ジャン=フェルディナン・シェノー 「バルビゾンの野の羊飼いと羊の群れ」

ひつじ話

「バルビゾンの野の羊飼いと羊の群れ」
ジャン=フェルディナン・シェニョー  1830―1906
(略)
1858年以降バルビゾン村に定住、フォンテーヌブローの森などを描くほか、ミレー、テオドール・ルソー、シャルル・ジャックらの影響を受けて、平原の薄明の中に放牧される羊の群れや農夫を主題とした絵画を数多く制作した。

山寺後藤美術館所蔵ヨーロッパ絵画名作展?宮廷絵画からバルビゾン派へ?」

「羊飼い」「フォンテーヌブローの森の羊飼いと羊」「夕暮れ」などをご紹介している、ジャン=フェルディナン・シェノーの「バルビゾンの野の羊飼いと羊の群れ」です。

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ミレー 「リュウ・バイイの農場」

ひつじ話

「リュウ・バイイの農場」

「ミレー展 「四季」アース色のやさしさ」カタログ

ジャン=フランソワ・ミレーのパステル画です。りんどう湖ファミリー牧場美術館蔵。
これまでにお話しているミレーについては、こちらで。

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キリムの羊の角文様

ひつじ話

キリム(羊の角の連続文様)
羊の毛で、質がいちばんいいのは、去勢した雄羊の毛だそうです。
ついで雌羊の毛、そして去勢していない雄羊の毛という順番になります。
(略)
その質のいい毛で織り上げたキリムはしなやかで、シワができにくく、床に広げるとスルスルと走り、床に吸いつくようにピタリと収まります。
(略)
羊の角の文様は、キリムのなかでは財産、富、繁栄を表しているといわれています。
同時に男らしさ、勇敢さ、雄の生殖力の象徴であるともいわれます。
遊牧民の女性たちは、キリムにこの羊の角の文様を織り込むことで、羊がどんどん増え、羊毛がたくさん取れ、暮らしが楽になること、さらには自分たち一族の富が大きくなり、繁栄していくことを願ったのでしょう。

これももうずいぶん前に、キリムの羊の文様についてお話をしたことがあるのですが、具体例をご紹介しそこねたままでしたので。
こちらのキリムでは、中央の細長いミフラーブ文様の両脇に、羊の角の連続文様が配されています。

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ル・ブランの観相学的スケッチ

ひつじ話

ル・ブランのスケッチ「人間―牡羊」
ル・ブランは、フランスだけでも新しい版が三種もあったポルタの『人間観相学』を徹底的に研究した。
そして自前の見解にしたがって同書のために新たに何点も図を創出し、その際数例のものを除いたり加えたりした。

ずいぶん以前に、動物と人の外見と性質の対応関係について述べる「人間観相学」のお話をしているのですが、その続きを。デッラ・ポルタによるこの手法を発展させたシャルル・ル・ブランのスケッチです。

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低炭素とワインとミニ羊

ひつじ話

ベビードールシープ
The low-carbon wine baa
Winemaker deploys miniature sheep to cut fuel costs and keep grass short
(略)
Wine producers often use sheep to keep grass short, but flocks must be removed when the vines bud because the animals will eat them too. So, to prevent the grass using up precious nutrients and water, and to prevent the spread of disease and fungus, growers normally use tractors to do the job.
With 1,000 hectares in Yealands’ vineyard that means driving 3,500km for each of the 12 times a year the grass has to be mowed. As a result, for Yealands, diesel makes up about 60% of his energy costs. To avoid using a tractor, last year he experimented by letting loose giant guinea pigs. That worked initially, he said. “But once the hawks had a taste for them they were sitting prey. We were losing them by the hour. Besides, we would have needed 11 million of them to make it work.”
Now Yealands has turned his attention to babydolls, a rare breed of sheep which only reach about 60cm tall when fully grown. Because the grapes tend only to start growing from about 110cm off the ground the sheep can’t reach them. Yealands has tested 10 of the sheep on a 125-hectare patch of vines.

こえち様から、こえち様のお友達がガーディアン紙の記事を話題にしていらして、と、その話題をふってくださいました。ありがとうございます。ガーディアンですが、ニュージーランドの話題らしいです。
こちらのワイン農家が、広大なブドウ畑の下草刈りに、トラクタの代わりに小柄な羊を使うまでの顛末。普通の羊ではブドウまで食べてしまう。ジャイアントギニーピッグを使うのは、タカに狙われる上、必要な数が多すぎる。現在は、ブドウに背の届かない、体高60?の「ベビードールシープ」が活躍している、とのこと。かわいくて、働き者の羊たち。

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ドレによる「ラ・フォンテーヌ寓話」挿画

ひつじ話

「牧童になったオオカミ」挿画
用心に用心を重ねて、少しずつ、少しずつ、
羊の群れに近づいていったオオカミだが、
そのうち、羊飼いに化けたオオカミを見た子羊が、
うれしそうに近寄ってきたのを見るにいたって、
これはいけるぞと、いよいよ意を強くした。

