「善」と「羊」の関係

ひつじ話

古代の裁判には、のちのような証拠主義がとられないで、神判が用いられた。
(略)
種々の神判のうち、羊神判が最も正統的なものであった。
(略)善はもと、羊と二言に従う字であった。神羊の左右にそれぞれ言を加えているのは、原告・被告の当事者を示す。
言はサイ上に辛(はり)を加えて盟(ちか)う意味で、もしその盟誓に偽りがあれば、辛を加えて入墨の刑を受ける意を示したものである。

「善」及び「慶」
善は羊神判におけるカイタイの正面形の羊と、当事者の誓約を示す二つの言からなる字であった。
従って善とは、神判において神意にかない、勝訴をうることをいう。
勝訴者のカイタイには、文身の文様である心字形の飾りを加えた。これを慶という。

以前ご紹介した白川静羊神判のお話について、あらためて。引用の文字資料は、右のが「善」で左が「慶」。
神羊関係では、他に『五雑組』の「皐陶と神羊」カイチのお話をしています。落合芳幾の「新板毛物づくし」もご参考にどうぞ。

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森川杜園 「羊」

ひつじ話

羊香合
江戸時代末?明治時代前期  羊 檜・彩色 高10.5?
奈良木偶(でく)師と自称した森川杜園(1820?94)は、木彫による、能楽や狂言を題材にした人物像や、鹿その他の動物像を得意とした。

奈良一刀彫の中興の祖、森川杜園による木彫の羊です。東京芸術大学蔵。

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『笑府』より「羊を盗む」

ひつじ話

ある女、隣家の羊を盗んで寝床の下に隠し、子供に「誰にもいっちゃいけない」といいふくめる。
やがて隣りの人が街中をワアワアどなって歩く。すると子供が、
「うちの母ちゃんは決してお宅の羊を盗んだわけじゃないよ」
といったので、女はかえって事がばれやしないかと思い、子供を睨みつけると、子供、その母を指さして、
「ほら、うちの母ちゃんのあの目、まるで寝床の下のあの羊とそっくりだよ」

明代の笑話集「笑府」巻十一謬誤部より、「羊を盗む」です。

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正倉院宝物 白石鎮子(はくせきのちんす)

ひつじ話

白石鎮子(午・未)
四神と十二支を半肉彫りした石版。
一枚の中に青龍・朱雀、白虎・玄武、子・丑、寅・卯、辰・巳、午・未、申・酉、戌・亥をそれぞれ組み合わせた八枚がある。
帳の裾を押さえる鎮子(おもし)、装飾石版等の説があるが、正確な用途は不明。

正倉院宝物より、白石鎮子(午・未)を。午と未がからんだ図が浮彫にされている石版です。
正倉院宝物については、こまごまとネタにしておりますので、こちらでまとめてぜひ。

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ラ・フォンテーヌ 『寓話』より「ワシのまねをしようとしたカラス」

ひつじ話

ジュピテルに仕える鳥がヒツジをさらっていった。
それを見ていた一羽のカラス、
(略)
かれはヒツジの群れのまわりを飛びめぐり、
たくさんのヒツジのなかでいちばん太った、いちばんみごとな、
まさに祭壇に捧げられるべきヒツジに目をつける。
(略)
ヒツジという生きものは
チーズよりも重い。さらにその毛は
とても深くて、
ほぼポリフェモスのひげのようなぐあいに
もじゃもじゃしている。
それがカラスの足にすっかりからみついて
あわれな鳥は退却することもできなかった。
羊飼がやってきて、それをつかまえ、ちゃんと籠に入れて、
おもちゃがわりに子どもにやった。

「ブタとヤギとヒツジ」「オオカミたちとヒツジたち」「羊飼になったオオカミ」をご紹介している、ラ・フォンテーヌの『寓話』より。
ポリフェモスというと、「ガラテイアとアキス」「オデュッセイアー」に出てくる一つ目巨人の羊飼いですが、ヒツジの毛並みと比べられるようなひげの持ち主だったんでしょうか。

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『パンタグリュエル物語』より「パニュルジュの羊」

ひつじ話

とっさのことで、ゆっくり見ている暇もなかったのだが、突然、どうしたわけかパニュルジュは、何も言わずに、べえべえ啼き喚くその羊を、海のまん真なかへ投げこんでしまった。
すると、他の羊が全部、同じような声音でべえべえと啼き喚きながら、これに続いて列をなし、海のなかへどぶんどぶんと飛びこみ始めた。
羊の群は先を争い、最初の羊の後を追うて飛びこもうと犇(ひしめ)き合った。
これを引きとめることはできない相談だったというのは、各々方も御存じの通り、それがどこへ行こうと、最初の一頭の後に全部がついて行くのが羊の習性だからである。
かるが故に、アリストテレスも、その『動物誌』第九巻で、羊は、世界中で一番暗愚無能な動物だと言っている。

