「斉民要術」より 羮の作りかた

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「ヒツジの足のあつもの」の作りかた
ヒツジの足七具(二八蹄)、ヒツジ肉一五斤、ネギ三升、豆鼓汁五升、コメ一升でつくり、味を口でととのえる。
これに生ショウガ一〇両、「ちんぴ」三枚を加える。
「ヒツジ肺の煮こみ汁」の作りかた
ヒツジの肺臓一個を煮て、細かく切る。
別にヒツジ肉のあつものをつくり、ウルチゴメ二合、ショウガとあわせて煮る。

華元の御者司馬司期を怒らせた、傾国の美味、ヒツジの羮(あつもの)。実際のところ、どんな食べ物なのだろうと、6世紀の農書「斉民要術」の解説書を見てみました。……おいしそうでは、ありますが。
中国の料理書関係では、これまでに、「居家必用事類全集」「山家清供」をご紹介しています。

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フラ・アンジェリコ 「聖母戴冠」(ウフィツィ美術館版)

ひつじ話

ウフィツィ美術館の「聖母戴冠」 「聖母戴冠」(部分)
画面中央から発する天上の光が金箔地に施された精緻な放射線によって表され、天の祝祭劇を輝かしく演出している。
感覚的であると同時に啓示的な光の表現は、フラ・アンジェリコ絵画の不可欠な構成要素である。

ルーブル美術館所蔵の「聖母戴冠」をご紹介している、フラ・アンジェリコの同主題の作品です。右下に聖アグネスが。ウフィツィ美術館蔵。

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李白 「将進酒」

ひつじ話

「将進酒」   酒をささげ進むる歌
(直訳)
君見不ヤ黄河之水 天上ヨリ来ル
奔流シテ海ニ到リ復回ラ不。
君見不ヤ高堂ノ明鏡 白髪ヲ悲シム
朝ニハ青糸ノ如ク暮ニハ雪ト成ル。
人生 意ヲ得テ須ラク歓ヲ尽スベシ
金樽ヲシテ空シク月ニ対セシムル莫レ。
天 我ガ材ヲ生ズル必ズ用ヰル有リ
千金散ジ尽シテ還復来ル。
羊ヲ烹牛ヲ宰リテ且ク楽ミヲ為サン
会ニ須ラク一飲三百杯ナルベシ。
(意訳)
君見ずや黄河の水は源を天上に発し
奔流して東海に到り再び返らぬではないか。
君見ずや高堂の鏡に映して悲しむ白髪も
朝には青糸(くろいと)の如く暮には雪となつたのではないか。
人生は心まかせにして須らく歓楽を尽すべきだ
金樽を空しく月に照らさせてはならぬ。
天が我が才能を生んだ以上必ず用ゐる所が有らう
千金使ひ果しても元通り またやつて来る。
牛を割(さ)き羊を烹(に)て、まあ大いにやろう
すべからく一気に三百杯飲むべきだ。

厨娘関連で著書をご紹介した青木正児による、「酒徒が酔余の朗詠に供するのが主なる目的」との凡例がすばらしい「中華飲酒詩選」から、李白の「将進酒」の一部を。ぜひ暗誦できるようになって、目的にかなった使い方をしてみたいところです。
李白は、「送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽」「金華牧羊兒」「蘇武」といった詩をご紹介しているほか、「誹風柳多留」ではからかいの対象にもなっているようです。

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羊をして狼に将たらしむ

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漢の十一年(前一九六年)、黥布(げいふ)が叛いた。
お上は病気であり、太子に兵をひきいて行かせこれを撃たせようとした。
四人は相談した、「だいたいここへ来たのは、太子さまの地位を保つためだ。太子さまが兵をひきいられると、状況は危い。」そこで建成侯に進言した、
「太子さまが兵をひきいられますと、功を立てても地位が太子以上になるわけではありませんし、功がなく帰還すればそのことから災難を受けることになります。
その上、太子さまがいっしょに行かれます将軍たちは、いずれも以前お上とともに天下を平定した猛将です。
今、太子さまに彼らを指揮させるのは、それこそ羊に狼を指揮させるのと変りありません。
誰も太子さまのために力を尽くすことを承知しないでしょう。
その功のないことはまちがいありません。

