ターナー 「ヴァレ・クルージス修道院、デンビシャー」

ひつじ話

「ヴァレ・クルージス修道院、デンビシャー」 「ヴァレ・クルージス修道院、デンビシャー」(部分)
この情景は、長く影を引く真夏の夕方という設定である。
前景では実った麦を刈り入れている畑の中に迷い込んだのか羊の群が駆り集められている。
この迷った羊を群にもどそうとする羊飼いの動作は宗教的な象徴として示れているようだ。

「マンチェスター市美術館所蔵 ターナー展」カタログ

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーによる「ヴァレ・クルージス修道院、デンビシャー」。銅版画集「イングランドとウェールズの名所」シリーズのために描かれた水彩画です。

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上野公園のひつじ

ひつじ話

東京は上野恩賜公園に行ってまいりました。
目的は、国立西洋美術館常設展示。夏から新しく展示されているいくつかの作品の中に、ジョヴァンニ・セガンティーニの「羊の剪毛」があるのです。
セガンティーニの現物は、昔、大原美術館で「アルプスの真昼」を見たきりでしたし、ここでご紹介しているものも、他には「湖を渡るアヴェマリア」だけです。楽しみです。
19世紀の作品ですから、順路からいくと最後のほうです。それはもう、わくわくと進みますと、
「羊の剪毛」発見。
おお、あれか。では、正面からあらためて。
「羊の剪毛」を正面から。
いや、大きな絵なんですよ、これが。117? x 216.5?だそうですから、ちょっと下がって見たほうが良いくらい。でも、ほっと一息つきたくなるような、明朗にして清浄な世界が描かれています。
西洋美術館の常設展には、ほかにもそこここに羊がいます。フラゴナールの「丘を下る羊の群」などがおすすめ。お近くならばぜひ。
ところで。上野公園には、じつは他にもひつじポイントがあります。
動物園です。あたりまえだろうと言うなかれ。本物の羊じゃなくってですね、園内に建つ旧寛永寺五重塔の蟇股が、十二支の彫刻になっているのですよ。
というわけで、やはりわくわくしつつ動物園に入り、表門からすぐ左手にそびえる五重塔に近づけば、そこは周囲を細い水路が取り囲むことによって接近をはばむ仕組みになっていることが判明。
初冬の日差しをあびる五重塔。 白鳥にはばまれる。えー。
そばに寄って行けないので、未が彫ってあるはずの場所がほとんど見えません。子や寅はこの程度には判別可能なのに、
子。 寅。
未なんてこうですよ。
未?
冬枯れて、手前の葉が落ちてしまえば、あるいは見えるようになるのかもしれませんが。
しかたがないので、白鳥を愛でてから撤退してまいりました。いつか機会があれば再挑戦しようと思います。

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ブーシェ 「牧歌」

ひつじ話

「牧歌」 「牧歌」(部分)

「ブーシェ、フラゴナール展」カタログ

先日の「羊飼い」に続いて、ごく初期のころのフランソワ・ブーシェを。

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「ルネサンス画人伝」より「ジョット」

ひつじ話

このような偉人が生まれたのは1276年、フィレンツェから14マイルはなれたヴェスピニャーノという田舎の村のことで、父親はボンドーネという朴訥な農夫であった。
父親はこの子にジョットという名をつけると、その身分でできる範囲では息子をしかるべく育てあげた。
十歳になったころ、ジョットはまだ子供らしいしぐさのなかに驚くべき才智の閃きを示したので、父親はもとより村の内外の人々はみな彼を可愛がった。
ボンドーネはこの子に羊の番を命じた。
するとジョットは羊の群をある時はある場所へ、他の時は他の場所へ連れて行き、生まれつきデッサンが好きであったから、石や土や砂の上に、なにか目に見える物や空想に浮かんだ物を年中描いていたのである。
ある日チマブーエは用事があってフィレンツェからヴェスピニャーノへ向かったが、途中羊の番をしながら先のとがった石で平たい滑らかな石の上に実物の羊を写生しているジョットに出会った。
ジョットは誰からもなにも教わったわけではなく、ただ自然を師として描いていたのである。

