds pipe all day.
And we hear aye birds tune this merry lay,
Cukoo, jug-jug, pu-we, to-witta-woo.
シュロのみどり葉と サンザシの花で 農家は華やかになり
仔羊はとびはねて遊び、 羊飼いは、 日がな一日笛を吹き、
小鳥は 陽気な歌をうたうのが 聞こえる
クックー、ジャグ・ジャグ、ピュ・ウィ、トゥ・ウィッタ・ウー!
これまでに、フィリップ・シドニー「アーケイディア」、クリストファー・マーロウ「若き羊飼いの恋歌」、スペンサーにシェイクスピアと、エリザベス朝の詩人たちをご紹介してきましたが、さらに同時代の詩人をもうひとり。トマス・ナッシュ(1567?1601)による「春」の中の一節です。
ジューンガル部と康煕帝
ガルダン軍の捕捉と撃滅という、この大作戦は、完全な失敗に終わったかに見えた。
失望した康煕帝は、めずらしく感情を吐露した、次のような手紙を皇太子に書いた。
(略)
私の居るここには羊の肉よりほかには何もない。(略)
皇太子は内務府の有能な役人一人、男の児一人を出して、駅馬に乗らせて、肥えた鵞鳥、鶏、豚、仔豚を三台の車で上都の牧場まで持って来させよ。
(略)
康煕帝はこのあとに漢文で「真に是れ陰山の背後」と書き加えているが、中国の俗語では「陰山背後」とは幽冥界のことである。
皇帝がこの時、いかに絶望的な気持ちであったかを表している。
ずいぶん以前に、カスティリオーネらが描くところの「準回両部平定得勝図」をご紹介したことがあるのですが、そちらにつけくわえてもう少し。
乾隆帝の戦いの記録であるこの図からさらに半世紀以上をさかのぼった、康煕帝のジューンガル部(準部)親征時に書かれた手紙です。
キーツ 「エンディミオン」(続き)
yes, in spite of all,
Some shape of beauty moves away the pall
From our dark spirits. Such the sun, the moon,
Trees old, and young, sprouting a shady boon
For simple sheep;
然り、ありとあらゆる不如意にも拘らず
形象(かたち)美しき或るものが 吾らが暗みし精神より
塞ぐ覆いを奪い去る。等しく然様のものだ 日も 月も
無垢な羊に蔭深き恵みを茂らせ展べる
老木も 若やぐ樹々も、同じく然様のもの
先日ご紹介したジョン・キーツ「エンディミオン」がおさめられた対訳本を入手しましたので、あらためて冒頭部分を。よく知られる、「A thing of beauty is a joy for ever: (美しいものはとこしえに歓びである。)」というフレーズに続く数行です。
猿猴庵 「新卑姑射文庫 三編」
糸細工
(略)
鳥・けだものゝ形、悉くいろいろの糸細工にして、其側(かたわら)には、四季の草花等を紙細工にて生うつしになしたり。
甚(はなはだ)花麗にして、興ある観(みもの)なりけり。
其趣向は、十二支の形をなしたる故に、「開運十二支甲乙大寄(かいうんじふにしのゑとおほよせ)」と外題す。
花鳥茶屋に続いて、江戸時代の見世物話をもう少し。
「尾張藩士にしてジャーナリスト」(こちらの本を購入した、名古屋市博物館ミュージアムショップの看板から)高力種信(猿猴庵)による、名古屋で興業された見世物の記録「新卑姑射文庫(しんひごやぶんこ)」より。細長い小屋を仕切って、糸細工の動物を展示したもののようです。
ヴェロネーゼ 「聖カタリナの神秘の結婚」
16世紀イタリア、パオロ・ヴェロネーゼによる「聖カタリナの神秘の結婚」です。左下に、洗礼者ヨハネと子羊が。国立西洋美術館蔵。
これまでにご紹介している同テーマの作品については、こちらで。
フラゴナール 「嵐」
「家畜の群れの帰り」と「ディアナとエンデュミオン」をご紹介している、ジャン・オノレ・フラゴナールの「嵐」です。ルーヴル美術館蔵。
恩田陸 「ロミオとロミオは永遠に」
イワキは小さく溜息をつき、立ち上がると尻をはたいた。
「ここから出たら、二人で掘りまくって、また世界中の大陸をトンネルで繋げてやろうぜ。でも、今の俺たちのドーバー海峡はここだ。俺は絶対フランスに上陸してみせる。俺たちのDデイは迫ってるぞ」
見ると、もうオワセは眠り込んでいた。イワキは頭を叩く。
「起きろ、オワセっ。眠ったら死ぬぞっ。メーリさんのひつじっ」
ハッとしたオワセが慌てて起き上がる。目をこすりつつ、スコップを握る。
「メーリさんのひつじ、わたれ、わたれ、メーリさんとわたれ、ドーバー海峡」
「メーリさんのひつじ、わたれ、わたれ、メーリさんとわたれ、ドーバー海峡」
些か調子っぱずれな声と共に、再び薄暗がりの中に、つるはしの音が響き始めた。
恩田陸の小説、「ロミオとロミオは永遠に」です。
「バトル・ロワイアル」または「死のロングウォーク」的設定プラス、「大脱走」的ストーリー。プラス、前世紀サブカルチャーへの愛、という濃度の高い一冊ですが、引用は、大脱走を企む学生たちのうちの二人、トンネル掘削担当のイワキとオワセの会話。
ひんぱんに睡眠発作を起こすやっかいな病を抱えたオワセの、一番の眠気対策は、なぜか「メリーさんの羊」を歌うこと。イワキがまた、一匹狼キャラなのにつきあいが良いんですよ。
