「らくだこぶ書房21世紀古書目録」

ひつじ話

「この目録で紹介しておりまする本は、21世紀になりましてから、この50年ほどの間に出版された古本に限ったものでございまして、当然のことながら、そちら様にしてみれば、まだ見たことも聞いたこともない『未来の古本』たち、すなわち来るべき21世紀の古書目録なのであります」
(略)
書名  羊典
著者名  スリーピング・シープ・編
(略)
序文を開いてみますと、
「本書は眠れぬ夜の寝台にて、羊を数えながら、羊のすべてを知る愉しい辞典であります。どうぞ枕元にいつでも一冊。なあに眠れぬ夜にだけ読めばいいんです。枕にもなりますし」
などと、のんびりしたことが書いてありますが、頁をめくっていきますと、写真あり、図版・イラストあり、あらゆる時代の書物や映像から羊たちが渉猟され、じつに素晴らしい編集作業の成果であることが分かります。

「未来の古本」という設定で作られた、クラフト・エヴィング商會による架空の書籍の紹介がつまった一冊、の中の一冊。
いや、ほんとに欲しいんですが、これ。ちなみに、書名は「ひつじてん」と読むようです。

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コードウェイナー・スミス 「ノーストリリア」

ひつじ話

「ノーストリリア」表紙
行こう、雄羊が踊りまわり跳ねまわるところへ
聞こう、雌羊があいさつし、メェーと鳴くのを
急ごう、子羊が駆けまわり、じゃれまわるところへ
見よう、ストルーンが育ち、あふれかえるのを
眺めよう、みんなが世界と富を
  刈りいれ、山と積むのを

コードウェイナー・スミスの長編SF、「ノーストリリア」から。
牧場主であり、また銀河一の富豪ともなった少年が、地球を買い取り、その地で冒険を重ね、恋をして、最後に故郷に帰る前に、恋した相手のために歌う歌です。
引用画像は、絶版になっている文庫の表紙。昨年新装版が出たのですが、表紙が羊じゃないので、ここはあえて古いほうを。

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おしゃべりの樹

ひつじ話

アレクサンダー大王と「おしゃべりの樹」
アレクサンダー大王と「おしゃべりの樹」(15世紀ごろの『シャー・ナーメ』写本ミニアチュア)。
ロジャー・クック『生命の樹―中心のシンボリズム』による。
紀元前四世紀のマケドニア国王アレクサンダー大王のアジア遠征は、まずペルシア帝国への侵攻からはじまりましたが、征服されたペルシアでは、ヨーロッパ各地に発生したアレクサンダー伝説と軌を一にして、かれを英雄としてたたえるイスカンダル(アレクサンダーのペルシア名)伝説が生まれました。
そんな伝説のひとつを物語っていると思われる細密画(ミニアチュア)があります。
イスカンダルが一本の樹を見あげているのですが、なんと! その樹は、おかっぱ頭(?)の人間やら、馬やら駱駝やら豹やら羊やら龍やら……の頭部を枝の先端にくっつけているではありませんか。
このあたまたちは、イスカンダルの野望を戒め、異国の地におけるかれの死を予言しているとのことで、この樹は、「おしゃべりの樹」と名づけられているそうです。

円明園十二生肖獣首銅像関係で二冊をご紹介している中野美代子の著書をさらに一冊。
動物の成る樹というと、やはり植物羊を思い出すのですが、どこかで両者がつながってたりするのでしょうか。

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「狂えるオルランド」第十七歌

ひつじ話

 化け物の住む岩屋の近く、
高く聳えた岩肌のその頂きに、
ほぼ同じ大きさのまた別の岩屋があって、
そこには羊が入れられていた。
その数はとてものことに数え切れぬが、夏にも冬にも、
オルクスは羊を草場に連れて行くとのことだった。
(略)
羊を囲った岩屋に着くと、大きな岩を押しのけて、
羊の群れを外に出し、われらを中に閉じ込めて、
首から吊した笛を吹きつつ、
羊といっしょに草場へと出かけて行った。
(略)
 群れといっしょにわれらも外に出ないようにと、
オルクスは岩穴の戸口にその手を差し渡し、
出口でわれらを捕まえて、背中に山羊の皮やら
羊の毛があれば、そのまま通す。
男も女も、粗い毛皮を身に纏い、
かくも異様な手だてを用いて、外に出た。