スクロヴェーニ礼拝堂の壁画と、その少年時代を描いた絵本をご紹介しているジョットについて、ジョルジョ・ヴァザーリの評伝から。

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ニコラ・フロマン 「モーセと燃える柴」

ひつじ話

「モーセと燃える柴」 「モーセと燃える柴」(部分)
フロマンは15世紀のプロヴァンス絵画の様々な特徴を示している。
(略)
1475年から1476年にかけて、ルネ王の宮廷に関わり、現存する傑作《モーセ》の三連祭壇画をエクス・アン・プロヴァンスで描いた。

モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。
ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。
彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。
モーセは言った、「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。
主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。

出エジプト記 第三章

15世紀プロヴァンスのニコラ・フロマンによる、「モーセと燃える柴」を。
イスラエルの人々をエジプトから導きだすよう、モーセが啓示を受ける場面です。
モーセを描いたものは、システィナ礼拝堂のフレスコ画をご紹介しています。

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ブーシェ 「羊飼い」

ひつじ話

「羊飼い」 「羊飼い」(部分)

「ブーシェ、フラゴナール展」カタログ

「牧歌的情景」「フルートのレッスン」などをご紹介している、フランソワ・ブーシェの晩年の作、「羊飼い」です。

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ソポクレス 「アイアス」

ひつじ話

アテナ そのとおり、お前の話した一切のことはあの男の仕業なのです。
オデュッセウス ではこの無謀な振舞いは一体何のため。
アテナ アキレウスの武具のことで、怒り狂ったあげくのこと。
オデュッセウス ではなぜあのように羊の群れなどに躍りかかったのでしょうか。
アテナ これを殺してその実は、お前たちの血でその手をそめているとのつもりから。
(略)
オデュッセウス ではまたどうして、その血に飢えた手を下すのを思い止ったのでしょうか。
アテナ それはこのわたしがしたこと、破滅を喜ぶその思いを阻んだのは。容易に振り払うことのできない妄想をその眼に投げ込んで、羊の群れの方に、そしてまたまだ分配のすまぬままに番人たちが見張りをしている家畜の群れに向かうように、わたしが彼をそらせてしまったのです。するとあの男はその中に躍り込み、角もつ獣に斬りかかり、手当り次第に裂き殺す。

先日の「イリアス」つながりで、もうひとつ。トロイア戦争の英雄大アイアスを主人公とするソポクレスの悲劇から。
怨みのためにオデュッセウスらを殺そうとしたアイアスは、女神アテナの力によって狂気に陥り、敵と信じて羊の群れを襲ってしまいます。上の引用は、冒頭、皆殺しになった家畜を前に途方に暮れるオデュッセウスに、アテナ女神が呼びかける場面。

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馬王堆漢墓の黒地彩絵棺

ひつじ話

馬王堆一号漢墓の木棺
馬王堆1号棺墓の木棺。大小3つの棺を重ねている。外棺は黒地、中棺は赤地の漆絵が描かれ、内棺には錦が貼りつけてあった。出土時には外にもう一層の棺があった。

黒地彩絵棺
棺蓋の上面に豹が羊の頭をした怪神の前に伏して、怪神が豹の頭をなでている図がある。
(略)
馬王堆の棺の頭側板の左上角と足側板の右上角にも半身の羊がおり、右側板には羊が鶴に騎っていたり、羊が鶴を牽いている図などがある。
いずれも福や祥を迎接する意味である。

湖南省長沙市の馬王堆漢墓。四重になった一号墓の棺のうち、黒地彩絵棺と呼ばれる第二棺の表面は、雲気文のすきまに大量の小さな怪物が配される図柄になっています。その怪物たちのなかに、羊っぽいなにかが。

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前漢の陶羊

ひつじ話

陶羊
陶羊
時代:前漢  材質:陶
長さ:43?  高さ:36.5? 重さ:5.12?

