墨悲絲染 詩讚羔羊
墨という人は、糸が色に染まるのをみて悲しみ、
詩(『詩経』)では、羔羊(ひつじ)のような徳を讃えた。
(略)
『毛詩(詩経)』に、「羔羊(こうよう)」の篇があり、讃(ほ)めて、
「召南(しょうなん)の国、文王の政に化し、位に在るものみな節倹・正直にして、徳、羔羊のごときなり(召南の国〔召公の治めた地方といわれる〕は、周の文王の政治教化をうけ、卿大夫たちは、みな質素で正直で、羔羊のような〔温順の〕徳をそなえていた)」と詠っている(これらの句は「羔羊」の詩の序)。
その意味は、その時代の士大夫(官職についている人)はなかまと一体となって、結束はかたいが、行動はひとにへつらって同調することはせず、正義のためには死をもいとわず、礼を守って生きたので、みな質素で正直で、その徳は羔羊(こひつじ)のようであった、というのである。
羔羊は乳を飲むとき、跪いて飲むのは人とかわりがなく、乳を飲むときでも遠慮し、はじらうのである。
古代中国で編まれた千字文からの一句です。
句は、「詩経」召南、羔羊篇を典拠としており、羔羊(「羔」は子羊、「羊」は、ええと、普通の羊、ですね)が備える徳について詠われています。