イタリアルネサンスの叙事詩、「狂えるオルランド」に出てくるエピソードです。
描かれるのは、盲目にして羊飼いでもある化け物オルクスに捕らわれた王妃を救うために、山羊や羊の毛皮をかぶって脱出をはかる王ノランディーノ一行の奮闘。
ホメーロス「オデュッセイアー」に登場するキュクロープスが下敷きになっているようです。

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ヒツジのしっぽの煎餅風

ひつじ話

従来、モンゴル遊牧民は煮込んだヒツジの脂肪尾を薄く切って手のひらに載せて噛まずに飲み込む習慣があり、脂肪尾はヒツジ肉のなかでも大切な部分としてみなで分け合って食べる。
近年になって、都会の人びとにもこの脂肪尾をおいしく食べてもらおうと、このような工夫が生まれたと思われる。
材料〕 ヒツジのしっぽ、卵白、干した果物、煎りゴマ、砂糖などを適宜用意しあらかじめ練っておく。
作り方〕 ヒツジのしっぽを薄切りにし、練っておいたあんを薄く伸ばすように載せ、これを卵白にくぐらせて170度のサラダ油でさっと揚げるだけでできあがり。

「世界ことわざ辞典」「十五世紀パリの生活」を読んで以来、美味であるらしい羊の尻尾のことが気になっていたのですが、「世界の食文化 (3) モンゴル」の一章、「内モンゴルの代表的な地方料理」のなかに、こんなレシピがありました。酒のつまみに最適らしいです。

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小川一水 「天冥の標〈2〉―救世群」

ひつじ話

「じゃあ、これで」
ロボットが退場し、今度はふかふかした毛皮に覆われた動物が現れた。華奈子は微笑んだ。
「すてきよ。その格好なら可愛がってあげるわ」
「ありがとう。これからもよろしく」
螺旋型の角を持つ羊が、ぺこりと頭を下げた。
ポッドのはしで赤ランプが点滅し始めた。
「ああ、バッテリーが切れそう。あなた、すごい電気食うわね。ひとまず切り上げてもらえるかしら」
「わかった、退避するよ。じゃあ、また」
「またね」
羊が消えると、華奈子はポッドの電源を落とした。

小川一水の「メニー・メニー・シープ」、続刊が出てます。もう、続きが気になって気になって。
裏表紙には、「すべての発端を描く」という惹句。前巻から一転、一気に時代をさかのぼり、激甚な被害をもたらす感染症と闘う、近未来の人々が描かれます。おおそう来たか、といった展開なのですが、たぶんこれだけでは終わらないんだろうなと。ああ、続きが気に(以下くり返し)。

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エドワード・ヒックス 「ノアの箱舟」

ひつじ話

「ノアの箱舟」 「ノアの箱舟」(部分)
エドワード・ヒックスは1780年、ペンシルヴァニアのクウェーカー教徒の家に生まれ、幼くして母を失い、両親の友人夫妻によって育てられ、後に馬車製造の仕事につくが、馬車の製造には塗装が不可欠なので、同時に、店の看板の絵や飾り文字、チェストや小箱の装飾、椅子の製作を行い、クウェーカー教徒的勤勉さで「平和なる王国」の絵を喜びに満ちて描き、後には説教師にもなって、クウェーカー教の創始者ウィリアム・ペンの理想を説き、かつ理想の王国のイメージを描き、1849年に世を去る。

19世紀アメリカの画家、エドワード・ヒックスの「ノアの箱舟」です。フィラデルフィア美術館蔵。
引用は、金井美恵子の美術エッセイ「スクラップ・ギャラリー」から。

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神戸市立博物館 「トリノ・エジプト展」

ひつじ話

2010年3月20日(土)より5月30日(日)まで、神戸市立博物館で開かれている、「トリノ・エジプト展 ―イタリアが愛した美の遺産―」を観て参りました。
ひつじ度、高いです。

アメン・ラー神に牡羊の頭部を捧げるペンシェナブの像
アメン・ラー神に牡羊の頭部を捧げるペンシェナブの像
新王国時代、第19王朝(前1292?前1186年頃)
テーベ西岸、ディール・アル=マディーナ出土
石灰岩、彩色  高さ:63? 幅:20? 奥行:47?

