詩讚羔羊

ひつじ話

墨悲絲染  詩讚羔羊
 墨という人は、糸が色に染まるのをみて悲しみ、
 詩(『詩経』)では、羔羊(ひつじ)のような徳を讃えた。
(略)
『毛詩(詩経)』に、「羔羊(こうよう)」の篇があり、讃(ほ)めて、
「召南(しょうなん)の国、文王の政に化し、位に在るものみな節倹・正直にして、徳、羔羊のごときなり(召南の国〔召公の治めた地方といわれる〕は、周の文王の政治教化をうけ、卿大夫たちは、みな質素で正直で、羔羊のような〔温順の〕徳をそなえていた)」と詠っている(これらの句は「羔羊」の詩の序)。
その意味は、その時代の士大夫(官職についている人)はなかまと一体となって、結束はかたいが、行動はひとにへつらって同調することはせず、正義のためには死をもいとわず、礼を守って生きたので、みな質素で正直で、その徳は羔羊(こひつじ)のようであった、というのである。
羔羊は乳を飲むとき、跪いて飲むのは人とかわりがなく、乳を飲むときでも遠慮し、はじらうのである。

古代中国で編まれた千字文からの一句です。
句は、「詩経」召南、羔羊篇を典拠としており、羔羊(「羔」は子羊、「羊」は、ええと、普通の羊、ですね)が備える徳について詠われています。

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サン・ジョヴァンニ洗礼堂の舞台裏

ひつじ話

新しい世紀が明けそめた1401年、第二門扉制作のためのコンクールが宣言される。
主題は「イサクの犠牲」。課題作の制作期限は一年。材料費と生活費は組合もち。
(略)
1401年のコンクールの時代背景は暗いものだった。
1348年の大黒死病のあと、大きな疫病だけでも1361年、74年、83年、90年と頻発し、1400年にはフィレンツェで一万二千人という凄まじい数の犠牲者を出したばかりだった。
(略)
黒死病に効き目のある絵画の主題に「聖セバスティアヌス」がある。(略)黒死病はちょうど矢の跡のような黒い斑点が身体中に広がって三日とたたずに死にいたる病である。この相似性から、矢を射られても不死身の聖人が疫病から身を守る聖人として崇拝されるようになる。14世紀から急速にこの絵画主題が普及するのは、疫病との関係による。
「イサクの犠牲」も同じ効果が期待される主題である。(略)篤い信仰心のゆえに子供が九死に一生を得る話である。黒死病の犠牲者は子供が多かったのだ。
(略)
ギベルティの《イサクの犠牲》は、当時流行していた繊細な国際ゴシック様式の典型で、品良くまとまっている。
一方、ブルネッレスキの《イサクの犠牲》は、劇的リアリズムが革新的すぎて、当時の保守的な上層市民層の趣味には合致しない。
しかもブルネッレスキ作品が25.5キロと重いのに対して、ギベルティ作品は18.5キロと7キロも軽い。制作費が安くあがる。
最小限の出費と最大限の視覚的効果の兼ね合いは、フィレンツェ商人にとっては、明らかな魅力と映ったに違いない。勝敗は決した。

以前お話したブルネレスキとギベルティの「イサクの犠牲」に絡んだエピソードを。イサクの犠牲が黒死病に対抗するための主題であることや、制作費の問題が決定打になっていることなど、じつにリアルで刺激的です。

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カール5世とその紋章

ひつじ話

「カール5世」 「カール5世」(部分)

フェリペ4世フィリップ善良公アンブロジオ・スピノラと続いている、金羊毛騎士団勲章をつけた肖像画シリーズです。今回はティツィアーノの「カール5世」を。
カール5世は、その紋章にも金羊毛騎士団勲章が組み合わされています。あわせて下に。

カール5世の紋章

ちなみにティツィアーノについては、他に「イサクの犠牲」「洗礼者聖ヨハネ」をご紹介しています。

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「ふしぎな羊」

ひつじ話

「ああ、この世でいちばん幸せなのは、王や王女とはかぎらない。なんということでしょう、わけもなくお父さまに命をねらわれて、にげかくれしなければならないなんて」
そうつぶやきながら、王女は羊の鳴き声のするほうへ進んでいった。
ところがおどろいたことに、ぐるりを木々に囲まれた美しく小さな空き地に、一匹の大きな羊がいた。
羊の毛なみは雪のように白く、角は金色にかがやいていた。
花輪を首に、大きな真珠のかざりを足に巻き、ダイヤモンドをちりばめた首輪をつけていた。
羊は、オレンジの花がこんもりとさく土手の上に、金の布の日よけをかけて日光の熱をさえぎり横たわっていた。
あたりには百匹もの羊がてんてんとちらばっていた。
どの羊も草は食べず、コーヒーやレモネードを飲み、シャーベットやアイスクリームや、クリームのかかったイチゴや砂糖菓子を食べていた。