デューラー 「皇帝マクシミリアン?世の肖像」
デューラーは、「最後の騎士」とよばれたこの人物を、真実高貴な姿として永遠に留めようと願ったに違いない。
帝が手にする柘榴の実は、内面の高貴さの象徴として、帝が若年の頃より好んだものという。
アルブレヒト・デューラーによる、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝、マクシミリアン?世の肖像です。画面左上に、双頭の鷲と金羊毛が。
金羊毛騎士団勲章をつけたハプスブルク家の人々については、こちらを。
ヴァトー 「田園の愉しみ」
これら二点の構図は非常によく似ている。
全体的な色調と大きさは全く違うのだが、構図上の類似のため、論者はまずシャンティイにある小さな作品が描かれ、次いでベルリンにある大きな画面が描かれただろうということで大まかな一致をみている。
以前、ベルリンはシャルロッテンブルク城蔵のアントワーヌ・ヴァトー「羊飼いたち」をご紹介したのですが、構図の類似から並べて語られることの多い「田園の愉しみ」をあらためて。シャンティイ、コンデ美術館蔵。
花鳥茶屋
寛政年代から江戸の浅草と両国とに、孔雀茶屋を初め鹿茶屋や珍物茶屋、又大阪の下寺町と名古屋の末広町とに、孔雀茶屋を開場した。
是等の茶屋は、動物園の先駆をなすもので、(略)呼声に釣られて庭へ通ると、正面に金網を張つて、其中に孔雀や鹿を初め、種々の名鳥を飼つてゐるので、看客は其前に備付けた床机に腰をかけ、茶を飲みながら緩々と見物したのである。
江戸の見世物としての羊について引用した、朝倉無声の「見世物研究」からもうひとつ。
明治になって動物園ができるまで、日本の都市部には、花鳥茶屋と呼ばれる珍獣珍鳥の展示場がありました。説明を読むかぎりでは、美しい鳥を愛でながらのんびりお茶を飲むところらしいのですが、参考図に描かれているのは羊か山羊に見えます。羊を愛でながらお茶……?
見世物の羊関連で、平賀源内「放屁論」もあわせてどうぞ。
シャルル=エミール・ジャック 「羊」
ジャック,シャルル=エミール(1813―1894)
バルビゾン派に属する動物画家、版画家。
(略)
ミレーとテオドール・ルソーの奨めによってバルビゾン周辺の田園風景を描き始めたが、羊の群れ、牛、馬、豚、鶏等の身近な動物画を得意とした。
彼の描く動物は版画技法で身につけた緻密な観察力と優れた技巧に裏付けられており、対象の本質が力強い筆致で生き生きと描出されている。「松方コレクション展 ―いま甦る夢の美術館―」カタログ
ひさしぶりに、シャルル=エミール・ジャックを。これまでのご紹介ぶんは、こちらで。
ペロー 「羊になった羊飼い」
ある日ティルシスは、愛の島であがめられている神に言いました。
「(略)
ああ、あのつれない羊飼いの娘から、あれほど大切にされている羊たちよ!
おまえたちの幸せな群れの中に、私も入ることが許されたなら!
そうすればおまえたちと同じように、フィリスに気に入られる幸せが味わえるものを……。」
シャルル・ペローの昔話集から、「羊になった羊飼い」の一節を。
自分の飼う羊たち以外のものを愛そうとしない、美しくて冷たい女羊飼いに恋をした主人公は、愛の神に祈って、羊の姿を手に入れます。彼女に飼われ、幸せな日々が続くかと思われたのですが……。
ペロー童話は、以前に「グリゼリディス」をご紹介しています。
フィリップ・シドニー 「アーケイディア」
夜の間、憩いの家になってくれた木陰から身を起こし、彼らは旅を続けました。
ほどなく美しい景色が見えてきて(ラコニアの荒涼とした地に飽きた)ミュシドウラスの目を喜ばせました。
天をつく大木の森で覆われた高い山々、低きにあっても生き生きとした銀のせせらぎで気持ち良く感じられるささやかな谷間、目にも麗しいありとあらゆる種類の花々で五色に彩られた牧場があり、快い緑陰を抱く茂みは、多くのさまざまな喉自慢の小鳥たちの快活な歌声でそこが茂みであることが分かりました。
どの牧場にもゆったりと安心して草を食む羊たちが群れをなし、愛らしい子羊たちは、母羊に甘えてめえめえと鳴いておりました。
こちらでは、羊飼いの少年が決して老いを知らぬかのように笛を吹き、あちらでは、若い羊飼いの娘が編み物をしながら歌い、まるで歌声は手を慰めて仕事を捗らせ、手は歌声にあわせて拍子を取っているようでした。
16世紀イングランド、フィリップ・シドニーのパストラル・ロマンスを。遭難し、羊飼いたちに救助された主人公が、彼らの出身地である理想郷アーケイディアに案内される場面です。
フィリップ・シドニーとほぼ同時代には、シェイクスピアやクリストファー・マーロウ、エドマンド・スペンサーといった人々が。ご参考にぜひ。
キーツ 「エンディミオン」
羊飼いのあいだでは 昔からこんな話が信じられていた。
和毛(にこげ)のままの仔羊が 仲間たちから迷い出たなら、
そいつは必ず 猛り狂う狼や 獲物に目を凝らす豹に怯えつつ
人の通わぬ広野へ向かう。そこで仔羊は
牧神パーンの家畜となる。そのように羊をなくした者には
群れの繁栄が約束されていた。
ジョン・キーツの「エンディミオン」冒頭から。
エンディミオンの神話については、ブルフィンチの「ギリシア神話と英雄伝説」とフラゴナールの「ディアナとエンデュミオン」をご紹介しています。