 「トリノ・エジプト展」カタログ 

こちらの印象的な像のほか、前8世紀から前6世紀頃の、金板に牡羊の頭を型押ししたパーツをつらねた首飾りなどが見応えあり。始まったばかりですので、是非。
こちらの展覧会は、神戸展のあと、
2010年6月12日(土)―8月22日(日) 静岡県立美術館
に巡回が予定されています。

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「随園食単」

ひつじ話

羊頭(ヤントウ 羊頭の細切煮付)
羊頭の毛は浄(きれ)いに去(の)けねばならぬ。
もし浄いにならなければ火で焼き、洗い浄めて切開き、とろけるほど煮てから骨を去り、その口内の老(かた)い皮は皆浄いに去けねばならぬ。
眼玉は二つに割って黒い皮を去り、白い球も用いない。
頭を小塊に切り砕いて、老肥した雌鶏の汁(だし)を取ってこれを煮る。
しいたけと筍の細切り・甜酒(あまいさけ)四匁・醤油一杯を加える。
もし辣(から)いのが好みなら小胡椒十二粒と葱の白根二十段(きれ)を用いる。
もし酸ぱいのが好みなら、米醋一杯を加える。
羊羹(ヤンケン 羊肉の餡かけ汁)
煮熟した羊肉を取って骰子大の小塊に斬り、鶏の汁(だし)で煮て、筍としいたけと山芋との細切りを加えて一緒に煮込む。

羊羹ばなしつながりでもうひとつ。
「中華飲酒詩選」などをご紹介している青木正児訳註による、袁枚の料理書「随園食単」より、獣類の部から羊料理の部分を。
以前ご紹介した「斉民要術」の解説書に載ってた料理よりは、少なくとも「羊羹」のほうは、自力で再現が可能な気がします。おいしそうですし。

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ロシア民話 「動物たちの冬ごもり」

ひつじ話

動物たちは道を歩きながらこんなことを話しあった。
「仲間の諸君、どうしよう。冷たい季節がやってくる。どこで暖かい場所を探そうか」
牛はこう言った。
「みんなで小屋を作ろう。さもないと冬になってこごえてしまうから」
羊は言った。
「ぼくは暖かい外套を着てるんだ。ほら、こんなにもくもくしている。このままで冬を越せるよ」
(略)
やがて冷たい冬がやってきて、寒さが身にしみるようになった。
羊はがまんできなくなって、牛のところへやってきた。
「中へ入れて、暖まらせておくれ」
「だめだよ、羊くん。きみは暖かい外套を着てるんだ。そのまま冬を越したまえ。中へは入れてあげないよ」
「入れてくれないなら、ぼくは小屋のまわりをぐるぐる走って、小屋の丸太をつきくずしてしまうからね。」

アファナーシェフ編纂の「ロシア民話集」より、「動物たちの冬ごもり」を。
こんなにわがまま放題の羊ですが、じつはこのあと、彼らを狙う熊と狼と狐を相手に大活躍をするのです。なかなか痛快。

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愛知県美術館 「大ローマ展」

ひつじ話

愛知県美術館で3月22日(月・振休)まで開催中の「大ローマ展 古代ローマ帝国の遺産 栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ」に行って参りました。
あと一週間で終わる展覧会の情報を出してどうするって感じなのですが。
でもこれが。この「ユピテル・アモンの竿秤」のおもりが、たいへん可愛らしいので。
手の中におさまるサイズの神様の頭が、竿秤のおもりとしてさがっているのです。これで商売の信用度が変わったりするんでしょうか。

「ユピテル・アモンの竿秤」
竿秤の一方の腕には目盛りがついており、ユピテル・アモンの頭部をかたどった平衡錘が通してある。
もう一方の短いほうの腕には鈎がついており、そこから4本の鎖で皿が吊るしてある。
商品の重さは、1から10までの目盛りで量れるようになっていた。

 「大ローマ展」カタログ 

ユピテル・アモン(アメン)に関しては、リシマコス銀貨のアレクサンダー大王などをご参考にどうぞ。
「大ローマ展」は、このあと、
2010年4月10日(土)?6月13日(日) 青森県立美術館
2010年7月3日(土)?8月22日(日) 北海道立近代美術館
に、巡回が予定されているとのことです。お近くならば、ぜひ。

