スウィフト 「ガリヴァー旅行記」

ひつじ話

ボートには百頭分の牛の肉と三百頭分の羊の肉の他、それに見合う分量のパンと飲み物、さらに四百人の料理人が調理してくれた、すぐに食べられる食料、を積み込んだ。
生きたままの雌牛六頭と雄牛二頭、及び同じ数の雌羊と雄羊も積み込んだ。
(略)
ずっと後の話になるが、次々と航海に出て最後に帰国してみて分ったことは、それらの繁殖ぶり、とくに羊の繁殖ぶりが相当なものであったことである。
その羊毛の繊細さは、今後わが国の羊毛加工業者にとって大いに利益となるだろうと思う。

ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』から、第一篇「リリパット国渡航記」を。
小人たちの国を出ることになったガリヴァーのために航海中の食料が用意される場面。もちろんひとり分です。
生きた家畜はそのまま連れ帰って(一頭は船中で「鼠にさらわれた」との描写あり)、繁殖させているようです。

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バーネット 「秘密の花園」

ひつじ話

ディコンはコリンが座っているソファのところまで行って、生まれたばかりの子ヒツジをコリンの膝にそっと置いた。
すると、この小さな生き物はすぐに温かいベルベットの部屋着に顔を押しつけ、鼻先を布地にぐいぐいすりよせ、巻き毛の頭でコリンのわきばらをそっとつっついて、何かねだるようなしぐさを見せた。
これで口をきかずにいられる少年など、いようはずがない。
「この子、何してるの?」コリンが声を出した。「何をほしがってるの?」
「母親を探してるんだよ」ディコンの顔に笑みが広がっていく。「おれ、わざと少しはらぺこにして連れてきたんだ。こいつがミルク飲むとこ、見たいだろうと思って」
ディコンはソファのかたわらに膝をつき、ポケットからミルクびんを取り出した。

フランシス・ホジソン・バーネットの「秘密の花園」から。
病弱な少年コリンのもとに、主人公のひとりメアリと野生児ディコンが、母羊を亡くしたばかりの子羊を連れてくる場面です。

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「黄金伝説」より「聖アグネス」

ひつじ話

友人たちは、八日間聖アグネスの墓のそばで見張りをしていた。
八日目に、突然墓のほとりに乙女たちの輪舞があらわれた。
乙女たちは、かがやく金いろの衣裳をつけていた。
そのまんなかに、金いろの衣をまとい、右手に雪よりも白い子羊をつれたアグネスの姿が見られた。

13世紀イタリア、ヤコブス・デ・ウォラギネによる聖人伝「黄金伝説」から、聖アグネスの章を。殉教した聖女が、自らの墓に現れて人々をなぐさめる場面です。
聖アグネスについては、いくつかご紹介しておりますので、こちらで。
「黄金伝説」は、聖クレメンスの章をご紹介したことがあります。

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「ゲーテとの対話」(続き)

ひつじ話

私は口にこそ出さなかったが、むしろ宗教問題についてのさまざまの異論が、昔から人間同士を仲たがいさせ、敵対させている、いやそれどころか、人類最初の殺人さえも、かたよった敬神がもとで起ったのだ、と考えていることに気づいた。
私は最近バイロンの『カイン』を読み、とりわけ第三幕と殺人の動機づけに感嘆した、と話した。
「そうだろう」とゲーテはいった、「あの動機づけは見事なものだ! あれにはこの世ではもう二度と書かれることがないほど、じつに類のない美しさがある」
「『カイン』も」と私はいった、「はじめはイギリスで禁止されたのですが、いまでは誰でも読んでいて、イギリス人でも若い人は旅に出るとき、大ていバイロン全集を携えていますね」
「それも馬鹿げた話だが」とゲーテはいった、「というのも、『カイン』全体のなかにあるのは、つまりはイギリスの僧正たち自身が教えているものにほかならないのだからね」

昨日のルーベンス「野良の帰り」についての対話にひきつづいて、エッカーマン「ゲーテとの対話」からもうひとつ。以前ご紹介したバイロンの「カイン」が、ゲーテによって絶賛されています。

