ジャン=フランソワ・ミレーによる、数多い女羊飼いたちの絵をもうひとつ。晩年に描かれた、「岩間で羊の番をする羊飼いの女」です。
ミレーの女羊飼いは、他に、「杖に倚る羊飼いの女」、「雁」、「小さな羊飼い」、「羊飼いの少女」などをご紹介しています。
ミレー 「岩間で羊の番をする羊飼いの女」
グリルパルツァー 「金羊毛皮」
メデア 〔剣を渡しながら〕では、私の手からお取りなさいまし、いとしい夫!
そして、あなたと私とをお殺しなさいまし!
―私はもう止めは致しません!
ヤーゾン 〔門に向って進んで〕よし!
メデア 待って下さい! 今一つ!
あなたは即座にお死にになりたいのですか?
あの羊毛皮は神聖な樹に懸かっていて、
その鱗のついた皮膚は傷くことがなく、
その鉄の牙は何物をも貫ぬく、怖ろしい龍に護られているのです。
あなたはあれに勝つことは出来ません!
ヤーゾン 殺すか、殺されるかだ。「世界文学全集 第10巻 独逸古典劇集 新潮社版」
主人公メデアの「地上の幸福とは何でしょう?―影です。地上の栄誉とは何でしょう?―夢です。」という厭世的な台詞で知られる、フランツ・グリルパルツァーの「金羊毛皮」です。ヤーゾン(イアソン)がメデアをふりきって、金羊毛皮を得るために死地に入ろうとする場面。
金羊毛皮については、オウィディウスの「転身物語」をご参考にどうぞ。他には、絵本「アルゴー号の大航海」やギュスターヴ・モローの「イアソンとメディア」などをご紹介しています。
ルーベンス 「アンブロジオ・スピノラの肖像」
ルーベンスの外交活動の一環として生まれた肖像画が他にもある。
(略)
武人で政治家のスピノラもまた常套的手法で描かれている。
片方の手を指揮杖の上に、他の手を剣の柄頭に置き、傍らのテーブルの上に兜が置かれている。
けれども、ルーベンスは、このモデルの気を許さぬ性格と精神の集中力を堂々と描き出している。
プラド美術館の「パリスの審判」、ロンドンのナショナル・ギャラリーの「パリスの審判」、「聖母子と諸聖人」をご紹介しているピーテル・パウル・ルーベンスによる、当時の名将であるアンブロジオ・スピノラを描いた肖像画。胸元に金羊毛騎士団勲章が輝いています。ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館蔵。
「ついらくした月」
月が地球に墜落、大西洋は陸地になり、洪水が巻き起こる。かろうじて生き残った人々は平和な世界を築こうとするが、月に大切な資源がたくさんあるとわかると…。大異変をテーマに、性懲りもない人間の愚かさを風刺した作品。
竹本泉のマンガには意外と羊がいない話をしたのはずいぶん以前のことですが、児童文学の挿絵で、それを見かけてしまいました。
岩崎書店の冒険ファンタジー名作選の中の一冊です、が、なんかすごいラインナップですね。このシリーズと出会う小学生がうらやましいかも。
中世ヨーロッパの都市の生活
第二章 ある裕福な市民の家にて
部屋に窓はあるが小さく、油を塗った羊皮紙で閉じられているため、昼間でも暖炉の火が室内の照明代わりだった。
オイルランプが壁から鎖で吊されているが、その火は外が完全に暗くなってから灯されるのが常だった。
原注
金持ちの家でも窓ガラスが使われることは稀だった。
離れた場所にいくつも家を持っていたイングランドの身分の高い貴族の場合、ガラス板がはめ込まれた窓を窓枠ごと持って、一つの家から別の家へと移動していた。
第七章 豪商たち
トロワの商人たちはさまざまなことに投資したが、なかでも中心となったのは羊毛である。
地元で採れる羊毛もあったが、最高級のものは外国、とくにイングランドから入ってきた。
(略)
商人はイギリスの大修道院との間に、刈り取られた羊毛をすべて買い取る長期契約を結ぶことがあった。
たいていは七年という期間設定である。
(略)
羊毛がイングランドからトロワへ運ばれてくると、まず毛織物商の家で予備的な加工がほどこされる。
最初に徒弟が傷物の羊毛を取り除き、残りを上・中・下の三つのグレードに選別する。
次に灰汁のなかで脂を洗いおとし、板の上に広げて日光に当て、乾かす。
そして徒弟が四つんばいになり、ピンセットを手に、土の粒子や小さなごみなどを一つ一つ取り除いていく。
つまみ出せないものがあるときは、小さなはさみで刈り取った。
死んだ羊からとった羊毛は別に処理された。
生きた羊から刈った羊毛と一緒に処理すると罪になったのである。
中世ヨーロッパの窓ガラスのお話をしてから似た事例を探していたのですが、13世紀のトロワを舞台にしたこちらの「中世ヨーロッパの都市の生活」によると、羊皮紙が使われているようです。窓関係で羊大活躍。
十五世紀パリの生活
アルマニャック勢は商人たちをガラルドンまで追尾し、その町を包囲したのである。
それが原因で、復活祭には肉の値段が高騰し、パリの住民大方は、この日、手に入ったのは豚の脂肉だけ。それだけしか食べられなかった。
なにしろ上等の羊の四半分がじつにパリ貨三十二スーしたのだ。
ちっぽけな羊の尻尾がパリ貨十スー、仔牛の頭、モツがそれぞれ十二スー、牝牛はパリ貨六スー、豚も高い。
15世紀前半のパリに暮らした人物による覚書を解説するこちらの本では、戦中のために高騰する物価についての記述が非常に多く見られます。つまりなにが生活必需品だったか見当がつくということですが、引用文を読む限りでは、羊の尻尾も重要視されてそうです。
スキタイのリュトン
グレコ=スキタイ美術 前5世紀中期 金 長さ23.5?