ギュスターヴ・ドレの挿画をふんだんに使用した、谷口江里也による「ラ・フォンテーヌの寓話」の翻案より、以前ご紹介した「羊飼になったオオカミ」のお話を。
ラ・フォンテーヌは、他に、「ワシのまねをしようとしたカラス」「ブタとヤギとヒツジ」「オオカミたちとヒツジたち」をご紹介しています。

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九陽啓泰 と 三陽開泰

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九陽啓泰
九陽啓泰(きゅうようけいたい)
九は多いという意味で、陽は日のことである。
羊と陽は同音の字であるので、この絵は「九頭の羊」で「九陽」を著す。
「羊」は古代の「祥」の字でもあるので、意味も良い。
(略)
「九陽が泰を啓する」とは、吉祥の太陽が高く現われ、吉祥の光が遍く照らし、幸運の兆しが示され、すべてのことが思いどおりになるだろうという意である。
三陽開泰
三陽開泰(さんようかいたい)
遊牧生活を営む古代人にとっては、肥えた羊の群れはなによりの吉祥であった。
「吉祥」の文字も、最初は「吉羊」と書かれた。
三陽開泰とは、冬が過ぎ、春が来て、万物が新たにあらたまるという意味であり、旧時、新春の祝辞によく用いた。
年賀状にもよく書かれ、そのとき、「羊」と「陽」の発音が同じであるため、三頭の羊の吉祥図もよく用いられた。

剪紙玉瑞獣をご紹介している中国の吉祥図に関して、こちらの図典にわかりやすい解説がありました。
中国の吉祥図は、他に揺銭樹についてもお話しています。

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ホロル(続き)

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ホロル ホロル(部分)

以前ご紹介した、モンゴルの伝統的な室内ゲーム「ホロル」ですが、きれいなカラー写真を見かけましたので、あらためて。

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インカ帝国の羊

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フランシスコ・ピサロが率いるスペイン人征服者たちは、1524年から二度の探検航海を行なったあと、1531年1月20日に再びパナマを出帆し、翌年の11月16日にアンデス山中のカハマルカで第13代皇帝アタワルパを捕虜にして、インカ帝国を手中にした。
(略)
征服者フランシスコ・ピサロの従弟ペドロ・ピサロが1571年に著した『ピルー(ペルー)王国の発見と征服』の中に次のような記述がある。
そこにいた何頭かの羊(リャマのこと)を贈られ、また航海中とらえた何隻かのバルサ船に、金銀の数珠玉で飾った帯や、何着かの土地の衣服を見つけ、陛下にお目にかける見本にするからエスパニャへ持って行こうということになって、保管することにした。
同じ年代記の中に、スペイン人を偵察しに来たアタワルパ皇帝の使者についての記述があるが、その使者は皇帝に「奴らは海から現れた髭の盗人であり、コリャオ地方の羊(リャマ)のような獣に乗って来た」と報告した。
スペイン人がリャマのことを「羊」と呼び、一方、インカ人が初めて見る馬を指して、「リャマのような獣」と言っているところが面白い。

アンデス文明の終焉とともに、リャマやアルパカは、はじめてヨーロッパ人と出会い、そして記録に残されました。「新大陸の羊」として。
というわけで、先日お話したばかりの「カンディード」に出てくる「エルドラードの赤い羊」ですが、たぶん正体はリャマかアルパカです。宝石とはいえ荷物を積めるようですから、まぁリャマですね。

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「中世の秋」より「騎士団と騎士誓約」

ひつじ話

テンプル騎士団やヨハネス騎士団が、なお聖地にあって、盛んに活動していたあいだは、騎士道も現実に政治的機能を果たしていたし、騎士団は、いわば身分団体として、重要な意義をもっていた。
ところが、十四、五世紀になると、騎士道は高級な生活形式であるにすぎなくなり、それに応じて、新しい騎士団にあっては、それまで内奥に隠されていた高貴な遊びの要素が、ふたたび前景に押しだされてくることになったのである。
(略)
フィリップ善良侯の誇りにかけて、金羊毛騎士団をして第一級の騎士団たらしめんとするには、そのかかげる目的を、いやがうえにも高く強調しなければならなかった。
それというのも、十四世紀のなかば以後、騎士団の設立は、まさに流行となっていたからである。
君侯たるもの、騎士団をもたざるをえず、大貴族たるもの、また、これに劣らじときそってならう、というありさまであった。
(略)
なぜ、金羊毛騎士団の威勢がだんぜん他を圧したのか。
たずねるまでもない、背後にブルゴーニュの金力があったからである。
思うに、この騎士団を飾った、ひときわめだつ豪華さや、たまたまうまいシンボルをみつけたということも、また、これにあずかって力があったのである。

神の子羊(スキティアの子羊)の話をご紹介したホイジンガ「中世の秋」より、「騎士団と騎士誓約」の章から、金羊毛騎士団に関するあれこれを。
「うまいシンボル」である金羊毛騎士団勲章については、先日来シリーズ化しつつありますので、こちらでまとめてぜひ。シンボルの由来については、オウィディウスの「転身物語」をご覧下さい。