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エッカーマン 「ゲーテとの対話」

ひつじ話

ゲーテは、食事の前に、ルーベンスの一枚の風景画を見せてくれた。
それは夏の夕景色を描いたものであった。
前景の左手には、家路につく農夫の姿が見え、絵の中央には、一群の羊が羊飼いについて村へ向っている。
右手の奥の方には、乾草車があって、まわりでは、農夫たちがせっせと乾草を積んでいる。
その横では、馬車を解かれた馬が草をはんでいる。
(略)
私には、その全体がじつに真に迫っているようにみえ、細部もじつに忠実に描かれていたので、私は、ルーベンスは、この絵をまったく写生したのだろうという意見を述べた。
「そうではない」とゲーテはいった、「これほど完ぺきな光景は、自然の中ではとうてい見られるものではなく、この構図は画家の詩的精神の産物なのだ。
しかし、偉大なルーベンスは、なみなみならぬ記憶力にめぐまれていたので、自然を全部頭の中に入れておき、いつでも自然の細部を思う存分使いこなせたのだ。

ゲーテ最晩年の言動を伝える、エッカーマンの「ゲーテとの対話」から。
以前ご紹介したルーベンスの「野良の帰り」について、ゲーテが若いエッカーマンにその芸術性を語ったことが記されています。
彼らの会話は、じつは実際の絵とは左右が逆になっているのですが、これは手元にある版画を眺めての話だからのようです。現代ならば、画集を眺めるような感覚ですね。
ゲーテに関しては、「西東詩集」をご紹介したことがあります。

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メーテルリンク 「ペレアスとメリザンド」

ひつじ話

         三の場 お城のテラス
イニョルド少年
(略)
立ちどまった……右手へ行こうとしてる羊がある……みんな、右手へ行きたがってる……でも、行けないんだ……羊飼いが土くれを投げつけてる……おや、おや、こっちを通っていくぞ……みんな、おとなしく随いていく。
(略)
……みんな、黙ってしまったぞ……羊飼いさん、ね、どうして羊たち、もう啼かなくなったの。
羊飼い
(姿は見えない)家畜小屋に戻る道じゃないからさ……

モーリス・メーテルリンクの戯曲、「ペレアスとメリザンド」から。
第四幕のなかば、お城のテラスで一人遊びをするヒロインの義理の息子が、悲しげな声をあげながら追い立てられる羊たちを見かける場面です。

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ミルトン 「リシダス」

ひつじ話

われら ともども手をとりて、同じ丘にてはぐくまれ、
泉、森かげ、清流のほとりに同じ群羊(むれ)を追い、
小高き丘の森かげに
暁あかく明くるとき
われらともども野に出でて
冷たき朝の露をもて 羊の群を育てつつ
夕空に昇る明き星
西転の軌道(みち)を下るまで
暑苦しき蟋蟀(こおろぎ)の翅音(はおと)ひねもす聞きたれば。

17世紀、清教徒革命下のイギリス、ジョン・ミルトンによる、亡くした友人を追悼するパストラル・エレジー「リシダス」を。
「同じ丘」で「同じ群羊」を追うという隠喩によって、同じ学舎で過ごし、ともに学究にはげんだ思い出が語られます。
牧歌(パストラル)については、田園詩、田園画ともに、このあたりで。

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「本草綱目 獣部」より「羊」

ひつじ話

地生羊
西域に産する。劉郁の出使西域記に『羊臍を土中に種(う)ゑて水を漑(そそ)いで置くと、雷を聞いて臍が生える。その臍は地に連つてゐるのだが、生長してから木聲で驚かすと斷(き)れ離れて歩行(ある)き出し、草を囓(く)ふ。秋になるとその臍の肉を食へる。また瓏種羊(ろうしゅやう)と名ける種類のものもある』とある。
段公路の北戸録には『大秦國に地生羊といふがある。その羔(かう)は土中から生ずるので、國人は牆を築いてそれを圍う。臍は地と連つてゐて、割けば死ぬものだ。しかしただ馬を走らせ鼓を撃つて驚かすと驚き鳴いて臍が絶ち斷れ、水草を逐ふて行くものだ』とある。
呉策の淵頴集には『西域では地に羊が生える。脛骨を土中に種ゑ、雷聲を聞くとその骨の中から羊子が生れ、馬を走らせて驚かすと臍が脱ける。その皮は褥(しとね)になる。あるひは漠北地方では羊角を種ゑると生えて、大いさ兎ほどの肥美なものになるともいふ』とある。