19世紀イギリスの民俗学者アンドルー・ラングが蒐集再話した世界童話集より、「ふしぎな羊」です。
父王に憎まれ、ひとりで森をさまようことになった王女は、羊の鳴き声に導かれて、美しい羊の王が君臨する別世界の客となりますが……。

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ゲインズバラ 「田舎家の前の人々」

ひつじ話

「田舎家の前の人々」 「田舎家の前の人々」(部分)
ゲインズバラの制作において注目されるのが、後半年の肖像画と農村風景や田園風景を意図的に組み合わせた絵画で、これらの作品は、ゲインズバラに特異なものとして、レノルズによって「空想画(fancy picture)」と称されることとなる。
(略)
本作品では、温かみのある夕日に照らされた穏やかな田舎の風景の片隅に、聖母子像のごとく可憐な姿で佇む家族の姿が描かれている。
その牧歌的な風景と、アトリエでポーズを取ったかに見える人物の姿勢は、ゲインズバラが得意としたファンシー・ピクチャーの特徴とも言えよう。

「東京富士美術館所蔵絵画名品展 流転するバロック―その400年」

「羊飼いのいる山の風景」「羊飼いと羊のいる風景」をご紹介している、トマス・ゲインズバラの「田舎家の前の人々」です。

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人にも角がはえる?

ひつじ話

人にも角がはえる?
メルヴィルの小説『白いジャケツ』には、額から「雄羊のようなひどくねじれた角」をはやした老婦人のことが書かれています。
これはメルヴィルの創作上の想像だったのでしょうか、それともこの老婦人はほんとうに頭から角をはやしていたのでしょうか?
(略)
現代の皮膚科学では、角は上皮細胞が同心円状に層になったもので、からだのどこでもはえる可能性があるとされています。
(略)
1930年代の有名な例では、マダム・ディモンシュというフランス人女性がいました。
〈マザー・ホーン〉と呼ばれた彼女は25センチもの角をはやし、いつも角の重みで疲れていたそうです。
何人もの外科医が角の切除を申し出ましたが、マダムはいつも断っていました。
しかし八十歳近くになってようやく手術に同意しました。
「顔にこんな悪魔のような飾りをつけて」神さまに会いたくないから、という理由でした。

「仰向けに転がって命を落とすことがある」だの、「どうしていつまでも車の前を走りつづけるのか?」だのと、微妙な雑学のネタにもなりやすい羊ですが、今回は人にはえる角のお話です。
メルヴィルの小説のことは知らなかったので、あわせて読んでみました。主人公の乗り組む軍艦の軍医についての章ですね。

第六十一章 艦隊軍医
(略)
なかんずく《病理解剖学》は氏のいみじくも愛するところで、下の個室には見るもおぞましいパリ製の蝋人形の収集が陳列してあったが、(略)これが年配の婦人の首なのだ。
(略)
それほどまでにこの首は秘法めいて悲しくて、流す涙は乾かぬくらい哀れだった。
それでいて、初めてこれを見る君は、こんな情緒など頭を掠めるもんじゃない。
君のありったけの目も、ありったけの魂も、見るもおぞましい、ねじ曲がった、まるで破城槌のような角の異形さにただただ固縛され、凍結させられる。
それは額から下へ向かって生え、顔に半ば陰影を落としている。

破城槌の角、というと、これのことでしょうか。

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シャルル=エミール・ジャック 「羊飼いの女と羊の群」

ひつじ話

「羊飼いの女と羊の群」
本作は、最初イギリスのコレクターが所蔵していた。
ジャックとイギリスとの関係は、1836年から二年間、シェークスピアの挿絵本制作のために滞在していたことに始まるが、フランスよりも早くから風景画が成立しているイギリスにおいて、風景だけで観賞に値するジャックの作品が好まれたことは不思議ではない。
木や枝葉の細かい描き方にイギリスのコンスタブルの影響があることも十分考えられよう。