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ヴォルテール 「カンディード」

ひつじ話

彼がそんなふうに話していると、なにやら色鮮やかな赤いものが船の脇を泳いでいるのが目に入った。
いったいそれがなになのか見ようとしてボートを出してみると、なんとそれは彼の羊の一頭ではないか。
カンディードがこの羊に再会したときの喜びは、エルドラードの大きなダイヤモンドを積んだ百頭の羊をそっくり失ったときの悲しみより、ずっと大きかった。
フランス人の船長は、敵船を沈没させたほうの船の船長がスペイン人で、沈没させられたほうの船の船長がオランダ人の海賊であることにやがて気づいた。
その海賊こそ、カンディードに盗みを働いた例の男だった。
その極悪人が横取りした莫大な富は男もろとも、海底に埋もれ、一頭の羊だけが助かったのだ。

「バビロンの王女」をご紹介したことのある、ヴォルテールの「カンディード」です。
主人公の若者カンディードは、放浪のすえに黄金郷エルドラードの客となり、財宝と赤い羊を与えられます。意気揚々と新たな旅に出るものの、すぐさまだまされて得たものの多くを失い、憂鬱な旅を続ける彼の前に、わずかな救いが自力で泳いで戻ってくる場面です。

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ティツィアーノ 「ミュールベルクのカール5世」

ひつじ話

「ミュールベルクのカール5世」 「ミュールベルクのカール5世」(部分)
1547年4月にカール5世はミュールベルクの戦いにおいて新教徒同盟軍を打ち負かした。
この戦勝の記念画を制作するためティツィアーノはヴェネツィアからアルプスを越えて帝国議会のあるアウグスブルクに赴き、1548年4月から9月にかけて完成した。
(略)
古代から騎馬像はヨーロッパの伝統的なモティーフであるが、縦3メートルを越すこの大作は、ベラスケスなど後世の画家に大きな影響を与えた。

面頬付き兜には華やかな赤い房が躍り、甲冑は光り輝く。右手に握る長槍は竜退治の聖ゲオルギウスを髣髴とさせ、胸元に下げているのは金羊毛騎士団(異端からカトリックを守るため結成された)の勲章である。
ミュールベルクの戦いが聖戦だったこと、皇帝が勝利したこと、だがなおまだ戦いは終わっていないことが暗示されている。

ティツィアーノのカール5世を、こちらは騎馬像でもう一度。
ティツィアーノの肖像画は、他に、フェリペ2世を描いたものをご紹介しています。

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メソポタミアの円筒印章

ひつじ話

円筒印章
古代メソポタミアの人々は、粘土板文書が生乾きのうちに、このような円筒形の石に図柄を彫り込んだものをころがし、個人の印として使用した。
これはウルク期の代表作のひとつで、神話的意匠と写実的でのびやかな表現に特色がある。
(略)
前2800―2700年頃   大理石、銅   5.4?(高さ)、4.5?(直径)

ずいぶん以前に、シュメル文明の羊に関していくつかのお話をしたのですが、そのうちの「円筒印章」について、カラー写真を見かけましたので、あらためて。
時代等ばらばらですが、メソポタミア関連ということで、他に、ラットルカウナケスウルの牡羊像や、ルドミラ・ゼーマンの絵本なども。

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厨娘(続き)

ひつじ話

なお厨娘の話は後世にもあり、清代の『両般秋雨庵(りょうはんしゅううあん)随筆』巻六にその一つを載せている。
明末清初、江蘇の如皐(じょこう)に冒襄といって風流文雅で名高い富豪があった。
彼がかつて大宴会を催すにあたって一人の有名な厨娘を招いた。
ところが、厨娘がいうには、宴席に三等あり、上等には羊五百匹を要し、中等は三百匹、下等は百匹で、他の品もこの割合であると。主人は中等の席を命じた。
期に及んで厨娘は従者百人余り引連れて乗込み、高座から指揮しつつ、先ず三百匹の羊をおのおの脊の肉を一斤ほどだけ割き取って、余は皆打棄てさせたので、人がその故を問うと、答えていう、羊の美味は全くここに集まっているので、その他は臭くて用いるに足らないと。
その奢侈は概ねかくの如くであった。
按ずるにこの話はけだし宋代の厨娘の事を焼きなおしたものらしく、明末に実際それが行われていたか否かは疑問である。

米澤穂信の「儚い羊たちの祝宴」井波律子の「中国文学の愉しき世界」でお話した贅沢な女料理人のエピソードを、あらためて青木正児の随筆から。

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シャルル=エミール・ジャック 「バルビゾンの農家」

ひつじ話

「バルビゾンの農家」 「バルビゾンの農家」(部分)

「中村コレクション秘蔵の名品 コロー、ミレー バルビゾンの巨匠たち展」カタログ

シャルル=エミール・ジャックの「バルビゾンの農家」を。
ジャックの絵は、すでにいくつかご紹介済みですので、まとめてこちらでぜひ。

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