「本草網目啓蒙」「和漢三才図会」のお話で触れている、本家中国の「本草綱目」のご紹介がまだでしたので、あらためて。
地生羊、または植物羊、バロメッツといった「地に生える羊」モチーフに関しては、まとめてこちらでぜひ。

記事を読む   「本草綱目 獣部」より「羊」

羊の字の字源

ひつじ話

犠牲を宗廟に進める意味から羞の字が生まれる。
(略)
丑すなわち物を手にとって進める象形文字と、羊の字との形声会意文字が羞の字であって、字音は「シュウ」、字義は羊を宗廟に進め、供え祭るのを本義とし、転じて供物や料理の意となり、さらに転じて、供物を進め足りないのを恥じる意からはじる意味となった。

先日「ひつじの語の語源」をご紹介した『十二支攷』から、ひきつづいて、「羊の字の字源のはなし」を。
羊の字が関係する漢字については、これまでに「三国志演義」羊神判のお話をしたことがありますが、こちらでは、「羞」についてを。

記事を読む   羊の字の字源

ひつじの語の語源

ひつじ話

雑誌『郷土研究』第四巻第二号(大正五年五月) (略) には「稲の反生をヒツジと呼ぶが如く、羊の毛は剪(き)りて反生するより斯く名付けしと云うが穏当と信ず」とある。
(略)
すなわち「ひつぢ」とは稲を刈り取った後に再生または反生する稲の俗称であって、羊の毛を剪って反生するのが、ちょうど「ひつぢ」が刈稲から生ずるのと同じであるところから、羊を「ひつぢ」といったというのである。
さらに「ひつち」または「ひつぢ」の語源については『名語記』は「へづちの転であつて、へづちははえ、づる、とみの反なり」と言い、『言元梯』は「ヒステ(不秀手)の義」といっているが、『日本釈名』『東雅』『名言通』『大言海』はいずれも「ヒツチ(乾土・干土)の義」としている。
この説の弱点は上古はヂとジを現在のように混同することがなかったのに、この転化がなぜ行われたのかの疑問が残るところにあるが、ヂがジに転ずる例は必ずしも稀有のことではない。

ご紹介はしたものの、まず動物の羊とは関係ないだろうと思っていた「ひつじ田」ですが、前尾繁三郎『十二支攷』の、「ひつじの語の語源のはなし」と題された章を読んでいたら、いきなりつながってしまいました。
ひつじ田の稲とかけて羊の毛ととく。そのこころは刈ってもまた生えてくる。よって、動物の「羊」を「ひつじ」と呼ぶ、ということのようです。なんと。

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メムリンク 「聖カタリナの神秘の結婚」

ひつじ話

「聖カタリナの神秘の結婚」 「聖カタリナの神秘の結婚」(部分)
メムリンクは、聖女や聖人たちに囲まれる聖母というテーマをたいへん気に入っていたようです。
彼はファン・デル・ウェイデンの作風から強い影響を受けましたが、それをさらに甘美で繊細な絵画にしました。

先日、「ボードワン・ド・ランノワの肖像」をご紹介したヤン・ファン・エイク、「フィリップ善良公の肖像」のロヒール・ファン・デル・ウェイデン、「寄進者ヴェルルと洗礼者ヨハネ」のロベール・カンパンらの次の世代にあたる、15世紀フランドルのハンス・メムリンクによる、「聖カタリナの神秘の結婚」です。聖カタリナのうしろに、羊を連れた洗礼者ヨハネ。
「聖カタリナの神秘の結婚」をテーマにしたものとしては、マテオ・セレーソアンドレア・デル・サルトをご紹介しています。

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アポリネール 『動物詩集』より「チベット山羊」

ひつじ話

チベット山羊
この山羊の毛の見事さにも
ジャソンがあれほど難儀して
探しまわった金羊毛にも
なんの値打ちもないほどさ、
ぞっこん僕が惚れこんだ
あの黒い毛に較べたら。

