ミシェル・ブノアが、てのひらにのせた小さな懐中時計に目を落とした。
「そろそろ未の刻です」
「そうだな」
と、ジュゼッペ・カスティリオーネがしわがれたこえでつぶやいた。そして、ふたりが視線をむけたさきは、鋳銅の羊の彫像であった。
「ほら」
と、ブノアがいい、
「出ない!」
と、カスティリオーネがひくく叫んだのは同時だった。
未の刻には、羊の彫像の口からいきおいよく水がほとばしり出ることになっている。ところで、一刻まえの午の刻にも、羊の口から水が出なかったという。午の刻には、馬の彫像の口からのみならず、ここにならぶ十二支の動物たちの銅製彫像の口がいっせいに水を噴きだし、正午を知らせることになっている。
ことの発端は、乾隆十二年(1747)、皇帝が西洋の絵画に描かれた噴水に興味をいだき、あのカスティリオーネにこの噴水なるものをつくれと命じたことにある。
途方もない命令におどろいたカスティリオーネは、水力学の知識をもつフランス人イエズス会士ミシェル・ブノアに相談、ブノアはただちに噴水の模型をつくり皇帝に見せたところ、それに満足した皇帝は、噴水や西洋式の宮殿をもふくむ西洋庭園の制作をイエズス会士たちに命じた。
清代に築かれた円明園には、乾隆帝に仕えたジュゼッペ・カスティリオーネらイエズス会宣教師たちによって、十二支像の噴水が作られました。
引用図は、銅版画「長春園西洋楼図」のうち、噴水のある「海晏堂西面」の図。引用文は、ともに中野美代子の小説と論考から。
この十二生肖獣首銅像は、ウィキペディアの解説のとおり、現在にいたるものすごくめんどうな経緯を抱えているわけですが、……結局、羊像は今どこにあるんでしょうね?
カスティリオーネ関連では、数年前に、準回両部平定得勝図をご紹介しています。