スキタイ美術 前4世紀 銀 高さ12.3?
エルミタージュ博物館蔵の、スキタイのリュトン(酒杯)です。
近い時代のリュトンとしては、アッティカのものをご紹介しています。
「プリニウスの博物誌」(続き)
第二巻 血の雨その他
(略)
ルキウス・パウルスとガイウス・マルケルスが執政職にあったとき〈前49年〉、コンプサ城の辺りに羊毛が降ったが、その一年後にその近くでティトゥス・アンニウス・ミロが殺された。
第八巻 円形競技場でのゾウの闘争
(略)
この動物は自分自身ほど強くないものに対して生来非常に温和であって、それがヒツジの群の中に入るようなことがあると、ついうっかり踏み潰すことのないように、その進路に入って来るヒツジを鼻でわきへのける。
第十一巻 野生のミツバチ、ミツバチの敵
(略)
ヒツジもミツバチの敵だ。ハチはヒツジの毛にからまれて難儀する。またカニが近くで煮られる匂いは彼らにとって致命的だ。
昨日ご紹介した「プリニウスの博物誌 ?」から、ヒツジ関係の章以外にもこっそり出てくるヒツジ話を追加です。
羊毛が降るのが前兆になるんですね。羊そのものが降る話も以前ご紹介したことはありますが、関係は……無いと思います。たぶん。
「プリニウスの博物誌」より「ヒツジの性質とその出産」他
単独でいるとき雷が鳴るとヒツジは流産する。それを防ぐには群居させ、仲間によって元気づけられるようにするのがよい。
北風が吹いているときは雄が、南風が吹いているときは雌が生れると言われている。
そしてこの種においては、雄ヒツジの口に最大の注意が払われる。
子の毛色は親雄ヒツジの舌の下にある血管の色になり、そこにいろいろな色があると、子ヒツジもいろいろな色になるからだ。
そしてまた彼らが飲む水を変えると毛色も変わる。
(略)
毛の伸びたヒツジはすべての動物のうちでもっとも愚鈍である。
どこかへ行くのをおそれている時、群の中で角を掴まれた一頭の行くところへついていく。
プリニウスの博物誌、第八巻のヒツジに関する記述から。
ヒツジが愚かであることについては、 「パンタグリュエル物語」やアリストテレースの「動物誌」、ゴールドスミスの「動物誌」など、古今で話題になってしまっているようです。アリストテレースが元凶なんでしょうか、やっぱり。
出産と環境の関係の話はアリストテレースもしていますね。類例がありそうなので、もう少し調べてみます。
プリニウス「博物誌」については、他に「羊毛を生む球根植物」に関する部分と、ジョン アシュトン「奇怪動物百科」やオラウス・マグヌス「北方民族文化誌」のお話の中で触れています。
「黒祠の島」
「御主神は」
「カンチです」
は、と式部は問い返した。杜栄は困ったように笑う。
「神、霊、と書いてカンチと読むんですよ。」
(略)
馬首の額には一本の角が生えていた。
それが変わっていると言えば変わっているが、馬頭観音としては格別珍しい造作ではない。
お定まりの蓮華座の上に結跏趺坐し、頭部には丸く光背があった。
式部はそれらをしみじみと見て取り、困惑して杜栄を振り返った。
「これは……失礼ですが、馬頭観音なのでは?」
ならばこれは、神像ではなく仏像と呼ぶべきだろう。
だが、杜栄は笑って首を振った。
「そう見えますでしょう。ですが、これは馬頭夜叉だと言われています」
(略)
「青い馬……青い一角の……」
―馬ではないのか?