「兵馬俑と秦・漢帝国の至宝」展カタログ

前漢の副葬品です。中国の副葬品については、これまでに、古越州の青磁羊形器後漢の緑釉羊形器、ここでひとつにくくって良いのかどうか微妙ですが、揺銭樹などをご紹介しています。

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ゲインズバラ 「アンドルーズ夫妻」

ひつじ話

「アンドルーズ夫妻」 「アンドルーズ夫妻」(部分)
ゲインズバラの初期作品《アンドルーズ夫妻》は、イースト・アングリア地方サフォーク州サドベリー近郊の地主夫妻を描いたものだ。
背景に小さく見える教会などが特定の場所を示しており、この絵は夫妻の肖像であるとともに、彼らの誇る農地の肖像でもある。
実際、人物はおそらくモデル人形を使ったこともあっていささかぎこちなく見えるのだが、右手前景の束ねられた麦の穂に始まり、刈り入れのすんだ畑をへて羊が点在する牧場とその向こうへ続く風景描写は、新鮮な臨場感にあふれている。

水藻さまから、トマス・ゲインズバラの「アンドリューズ夫妻」について、「風景の中に羊がいます」とのお知らせをいただきました。ありがとうございます!
ゲインズバラは、これまでに、「田舎家の前の人々」「羊飼いのいる山の風景」などをご紹介しています。

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「絵画と写真の交差 印象派誕生の軌跡」展

ひつじ話

名古屋市美術館で2009年12月20日(日)まで開かれている、「絵画と写真の交差 印象派誕生の軌跡」展に行って参りました。

「草原の羊飼いの少女と羊の群れ」
写真の誕生から170年が経ちました。この展覧会では、タルボットダゲールなど写真草創期の作品に始まり、バルビゾン派や印象派に多大な影響を与えた写真、逆に絵画から影響を受けたピクトリアリズムと呼ばれる写真、そして、写真の独自性を追究しながら展開してきた現代の写真に至るまでの流れを辿ることにより、写真という芸術の多様性や広がりを感じていただけるものと思います。

19世紀半ばに生まれた写真技法は、反発と受容の両面で、画家たちに衝撃を与えるものでした。なかでも深い影響関係が示唆されるバルビゾンの画家たちの作品が、つまり羊の絵が、こちらの展覧会では複数展示されています。
引用したのは、ジャン=フェルディナン・シェニョー(シェノー)の「草原の羊飼いの少女と羊の群れ」ですが、この端正な羊たちの隣にシャルル=エミール・ジャックのファニーな羊が並んでいたりして、たいへん眼福です。お近くならばぜひ。
ところで、美術展つながりでもうひとつ。
京都国立近代美術館で2009年12月27日(日)まで開催されているボルゲーゼ美術館展に、カラヴァッジオの「洗礼者ヨハネ」が来ています。行かねば。

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「イリアス」のオデュッセウス

ひつじ話

ついで老王はオデュッセウスに眼を留めていうには、
「可愛い娘よ、あそこにいる男は何者か、その名も聞かせてくれ。
アトレウスの子アガメムノンに背丈こそ及ばぬが、胸幅、肩幅は彼よりも広く見受けられる。
物の具はものみなを育む大地に置き、自分はさながら牡羊の如く隊伍の間を見廻っている。
あの姿は、雪白の羊の大群の間をわけて歩む、厚毛の先導羊にもなぞらえたらよかろうか。」
それに応えてゼウスの姫ヘレネがいうには、
「あれはラエルテスの一子、才気溢れるオデュッセウス、その生国は岩ばかりのイタケの島ながら、あらゆる策謀、ぬかりない知略に長けた人でございます。」

ホメロス「イリアス」より、トロイアの王プリアモスと美女ヘレネによる、英雄オデュッセウスを眺め見ての会話です。
オデュッセウスについては、ずいぶん以前に、「オデュッセイア」をご紹介しています。