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牧畜民と農耕民との対立

ひつじ話

旧約聖書にカインとアベルの物語がある。
(略)この二人の兄弟の争いは、カインによって象徴される農民と、アベルによって象徴される遊牧民との対立を表すものといえる。
(略)
農民は土地で生活しているわけだから、土地に対する所有意識がきわめて鋭敏である。
(略)しかしその点牧畜民は鈍感であって、自分の家畜の大群を引きつれて、平気で農民の所有地を横ぎるようなことをしたのである。
遊牧民の飼養する動物の代表を羊とすれば、定着農民の飼養する動物の代表は豚だといえる。
(略)遊牧民と定着民のあいだにはぬきがたい対立感、憎悪感が存在する。
したがってそこから一方が他方のシンボルを嫌悪し軽蔑するという結果が生れる。
そしてユダヤ教徒、イスラム教徒が豚を不浄視して食べないのは実は彼らがもともと遊牧民だったからだといえるのである。

動物イメージを手がかりに西欧思想を解説する「思想としての動物と植物」から。
カインとアベルについては、「アベルの死の哀悼」ヘント祭壇画(部分)をご参考にどうぞ。

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スペイン移牧祭りの由来

ひつじ話

中世カスティーリャ王国の主要輸出品目であった羊毛は、新鮮で良質な牧草を求めてカスティーリャ王国を長距離移動する牧羊業者によって生産された。
こうした移動性牧羊業が本格化するのは、レコンキスタ運動によりエストレマドゥーラ地方(スペイン中西部)とアンダルシーア地方(スペイン南部)の放牧地が確保された十三世紀後半以降である。
1273年にアルフォンソ10世が長距離移牧業者の全国組織メスタ(移動性牧羊業者組合)を認可ないし追認し、長距離移牧に関する特権や裁判権を付与したことは、移動性牧羊業の発展を裏づけるものであろう。
(略)
通常、牧羊群は夏期放牧地で焼き印と交配を済ませた後、九月に新鮮な牧草を求めて北部スペインを出発した。
20―30日かけて400―1000キロメートル離れた、スペイン中部や南部の冬季放牧地に到着し、そこで新鮮な牧草を与えながら子羊を出産させ、翌年の四月に北部スペインへ戻る。
その途中で剪毛するというのが、通常の移動サイクルであった。

以前、マドリードの街中を行進する羊たちのニュースをご紹介したことがあるのですが、その由来について調べてみました。ほんとに八百年来の伝統なのですね。

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中世ヨーロッパの修道服

ひつじ話

ベネディクト修道会は六世紀に聖ベネディクトによって創設された西ヨーロッパ最古の修道会である。
世俗の財産の一切を拒否し、労働と祈りの二つを掟とする厳しい戒律にしたがい、僧は共同生活を送る、
彼らの黒衣の様子は、映画化されたウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を思い起こせばよいのかもしれない。
(略)
清貧と簡素を主張する修道服は黒く染めた布というより、本来は黒い羊の毛を織っただけの粗末な未染色の布だったからである。
(略)
中世では、ベネディクト会修道士を「黒僧」と呼んだのに対し、フランチェスコ会修道士は「灰僧」の名で呼ばれ、すなわち修道服が灰色を帯びていた。
とはいえ基本的には未染色のウール地であるから、現実には白に近いものから褐色がかったものまでヴァリエーションがあり、それぞれの修道服の色を厳密に分けることは不可能である。
(略)
シトー修道会は白い修道服によって「白僧」と呼ばれたが、実際の衣の色はフランチェスコ会修道服と見まがうものもあったにちがいない。
僧服の色は各修道士を区別する記号となったが、多分に観念的なものである。

中世ヨーロッパの色彩感覚について語られた「色で読む中世ヨーロッパ」より、修道士の清貧を示す、未染色ウール地の修道服に関する一章を。

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「炭焼きと黄金の羊」

ひつじ話

炭焼きは、何日も世界をさまよい、とうとう大きな町にたどり着きました。
そこには金持ちの王さまが住んでいて、とても忠実な、金色の毛の羊をたくさん飼っておりました。
でも、だれひとり牧場で、羊たちの番をすることはできませんでした。
というのも羊たちは、いつも逃げ出したからです。
王さまは雇った羊飼いのみんなに、こういいました。
「黄金の羊たちが牧場から家へ逃げ帰ってこなかったら、わしの娘を妻にやる。
わしには姫が三人おるが、ひとりを妻に選んでやろう。
それから羊飼いをわしと同じく王にしてやる。
ただしだ、羊たちが家へ逃げ帰ってきたら、縛り首にしてしまうぞ!」

ジプシーの伝説集から、メルヘン「炭焼きと黄金の羊」を。放浪する炭焼きの若者が王さまの羊飼いとなり、幸せをつかむまでのお話。

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