神は「カミ」、あるいは「カム」と読む。霊は「チ」と読む。
だから「カムチ」が訛って「カンチ」と呼ぶのだろう。
馬頭夜叉は青い。角がある。木気に属し、未に属す。その名は「カンチ」。
「解豸か……?」
中国の伝説に言う、青い一角の羊。罪あるほうをその角で突いて示したという。
小野不由美のミステリです。物語の鍵である、閉ざされた島に伝わる土着信仰として、解豸(カイチ)が使われています。神判の獣、というイメージをつきつめると、こんなに怖い話になるのかとー。
カイチについては、白川静の文字学のお話などをしています。
オキーフ 「雄羊の頭とタチアオイ」
骨たちを引力の制限から解放し、それらを非論理的に風景の上に置くことで、オキーフは彼女の批評家や観客をさらに混乱させた。
20世紀アメリカ、ジョージア・オキーフの「雄羊の頭とタチアオイ」です。
「羊たちの沈黙」
最後に、素晴らしいバタール・モンラッシェをグラスに注いで、クラリス・スターリングあての手紙を書いた―
どうだね、クラリス、子羊の悲鳴は止んだかね?
(略)
答えがイエス・アンド・ノーであっても、私はべつに驚かない。
子羊たちの悲鳴は今のところは止むだろう。
トマス・ハリス、「羊たちの沈黙」のラストシーンから。
脱獄を果たした後のレクター博士が、クラリスのトラウマであり原動力でもある、屠畜される子羊の記憶について訊ねる場面です。
「雨天炎天」
一度これも東部アナトリアのど田舎で、ものすごい数の羊の群れに道路を塞がれたことがある。
僕らの前にはメルセデスのキャンピング・カーに乗ったドイツ人がいて、彼らもやはり立ち往生している。
とにかく海みたいな羊の群れである。
こんな凄い数の羊を見たのは、あとにも先にもこの時だけであった。
見渡す限り羊・羊・羊である。
ロバに乗った羊飼いが何人かと、大きな牧羊犬がその群れを導いている。
僕らもドイツ人も羊の写真を撮っていた。
すると羊飼いがやってきて、写真撮るんなら金を出せと言う。
ドイツ人はしょうがないな、という感じで金をいくらか払った。
僕らは五本か六本残ったマルボロを箱ごとやった。
村上春樹のギリシャ・トルコ辺境紀行、「雨天炎天」のトルコ編から。
「チャイと兵隊と羊?21日間トルコ一周」の副題がついたハードな旅ですが、というかひどい目にしかあってませんが、不思議と楽しそうに見えるのが、村上春樹っぽいというかなんというか。
羊は決して棚から落ちない
空間を見る能力は、生まれつき備わっている。それは「視覚的断崖」と呼ばれる、見かけだましの断崖を使った実験でわかったことだ。
この画期的な実験装置を考えたのは、アメリカの女性研究者のエレノア・ギブソンだ。(中略)
動物の実験農場で生まれたての羊を扱っている時に、あることに気づいた。羊は一度に大量に生まれる。生まれたての羊を一匹一匹順番に実験室に運ぶため、とりあえず何匹かの羊をどこかに置いておく必要があった。羊は生まれてすぐにも歩けるので、下手なところに置くと歩いて他の羊と混ざってしまう。どこに置いたら一番邪魔にならないか考えあぐねた末、たまたま高い棚に置いてみたのだ。棚から落ちてしまったら一大事だ。どうしようと悩んだものの、羊は決して棚から落ちることはなかったのだ。
そこで彼女は考えた。生まれたばかりの羊でも、「ここから落ちると危ないぞ」ということがわかるのだろうか。つまり、自分のいる棚と下との落差がわかるのだろうか。
実験農場から戻り、実験を企画した。生まれたての動物に断崖絶壁から落ちる恐怖がほんとうにわかるのか、空間を見る能力は生まれつきか、謎を解こうとしたのである。
動物たちを「視覚的断崖」(図1-1)に立たせ、断崖に落ちる方向に進むかどうかを調べることにした。「視覚的断崖」とは、断崖の上に硬質ガラスをはめたものだ。(後略)
棚から落ちるよりもほかの羊と混ざるほうが一大事という状況がよく分かりませんがだいたい分かりました。
※2/26追記。
エレノア・ギブソンの自伝を読んでみたら、詳しい状況が記されていました。
双子のペアの一匹を実験群に、もう片方を統制群に用いた。
私が関心をもったのは、群行動の発達における出産後すぐの母親の役割だった。
(略)
私は、絆をつくる要因として化学的情報に特に興味をもっていたので、生まれてすぐに(実験群の)仔を母親が舐める前、そしてもう一方の双子の仔が生まれる前に、母親から離した。
その仔をすぐに洗剤につけた。
あるとき、双子の残りが産道から姿を現し始めた時、私はちょうど第一子を洗剤に浸したばかりだった。
急いで今浸した仔をどうにかしなければならなかった。
農場管理人が半開きのドアから眺めていて、「台の上に置けば」と言った。
高いカメラ台で、約三〇センチメートルの台座がついていた。
私は子ヤギが転げ落ちると反対したが、彼は落ちないと保証した。
その湿った小さな動物を台の上に置くと、決めておいた場所に運ぶまで、子ヤギはそこにいて、立って部屋を見回していた。
…………ヤギ!?