漢の高祖に仕えた張良の事績である「史記 留侯世家」より、故事成語「羊をして狼に将たらしむ」の由来となったお話を。
お上(高祖)の意向から、その地位が危ぶまれている太子のために、張良は四人の賢者を補佐とすることを薦めます。危機的状況にあって、賢者たちは、高祖に太子の指揮による出兵を諦めさせることに成功するのですが、その方法が、太子を羊、将軍たちを狼にたとえることでした。目的は達してるんですが、なんかこう。
これまでご紹介した故事成語は、まとめてこちらでどうぞ。

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宋代の厨娘図

ひつじ話

厨娘図
宋代の画像磚の「厨娘図」
宋代の厨娘にはたしかに尋常ならざるところがあったが、いったいいかなる姿かたちをしていたのであろうか。
出土した宋代の磚刻(せんこく)〔彫刻を施した煉瓦〕から、厨娘の風采を見て取ることができる。
中国歴史博物館収蔵の四個の厨事画像磚に、厨娘が料理をしているいくつかの光景が描かれている。
磚刻に描かれている厨娘の服装はだいたい同じで、いずれも髷をきちんと高く結い、服装をきちんとととのえ、頭が切れてやり手である風格を漂わせ、ひいては優雅で落ち着いている気配さえにじませている。
(略)
これらの画像磚はみな宋代の墓から出土したものであるが、宋代の人びとが厨娘の画像磚を副葬品にしていたことは、生前に厨娘を雇ったことがないので、死後にその望みがかなうよう願ったか、生前に厨娘の作った料理を味わっていたので、死後も生きているときと同じように厨娘にかしずかれることを願ったことを意味する。

青木正児の「酒の肴・抱樽酒話」井波律子の「中国文学の愉しき世界」などでお話している、女料理人「厨娘」についてもう少し。

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羊の羮のうらみ(続き)

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楚が鄭に命じて、宋を攻撃させた。
宋は華元を将軍とした。鄭の軍は宋の軍を打ち破り、華元を捕虜にした。
華元は、これから戦おうという時、羊をつぶして士卒にふるまったが、華元の御者だけは羊の羮の分配がなかったので、御者は怨みに思い、〔華元の戦車を〕鄭軍の中へ駆け込ませ、それで宋軍は敗れ、華元は捕えられたのである。
宋は戦車百台と飾りをつけた馬四百匹〔の賠償〕で華元を返して貰うことにしたが、まだそれらを全部鄭に送っていないうちに、華元は逃げ出して、宋へ戻った。

 史記 宋微子世家 

華元は羊をつぶして兵士たちに食わせたが、彼の〔戦車の〕御者羊斟(ようしん)には与えなかった。
これを怒った羊斟は〔車を〕とばし鄭の陣へ駆けこんだので、鄭は華元を捕虜にした。

 史記 鄭世家 

戦に先立ち、華元は羊を殺して戦士たちに振舞ったが、華元の御者をつとめる羊斟はそれから外された。
戦となるや、羊斟は、
「昨夕の羊は、子(あなた)がとりしきられた。今日の戦は、我(こちら)がとりしきります」
と、車を御して鄭軍に駆け入ったため、敗戦となったのである。

 春秋左氏伝 宣公二年 

羊羮のうらみで大変なことになるのは、中山国だけではなかったようです。
春秋時代の名宰相華元が、羊の羮のために陥った敗戦のエピソード。ちなみに、鄭伯の「肉袒牽羊」は、この十年後のお話です。

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千羊の皮は一狐の掖に如かず

ひつじ話

趙簡子(ちょうかんし)の家臣に周舎(しゅうしゃ)というものがあって、遠慮なく諫言をすることに抜きんでていた。
周舎の死後、簡子は朝廷に出るたびに、いつも不機嫌であった。
大夫たちが申しわけないと詫びると、簡子は言った、
「そちなどの咎ではない。『千羊の皮は、一狐の掖(えき)に如かず〔一匹のきつねのわきの毛皮に及ばぬ〕』と言うことがある。大夫たちが朝廷に出ておっても、ただ唯唯(いい)の声〔はい、はい〕が聞えるばかり、周舎の諤諤(がくがく)〔まっすぐな言葉〕は聞えぬ。それがわしの悩みである」。

先日の微子の「肉袒牽羊」に続いて、史記世家を典拠とする故事成語をもうひとつ。
史記趙世家より、趙簡子の「千羊の皮は一狐の掖に如かず」という嘆きの台詞です。諫言をなす家臣の貴重さが、やはり貴重品である狐のわきの毛皮にたとえられているのですが、羊の立場がなさすぎです。
故事成語は、これまでにいくつかご紹介しておりますので、こちらでまとめてぜひ。