「地帯」をご紹介しているギヨーム・アポリネールの詩をもう一編。堀口大學訳、「動物詩集 又はオルフェ様の供揃え」より、「チベット山羊」を。
ご紹介したばかりの「神曲」もそうですけれど、イアソンって、あんまり英雄らしからぬ扱いを受けがちなんでしょうか。

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ダンテ 『神曲』「地獄篇」第十八歌

ひつじ話

そこで、ダンテはその古い橋の上に立って、向かい側からこっちへやってくる群集の列を見守っていたが、彼らも同様に鞭うたれていた。
ダンテが質問するまえにヴィルジリオが説明をはじめた。
「むこうからやってくる身体の大きな者を見たまえ、彼はどんなに苦しんでも涙を流さない、なんといまだに王者の威厳をたもっているではないか。
あれはジャソーネといって、勇気と知恵でコルキス人から牡羊を奪った者だ。
(略)
かくして、彼がメデアにした裏切り行為は報復を受けたのだ。」

ダンテ・アリギエーリ「神曲」から。
「地獄篇」第十八歌で描かれる第八圏第一嚢、「婦女誘拐者の嚢」にジャソーネ(イアソン)がいるようです。イアソンが何者かについては、このあたりでどうぞ。
ダンテが私淑し案内者として登場させたヴィルジリオ(ウェルギリウス)についても、「牧歌」をご紹介しております。

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辻邦生 「春の戴冠」

ひつじ話

父マッテオは富裕な羊毛輸出入商(カリマラ)であり、仕事のかたわら読書に専念し、著書も数冊残している。
(略)
そのなかには、わがフィオレンツァの花々しい興隆の姿が、雲の低く垂れた北の町々、ロンドンやブリュージュやリオンやリューベックなどの賑やかな風景、また梱包された羊毛、穀物袋、皮革、オリーブ油を満載したジェノヴァの船の風をはらんだ帆柱の軋りなどとともに克明に記されているのである。
いや、それだけではない。父の日記にはその日々の羊毛の取引高、手数料の変動、輸出織物の数量なども、少し右斜めにかしいだ几帳面な字体で詳細に記されている。
(略)
都門からはかたい石だたみの道を鳴らして馬車がひっきりなしに入ってきた。
もしその馬車がサン・フレディアーノ門からやってくるとすれば、それはほとんどピサを経由してジェノヴァから送られてきた羊毛の袋を満載していた。

フィレンツェの話をもう少し。
15世紀のフィレンツェを舞台にした辻邦生の歴史小説から。
羊毛を扱う富豪の家に生まれ、サンドロ・ボッティチェッリの幼友達でもあった主人公の「私」の目を通して、メディチ家による花の都の黄金時代と、サヴォナローラの台頭と破滅までが描かれます。
引用はその冒頭、すでに年老いた「私」が少年時代を回想し、その活気あふれる様と現在の荒廃とを引き比べて打ちのめされる場面です。
ボッティチェッリは、システィナ礼拝堂のモーセをご紹介しています。こちらの小説でも出て来ますよ。

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ヤン・ファン・エイク 「ボードワン・ド・ランノワの肖像」

ひつじ話

「ボードワン・ド・ランノワの肖像」 「ボードワン・ド・ランノワの肖像」(部分)
モランベエの城主でリールの知事をつとめ、1427および28、9年の善公の求婚使節団に副団長格で参加してアラゴン、ポルトガルへ赴き、帰国して1430年1月10日に金羊皮騎士団員に任ぜられ、同名の頸章を受けた。

 「ファン・エイク全作品」 

ヘント祭壇画を何度かご紹介しているファン・エイク兄弟の弟、ヤン・ファン・エイクの「ボードワン・ド・ランノワの肖像」を。
同時代の画家である、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「フィリップ善良公の肖像」ロベール・カンパンの「寄進者ヴェルルと洗礼者ヨハネ」もご参考にぜひ。
胸にさげている金羊毛騎士団勲章については、こちらでまとめてどうぞ。

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