クリストファー・マーロウ 「若き羊飼いの恋歌」

ひつじ話

The Passionate Shepherd to his Love
Come live with me and be my Love,
And we will all the pleasures prove
That hills and valleys, dale and field,
And all the craggy mountains yield.
There will we sit upon the rocks
And see the shepherds feed their flocks,
By shallow rivers, to whose falls
Melodious birds sing madrigals.
頼むから、家に来て俺の嫁になってくれ、
もし来てくれたら、二人で数々の楽しみを味わおう、
丘や谷、深い渓谷や野原の楽しみを、いや、
険しい山の楽しみを、心ゆくまで二人で味わおう。
山の岩場に腰をかけ、小川のほとりで羊を飼っている
あの連中を二人で眺めるのも楽しかろう、
その小川のせせらぎの音に合わせて、
小鳥たちもきっとマドリガルを歌ってくれるはず。

16世紀イギリスの劇作家、クリストファー・マーロウの「若き羊飼いの恋歌(The Passionate Shepherd to his Love)」です。シェイクスピアとほぼ同時代人ですね。シェイクスピア関連はこちらで。
時代はまったく違いますが、イギリスの詩人つながりで、テニスンの「アーサー王の死」ブレイクの「羊飼い」もご参考にどうぞ。

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サン=テグジュペリ 「人間の土地」

ひつじ話

ギヨメは、この同じ航空路の、ぼくに先んじた経験者であった。ギヨメは、スペインの鍵を手に入れる秘密を心得ていた。ぼくには、ギヨメの教えを乞う必要があった。
(略)
それにしても、あの晩、なんと不思議きわまる地理学の講習を、ぼくが受けたことか! ギヨメはぼくに、スペインを教えてはくれなかった、彼はスペインをぼくの友達にしてくれた、彼は、水路学のことも、人口のことも、家畜賃貸のこともまるで語らなかった。彼はまた、ゴーデスについても言わなかった。ただゴーデスの近くに、ある原っぱを囲んで生えている三本のオレンジの樹について、〈あれには用心したまえよ、きみの地図の上に記入しておきたまえ……〉と、言った。
(略)
ぼくはまた、あの小山の中腹に陣をしいていまにも襲いかかろうと身構えているという、その三十頭の闘羊に対しても、しっかり足をふんばって待機した。〈きみは、この牧原には、障害物は何もないと思いこむ、ところがいよいよやってみると、さあたいへんだ! 三十頭の羊がいて、きみの車輪の下へ流れこんでくる……〉この、世にも不実な脅威に対し、ぼくはただ、感嘆の微笑をもって報いるのみだった。
やがて、すこしずつ、ぼくの地図のスペインが、ランプの灯かげのもとで、おとぎの国になってくるのであった。ぼくは、十字を印しては、避難所と陥穽に目印をする。ぼくはあの農夫に、あの三十頭の羊に、あの小川に印をつけた。ぼくは、地理学の先生たちがなおざりにした、あの羊飼い女を、その正当な位置においた。

ずいぶん以前に「星の王子さま」関連本をご紹介したアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリですが、こちらはその飛行士としての経験を描いた随筆集。
新人の郵便飛行士であるサン=テグジュペリが、僚友に助言を求める場面です。

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ベノッツォ・ゴッツォリ 「羊飼いの宵越し」

ひつじ話

「羊飼いの宵越し」
「羊飼いの宵越し」(部分)
壁面の絵画装飾は、礼拝堂の広間と内陣という二つの空間に対応して分かれている。
広間は、右上にある城壁に囲まれた白い都市エルサレムから、祭壇画のなかで讃えられているキリスト降誕の地ベツレヘムへと向かう《東方三博士の旅》にあてられている。
内陣の両側にある聖具室の入口の上の細長い壁面には、聖夜に先立つ黄昏時の《羊飼いの宵越し》が描かれている。