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緑色の動物がいないワケ

ひつじ話

ニュージーランドの空を飛行機で飛んでいるときに窓から下界を見下ろすと、一面に広がる緑の牧草地にヒツジが点々といるのを見てとることができます。
なぜ上空からでもヒツジがいるのが分かるのか……、至極当たり前のことですが、それはヒツジが白っぽい色をしているからです。
(略)
多くの草食性の昆虫の場合、自分が目立たないよう緑色の体色を持っています。
ヒツジもシカも草食性の哺乳動物である以上、体の色が緑であってもおかしくなさそうです。
なのに、彼らの中にそんな色のものはいません。緑色は、草食性哺乳類にとって何か不都合があるのでしょうか?
この質問に対して確実な解答をいうことは、実はなかなか難しいのです。その可能性としては、大きく二つ考えられます。
一つは、色に対する感覚の違いです。
草食性昆虫の捕食者は主にクモや鳥ですが、彼らは立派な色覚を持っています。要は、色に対してとても敏感に反応するわけです。
ところが、哺乳動物の捕食者であるネコやイヌたちは色の区別がつかないことが多いのです。
(略)
もう一つの可能性は、遺伝的な制限です。
草食性の哺乳類を進化論的に見てみると、彼らは太古の昔はウサギのように土色をしていたか、キリンのように縞模様の土色をしていたか、パンダのように斑点状であったと思われます。
実験的に緑色の色素を作るとか、緑色の皮を作るといった進化上の試行錯誤は、草食性哺乳類においてはまったく行われなかったのです。

「おあつらえの羊」角がはえる人など、動物雑学をいくつかご紹介しているのですが、その系統のものをもうひとつ。緑色の羊がいない理由です。

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オオツノヒツジの頭蓋

ひつじ話

オオツノヒツジの頭蓋
ウシ科の動物は、ほとんどの種で雌雄がともに角(洞角)を備えている。
中心に前頭蓋から伸びた骨性の芯をもち、ケラチンでできた硬い鞘で覆われている。
ケラチンの鞘は中心にある骨性の芯から成長し、脱落することはなく、その成長は年輪として角の断面で確認できる。
オオツノヒツジのように螺旋を描いて成長する角をもつ種がいるが、これは骨性の芯の場所によって、成長する速度が異なるためである。
彼らの角はシカ科動物のように毎年生え変わり、大きなエネルギーを消費する角よりも、効率のよい武装であるといえる。

動物の骨格写真集から、オオツノヒツジの頭蓋を。
オオツノヒツジ(ビッグホーン)関連では、「シートン動物誌」などをご紹介しています。

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ホジャの笑い話 「いばらの木がおおきくなるころには」

ひつじ話

ホジャはおかみさんと借金取りのやりとりを聞くために、こっそりドアの後ろに隠れました。
まもなく、玄関のドアをガンガン叩く音が聞こえてきました。
(略)
「まあ旦那、すんませんねえ。うちのひとはいま出かけていてさ。
(略)
だけどね。そのうち、少しずつためて必ずお返ししようと、そりゃあ真剣に考えているんだわ。
その証拠にね。家の前に茨の木を一列植えるつもり。
その茨が大きくなる。村の羊たちが家の前を通る。羊たちが通るたびに羊の毛が茨に引っ掛かる。
たんと引っ掛かった羊の毛を紡いでさ、よって糸にしてさ、市場へ持って行って売るんだわさ。
そうして、どっさりことお金を儲けたら、いの一番にあんたさんに払いましょうよ。
あたしら、あんたさんの借金をふみたおそうなんて、これっぽっちも考えておらんことよ」

トルコの伝説上の人物である、ナスレディン=ホジャの笑話集から。
へらずぐち仲間ということで、「バラガンサン物語」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」もあわせてどうぞ。

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肉袒牽羊(続き)

ひつじ話

微子啓というのは、殷の帝乙(殷の第二十九代の天子)の長男で、紂王にとっては妾腹の兄である。
紂王は位についたが、不明の君主で、はなはだしく政治を乱した。微子がたびたび諫めたが、紂は聞き入れなかった。
(略)
周の武王が紂を討伐して殷に打ち勝った後、微子は先祖の祭祀の道具を持ち、武王の軍門までやって来て、肌脱ぎとなり、両手を後へまわして縛り、左側に羊を引っぱり、右側に茅を抱えて、膝ついて進み、武王に申告した。
そこで武王は微子を解き放し、もとの位につかせた。