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19世紀イギリスの羊料理

ひつじ話

イギリスの料理にとっては気の毒な時代だった。
ヴィクトリア女王の料理長、シャルル・エルメ・フランカテリは、1845年に『現代の料理』を出版したが、同書にはお定まりの亀のスープに加えて、羊の喉袋、耳、足だけでなく鹿肉とトナカイの舌のためのレシピまでが満載されていた。
(略)
リフォーム・クラブ(ロンドンの格式高いジェントルマン・クラブ)のシェフ、偉大なるアレクシス・ソーヤーには、それほどの霊感はなく、羊の首と頭の煮込みが、その『大衆のための一シリング料理集』の目玉だった。
(略)
当時の料理書の著者は、大衆の望むもの、つまり良質で簡素な食べ物のレシピを提供しているのだと主張していたかもしれない。
しかしそれらの料理は確かに簡素ではあったが、あいにくほとんど良質ではなかった。
食料品店は長年にわたって混ぜ物をして、不当な利益を上げていたのである。

世界史上の食物に関するエピソード集から、19世紀のイギリスで作られた羊料理についての部分を。

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古越州の青磁羊形器

ひつじ話

青磁羊形器
青磁羊形器 古越州 三国(呉)?西晋 高さ27.6?
有翼の羊をかたどった器。頭に丸い孔があけられているが、用途はよくわからない。
古越州の青磁
後漢の滅亡後、三国の呉(222?280)、および西晋(265?316)、東晋(317?420)時代になると、南京や浙江省一帯を中心とする江南地方の墳墓から特色ある様式をそなえた古様な青磁が盛んに出土するようになる。
これらはわが国では通常、古越磁(こえつじ)あるいは古越州の青磁とよばれている。
(略)
また、動物のモチーフがしばしばみられることも古越磁の著しい特色である。
羊形容器、獅子形容器など、器物全体を動物の姿にかたどった一群の容器類がある。
これらの多くが翼をもっていることからもわかるとおり、これらは実在の動物ではなく、一種の神獣として表現されている。

数年前に東晋の鉄斑文羊をご紹介した、古越州の青磁をあらためて。

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ツヴァイク 「マリー・アントワネット」

ひつじ話

いうまでもなくいまやマリー・アントワネットは、「自然な」庭園、無邪気な風景を作ろうと思う。
しかも新奇な自然風庭園の尖端を行く一番自然な庭園である。
(略)
しかし流行はさらに生粋のものを求める。
自然をもっと極端に自然らしく見せかけ、舞台背景にもっと真に迫った生活そのもののお化粧をほどこすために、この古今東西を通じて最も金目のかかった田園喜劇の舞台に、正真正銘の役者が登場する。
すなわちほんとうの百姓にほんとうの農婦、正真正銘絶対にまがいものでない牝牛や、仔牛や、豚や、兎や、羊までつれたほんとうの搾乳婦、ほんとうに鎌をふり草を刈る人、ほんとうの羊飼いにほんとうの猟師、ほんとうの洗濯女にほんとうの乾酪作りが、ぞろぞろ登場してきて、芝を刈り、着物を洗い、畠を耕し、乳をしぼるという次第で、操り人形芝居が活溌不断に演ぜられる。
(略)
羊を牧場につれて行くのにも青いリボンを使い、女官に日傘をかざさせて、洗濯女が小川のほとりでリンネルを洗いすすぐさまを、女王が見惚れていらっしゃる。
ああ、この簡素のなんという素晴らしさであろう。

先日来、ブーシェの「牧歌的情景」ニコラ・ランクレ「鳥篭」など、ロココの田園趣味についてお話をしているのですが、このあたりでひとつ、その具体的な例を。
シュテファン・ツヴァイクによるマリー・アントワネットの評伝から、小トリアノン宮殿での王妃の暮らしぶりを描いた場面です。

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