15世紀イタリアのベノッツォ・ゴッツォリによる、メディチ・リカルディ宮「東方三博士礼拝堂」のための壁面装飾から。

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エンデュミオンの神話

ひつじ話

エンデュミオーンは美青年で、ラトモス山の上で羊飼いをしていた。
ある静かな、晴れ渡った夜のことである。
月の女神アルテミスが下界を見下ろしていると、この美青年が眠っている姿が見えたのである。
すると、そのずばぬけた美しさに処女神の冷めた心も暖められてしまい、彼のいる下界に降りて、彼に口づけをし、眠っている間、そこで見守っていたのだった。
別の伝説によると、ゼウスが永遠の若さに永遠の眠りを結び合わせて、この青年に贈ったともいわれている。
こうした贈り物を授けられた人物に関して、特に記録されているような冒険譚もないのである。
伝えられるところによると、この美青年が眠っている間に、その資産が盗み取られることがないように、アルテミスが気を配ってやったという。
というのは、女神が彼の家畜の群れを増やし、羊や子羊たちを野獣から保護してやったからである。

先日ご紹介したフラゴナール「ディアナとエンデュミオン」の由来となったギリシア神話を、トマス・ブルフィンチの「ギリシア神話と英雄伝説」から引いてみました。
羊飼いが眠っているあいだ、羊の世話は月の女神がしているようです。

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星曼荼羅

ひつじ話

星曼荼羅 星曼荼羅(部分)
平安朝時代にはいって、弘法大師、伝教大師などが唐にわたり、真言宗や天台宗を開いた。
これらの宗派は密教と呼ばれ、真言秘密の法という言葉があるように、いろいろ呪術的な儀式が行われた。
その1つに星祭りがある。
(略)
星を図像化した絵を祭壇にかかげて祭るのである。この絵図が星まんだらである。
(略)
星まんだらの中では北斗が最も重要であるから、北斗まんだらとも呼ばれる。
しかし星まんだらには北斗だけが図像化されているわけではない。
このほかに九執曜、十二宮、二十八宿が図像化されて、1図の中に描かれているのが普通である。
九執曜というのは、日月五星の7つの外に、羅喉星、計都星を加えて9つとしたものである。
後の2者はインド伝来の天文学によったもので、インドでは黄赤道の両交点にこの2つの星があって、これに隠されて日食や月食が起ると考えた。
十二宮はもちろんバビロンにはじまる黄道十二宮を図像化したものであり、二十八宿はインドおよび中国で行われたものである。
したがってこの星まんだらにはバビロン、インドなどの天文学の影響が存在しているといえよう。
(略)
星まんだらの源流はおそくとも唐代の中国にあり、それが平安朝のころにわが国にはいって、当時書かれたものが相当残っている。

野尻抱影「星座」より、星曼荼羅の解説部分です。左やや上の円の中に牡羊座。
現在拝観が許されている星曼荼羅がないか調べてみましたら、6月30日まで法隆寺で開かれている「法隆寺秘宝展」の展示品リストにありました。見に行けると良いのですが。
その他、やや強引ながら日本の星図つながりということで、司馬江漢の「天球図」もご参考にぜひ。

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フラゴナール 「ディアナとエンデュミオン」

ひつじ話

「ディアナとエンデュミオン」

「家畜の群れの帰り」をご紹介しているジャン・オノレ・フラゴナールの、ギリシア神話に由来する「ディアナとエンデュミオン」を。
ロココ美術のご紹介も少したまってきましたので、こちらでまとめてぜひ。

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「食卓の賢人たち」

ひつじ話

ウルピアヌスがこういう話をつづけているところへ、世にいう物知り料理人の見本のようなのが入ってきて、「ミュマでございます」と言った。
ほとんどの者にはこのミュマなるものが初耳だったので―その料理人はミュマとは何か説明しなかった―ぽかんとしていると、彼が言った、
(略)
「(略)料理術が格式の高いものだったことは、アテナイの触れ役を見れば分かります。
触れ役は料理人と犠牲獣の喉を切る係を兼ねていたのですからな。
(略)ホメロスでは、アガメムノンは王でありながら、彼自身が犠牲を供えております。
詩人はこう申しておりますでしょう(『イリアス』三、二九二)、
「(アガメムノンは)かく言うと、哀れみを知らぬ剣をかざして羊の喉を切った。
羊は息もたえだえに、あえいでおったが、青銅の刃に
命を奪われ、地面にくずれ落ちた。」
(略)
ローマでも、検察官―これはたいへん高い地位です―が紫の縁どりをした衣装を着け冠を戴いて、斧で犠牲獣を屠ります。
ホメロスでも触れ役が宣誓を行ない犠牲を執り行ったのは、何かのついでにたまたまやったわけではなく、これは古くから彼のつとめと決められていたことなのです。
「早速にも羊をつれ、プリアモス王を招くべく、ヘクトルは
城内へ二人の触れ役をつかわした。」(『イリアス』三、一一六)
一方アガメムノンは(同、一一八)、
「王アガメムノンはタルテュビオスをばつかわし、
虚ろに造った船の陣へ赴き、羊を持って参れと命じた。」