春秋左氏伝の引用でご紹介した故事成語「肉袒牽羊」ですが、史記の宋微子世家のなかに、殷周期の微子のエピソードとして同じものがありましたので、こちらもあらためて。

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トマス・シドニー・クーパー 「放牧の羊」

ひつじ話

「放牧の羊」
画家は早くにロンドンから田舎へ移ることを決意し、ケント州のカンタベリ近くに自力で家を建てた。
近くに小さな農園を作ったことについて、「田舎に定住したほぼ1年目から、犬や馬を飼うほかに、牛、羊、ヤギ、家禽等、自分のための動物を飼育し始めた。その結果、手元にはいつでもモデルがあった」と記述している。

 「ターナーから印象派へ」展カタログ 

豊橋市美術博物館にて8月16日(日)まで開催されている「ターナーから印象派へ」展に行って参りました。19世紀イギリスの風景画を中心とした展覧会ですが、これがまた、ひつじ度が高いのですよ。上はその中から、トマス・シドニー・クーパーの「放牧の羊」を。丸々とした羊の集団。あと一週間しかありませんが、お近くのかたはぜひ。
こちらの展覧会は、この後、2009年9月18日―11月3日に岡山県立美術館、同11月14日―2010年2月14日に府中市美術館へ巡回が予定されているようです。

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グランヴィルによる「ラ・フォンテーヌ寓話」挿画

ひつじ話

「狼と羊たち」
ラ・フォンテーヌの『寓話』は、ルイ十四世の長男の六歳の王太子に捧げられ、王太子の帝王教育のためにイソップを分かりやすい詩の形式に書き直したという形を取っていた。
しかし、ルイ十四世は恩人フーケを無実の罪で裁いた張本人であり、『寓話』でライオンやオオカミなどの理屈として描かれている強者の論理はルイ十四世のそれにほかならないのだから、『寓話』は、息子に対して父の悪行を告発するというきわめて大胆な発想の本なのである。
(略)
ただ、この技法は、よほどうまく使わないと身を危うくする両刃の剣である。
もし、動物たちがたんなる動物の仮面をかぶった人間であれば、たちどころに告発されるし、その一方、動物たちが人間を連想させないような、文字通りの動物であれば、それは風刺の用をなさない。

ドレによる「羊飼になったオオカミ」に続いて、ほぼ同時代の画家グランヴィルによるラ・フォンテーヌ寓話の挿画を。
上の引用は、以前ご紹介した「オオカミたちとヒツジたち」のもの。服を着て二足歩行をする、動物であり人間でもあるような、『寓話』の本質に沿った挿画は、グランヴィルによって始まるとのこと。また、こちらの本では、観相学との関係も示唆されています。

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シャルル=フェルディナン・セラマノ 「羊の番をする羊飼い」

ひつじ話

「羊の番をする羊飼い」
シャルル=フェルディナン・セラマノ  1829―1909
ベルギーに生まれ、生涯のうち40年以上をバルビゾン村で過ごしたバルビゾン派の画家。
共に学んだ画家、シャルル・ジャックの助手を務めていたこともあり、その画風に追随している。
風俗画、風景画を手がけたが、特に羊を描いた絵画がよく知られている。

「山寺後藤美術館所蔵ヨーロッパ絵画名作展?宮廷絵画からバルビゾン派へ?」

先日のシェノー「バルビゾンの野の羊飼いと羊の群れ」に続いて、山寺 後藤美術館の所蔵品を。「森外れの羊飼いと羊」をご紹介したことのあるシャルル=フェルディナン・セラマノの、「羊の番をする羊飼い」です。羊たちの動きに味があって良いですね。
セラマノやシェノーに影響を与えているシャルル=エミール・ジャックについては、こちらでまとめてどうぞ。

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動物で回文を

ひつじ話

「村役場にバクやラム」
村役場にバクやラム    ムラヤクバニバクヤラム
「これこそ私たちが求めていた1冊です!」――全日本逆立ち倶楽部
※上記の団体は2003年末時点では存在を確認されておりません

動物の名前を使った回文集です。

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