「中村コレクション秘蔵の名品 コロー、ミレー バルビゾンの巨匠たち展」カタログ

「月夜の羊飼い」「羊飼いと羊の群」、「羊飼い」、「夕暮れの羊飼いと羊」などをご紹介している、シャルル=エミール・ジャックの「羊飼いの女と羊の群」です。
影響を示唆されているコンスタブルについては、「麦畑」をご紹介したことがあります。

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ベラスケス 「シルバー・フィリップ」

ひつじ話

「シルバー・フィリップ」 「シルバー・フィリップ」(部分)
この絵には、批評家らがベラスケスの様式に前印象主義(プレ・インプレショニズム)というラベルを貼る動機ををなして来た、並はずれた技量が認められる。
筆致は断片的で短くとぎれ、生き生きとして力強く、厚く盛りあがり、滑らかで透明感を見せるが、それは驚くほど自由闊達である。
(略)
彼の方法は、国王を描いた肖像画であっても国王という地位と同様1人の人間をも描けるということを立証している。

フィリップ善良公アンブロジオ・スピノラなど、金羊毛騎士団勲章を身につけた肖像画をいくつかご紹介しておりますが、今回はフェリペ四世を。
ディエゴ・ベラスケスの「銀の縁飾りのある衣装を身につけたフェリペ四世(通称、シルバー・フィリップ)」です。

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ウィリアム・ハドソン 「はるかな国 とおい昔」

ひつじ話

近隣で一番重だった牧農屋敷の一つと言えば、とにかく私たちにとっては、カサ・アンティグアでした。
(略)
羊の乳で、ひとつチーズを造ってみようか、それこそ、どんな値でもつけられる上等品ができるだろう。
これも、ロイドさんの得意な考えの一つでした。
で、彼は非常な困難と闘いながら、羊乳チーズを造り始めたのです。
乳を搾らせるように、羊をならさねばならず、それにまた、何代も何代も乳を搾られて、自然、乳房も大きくなっているために、乳も取りやすいフランスその他の国々の、ある地方の羊に比べると、ここのはほんのちょっぴりしか、乳をだしませんでしたから。
一番悪いことには、土地生れの彼の使用人たちは、羊のような生き物の乳を搾るなど、そんな卑しいことをしては、人間ももうおしまいだと考えていました。

「ラ・プラタの博物学者」に続いて、ウィリアム・ハドソンをもう一冊。ハドソンが少年期を過ごした土地での、親しみ深い隣人の思い出が語られる、「一番近い英国出の隣人」の章の一節です。

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ロレンツォ・ロット 「羊飼いたちの礼拝」

ひつじ話

「羊飼いたちの礼拝」

 「イタリア・ルネッサンス・ヴェネツィア派名作展」カタログ 

16世紀イタリア、ヴェネツィア派のひとりであるロレンツォ・ロットの「羊飼いたちの礼拝」です。
ヴェネツィア派では、他に、パルマ・イル・ヴェッキオの「聖家族と聖ヨハネ、聖女マグダラのマリア」ヤコポ・バッサーノの「羊飼いたちへのお告げ」その他、ティツィアーノ「イサクの犠牲」などをご紹介しています。

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ウィリアム・ハドソン 「ラ・プラタの博物学者」

ひつじ話

子ヒツジが生れたとき最初に行う衝動的動作は、なんとかして立ちあがろうとすることである。
次の動作はものを吸うことであるが、このとき子ヒツジは、卵から孵りたてのひながすぐ適当な食物をついばむような判別力がない。
というのは、子ヒツジはなにを吸っていいか知らないからだ。
近くにきたものはなんでも見さかいなくくわえてしまう。
それは多くの場合母ヒツジの頸の羊毛の房で、それをくわえていつまでも吸いつづける。
おそらくは、母ヒツジの乳房の分泌液の強烈なにおいが、結局その場所に子ヒツジを惹きつけるのであろうが、何かその種のものがあって子ヒツジを導くのでなければ、多くの場合子ヒツジは乳首を見つけることができず実際に餓死してしまうのだろう。

19世紀の博物学者ウイリアム・ヘンリ・ハドソンによる、自らの生まれ育ったアルゼンチンのパンパを舞台とした動物記「ラ・プラタの博物学者」より、第六章「動物母子の本能」からのエピソードです。

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