2世紀ごろにアテナイオスによって著された、古代ローマの宴席を描く「食卓の賢人たち」から、物知り料理人の長台詞を。
王が羊を牽くというと、古代中国の肉袒牽羊の故事を思い出しますが、立場はずいぶん違っていそうです。
なお、これまでに「イリアス」関連でソポクレスの「アイアス」オデュッセウスを、
古代ローマの宴席については、「サテュリコン」その続き、及びアピキウスのレシピをご紹介しています。

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ベアトゥス黙示録註解(ファクンドゥス写本)

ひつじ話

ファクンドゥス写本による子羊のヴィジョン
子羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。
巻物を受け取ったとき、4つの生き物と24人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、子羊の前にひれ伏した。
この香は聖なる者たちの祈りである。

黙示録第5章

この挿絵が宇宙的ヴィジョンを示そうとしたのは明らかである。
全体を囲む大円には白く輝く24個の星々があり、それがこの宇宙図を活気づけている。
もちろんその数は偶然の数ではない。
円内の水平と垂直の軸上に、福音書記者のシンボルの4つの生き物が表わされ、他に12人の人物がいる。
3人ずつ4グループを成す12人は、24人の長老たちを意味する。
グループごとに、1人が楽器を、1人が黄金の鉢を手にし、3人目の人物が跪拝のポーズ(プロスキネシス)をとって、子羊の前に平伏している。

8世紀スペインのベアトゥスによって書かれた「ヨハネ黙示録」の註解の、11世紀に制作された写本の挿絵部分です。
引用した「子羊、4つの生き物、長老たちのヴィジョン」は、ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」の表紙にもなってますね。

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金羊毛騎士団勲章の写真

ひつじ話

金羊毛騎士団勲章
金羊毛騎士団勲章は、金の台座の上に、およそ400個のダイヤモンドと102個のルビー、セイロン産の大きなサファイアがちりばめられた3つの部分からなる。
上部は中央の13カラットの大きなダイヤモンドを中心に、リボン結びの形にしてダイヤモンドが配されている。
葉模様で縁取りされた楕円形の中央部は、31.50カラットから14カラットまでの5つの大きな良質のダイヤモンドで椰子の葉状に飾られている。
下部は松明と羊からなり、中央に48カラットの8角形の大きなサファイアを配し、184個のルビーが嵌め込まれている。
(略)
1825年の史料によると、この勲章は、1785年5月3日ヴィラ・ヴィソーザで当時王太子のドン・ジョアンに授与されたことになっており、未来の王(ジョアン6世)は、802号で入団した。

 「ポルトガル―栄光の500年展」カタログ 

勲章を胸にさげた王侯たちの肖像画をいくつもご紹介しているものの、そのものについての説明がこころもとなかった金羊毛騎士団勲章ですが、みごとな写真をみつけましたので、あらためて。豪華です。

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シャルトル大聖堂の十二宮(続き)

ひつじ話

シャルトル大聖堂のステンドグラスの黄道十二宮
《黄道12宮の象徴と12か月の労働》
高さ:7.47m 幅:2.07m

扉口の浮彫による十二宮と月々の仕事をご紹介しているシャルトル大聖堂の、こちらはステンドグラスによるものです。
縦長の窓の低めの位置に、三月の労働である「ぶどうの剪定」と並んで、「牡羊座」が。

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伊集院静 「羊の目」

ひつじ話

近づくとそれは古い教会だった。海風に晒された分厚い木の扉が開いていた。武美は中を覗いた。人影はなかった。天窓から差し込んだ陽差しが祭壇を浮かび上がらせていた。きらきらと光るものが見えた。何だろう? 武美は中に入った。祭壇の背後の壁に磔刑のキリスト像がかかっていた。木偶の素朴な像だった。光っていたものの正体は祭壇の上にぽつんとあった子羊の石像だった。そのそばにイエスを抱いたマリア像があり、赤児のイエスが子羊に手を差し出していた。赤児と子羊の頭が光を放っている。武美はリトルトーキョーの教会で神父と交わした会話を思い出した。
『神はどんな人間でも救って下さるのですか』

伊集院静の小説「羊の目」です。「親の望むがままに敵を葬り、闇社会を震撼させる暗殺者となった武美に、神は、キリストは、救いの手をさしのべるのか―。」とのアオリつき。任侠ものを読んで羊に出会えることがあろうとは。

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ファブリオー 「エテュラ」

ひつじ話

司祭は答えてこう言った。
「こんな時刻に来いなどと
おまえは気でも狂ったか
靴も脱いでしまっている。
とても出かけられぬぞ」と。
若者はすぐ言葉を継ぎ
「いや、だいじょうぶ、私が
おぶって差しあげます」と言う。
(略)
キャベツを盗っていた弟は
白い衣をフラフラさせ
近づいて来る司祭を見て
獲物を運ぶ兄と思い
うれしそうに声をかけた。
「何かあった?」「お待ちのものです」
てっきり父の声だなと
思った息子はそう答えた。
「じゃ、そこにすぐ投げ降ろせ。
包丁はとてもよく切れるよ。
鍛冶屋で昨日、研がしたから。
のど首はすぐ切れるだろう」
(略)
キャベツを盗っていた方も
なぜ逃げるのか、誰なのか
白くフラフラしているのが何か
驚きながら杭にまで
来てみれば、それは袈裟だった。
そこに羊を肩にして
小屋から出てきた兄の方が
キャベツを袋一杯に
盗った弟に声を掛けた。

中世ヨーロッパの滑稽譚ファブリオーの紹介本から、「エテュラ」を。
空腹に耐えかねた貧しい兄弟が、闇にまぎれて富家に泥棒に入ります。兄は家畜小屋に忍び込み羊を肩にかついで、弟は包丁を手にキャベツ畑に。そこに司祭をおぶった富家の息子がはちあわせて……?

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善き羊飼いの石棺

ひつじ話

石棺(部分) 善き牧者の石棺

先日に引き続いて、「善き羊飼い」モチーフのお話を。初期キリスト教の石棺群に浮彫されたものです。
この「羊を肩にかつぐ」ポーズは、ブリューゲル下絵の版画「良い羊飼いのたとえ」ウィリアム・J.ウェッブの「迷える羊」にも使われています。ご参考にぜひ。

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善き羊飼い(続き)

ひつじ話

善き牧者》(および牧者のテーマ)
3?4世紀を通じ、《善き羊飼い》、《牧者》の姿を借りて使徒の魂の守り手、導き手を表現する図像が発達した。
(略)
ここに《善き牧者》と特に限定して指すのは、正面立像の牧者(若者又は老人)が肩に羊をかつぐ型のことである。(ルカ伝15章5節参照)。
これと同じ型は、すでに古代東方美術中に、生けにえを運ぶ供養者の姿として、またギリシア美術では《牡羊をかつぐヘルメス》として、表されている。
牧杖、牧笛その他牧人の持物や服装をそなえていることは勿論である。
他方、(略)牧人の田園生活を表す主題が、文学におけるのみならず、古代末期異教美術のレパトリーの重要な部分を占めていた。
《善き牧者》図像の登場と同時に、こうした異教起源の牧人のモティーフが大量にキリスト教美術中にも導入された。
山羊の乳をしぼり、牧笛を吹き、牧杖に体をもたせかけ、あるいは水辺に横たわって、休息する牧者たちの周りには、樹木や小丘、草を食む羊の群れ、番犬、藁小屋などが配され、牧歌的雰囲気をかもし出す。
迫害時代には、この種のローマ世界に慣例化していた牧歌的モティーフを意識的に利用することにより、信者のみにその意味を啓示する像として《善き牧者》の姿が巧みにおおい隠されていたのだと解釈してもよかろう。

カタコンベのフレスコ画ヴァチカン美術館の彫像をご紹介している、羊を肩にかつぐ羊飼いのテーマについて、良い解説がありましたので、あらためて。
聖書における羊飼いイメージの典拠として、福音書詩編もご参考にどうぞ。

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