フランソワ・ラブレーの著した「ガルガンチュワとパンタグリュエル」の「第四之書」より、「パニュルジュが、商人とその羊どもを海に溺れさせたこと」です。
登場人物の一人であるパニュルジュは、船旅の途上で乗り合わせた羊商人に侮辱され、復讐を企みます。ならぬ堪忍を重ねた末に商人から羊を一頭買い取ることに成功し、それをそのまま海に投げ込む。つられた他の羊たちとそれを取り押さえようとした商人たちは、みな無惨にも溺れてしまう、というお話。
アリストテレス云々については、「動物誌」の当該箇所をご紹介しています。

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クロード・ロラン 「ヤコブとラバンとその娘たちのいる風景」

ひつじ話

「ヤコブとラバンとその娘たちのいる風景」 「ヤコブとラバンとその娘たちのいる風景」(部分)
クロードの風景画は近代の西洋風景画全体に広範な影響を及ぼした。
その画風ならびに理念は、イタリア絵画に継承されただけではなく、一般的にはむしろ17世紀オランダ風景画の自然主義を継承したとされるフランスのバルビゾン派の絵画から、大西洋の向こうアメリカのハドソン・リヴァー派の作品にまで反映されている。
だが、その影響がもっとも明確な形で現れているのは何といっても18世紀から19世紀にかけてのイギリス風景画であろう。

「エジプト逃避途上の休息」「パリスの審判」をご紹介しているクロード・ロランの「ヤコブとラバンとその娘たちのいる風景」です。
ヤコブとラバンと娘のお話は、ラファエッロの聖書などを。
引用にある「イギリス風景画」については、ゲインズバラの「羊飼いのいる山の風景」コンスタブル「麦畑」などをご参考にどうぞ。

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エルスハイマー 「洗礼者ヨハネと天使たちのいる聖家族」

ひつじ話

「洗礼者ヨハネと天使たちのいる聖家族」 「洗礼者ヨハネと天使たちのいる聖家族」(部分)
棕櫚の樹の傍らに座る聖母。その膝では、幼児イエスがヨハネと抱き合う。左手には司祭服をつけた天使と、犠牲の象徴である子羊。

アダム・エルスハイマーの「洗礼者ヨハネと天使たちのいる聖家族」です。

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カウナケス(続き)

ひつじ話

カウナケス
今日のイラク共和国を流れるティグリス河とユーフラテス河の流域を、両河の間という意味でメソポタミアと呼ぶ。
この地域は前6500年に農耕・牧畜を営む新石器時代に入り、前3000年には南部のバビロニアで文字をもつまでの文明に至った。
これが本格的な文明の段階に達したのが、シュメール人の初期王朝時代(前2900―2400)である。
出土品によれば、この時代の服飾はもっぱらカウナケスだが、これは素朴ながら、その後前4世紀のギリシアにまで及ぶ伝統をつくった衣服である。
マリの高官エビフ・イルの腰に巻かれているのがカウナケスの原初の姿で、本来は羊や山羊の毛の房をつけた毛皮だが、やがてこれを真似て粗毛ウールの束を重ねた布がつくられ、これが後々まで伝えられるのである。
カウナケスとは、つまり毛皮、もしくは毛皮を真似たウールの素材をさすことばである。

ずいぶん以前にご紹介したカウナケスについて、もう少し。
引用写真の左は、ルーヴル美術館蔵の「エビフ・イルの像」。右は大英博物館蔵「ウルのスタンダード」。カウナケスにマントをはおった兵士たちが並んでいます。ウルのスタンダードについては、シュメル文明のひつじたちのお話をしたときに触れています。

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『転身物語』より「百眼のアルグス」

ひつじ話

ユピテルの息子は、いそいで天の王宮を出て、地上に降りていった。
地上に着くと、帽子をぬぎ、足の翼をはずした。杖だけはそのまま手にして、牧人のすがたに身をやつし、辺鄙な野をとおって、途中であつめた羊の群を追い、葦笛をつくって吹きならした。
ユノにいいつけられた番人アルグスは、このめずらしい笛の音がひどく気に入って、「おまえが何者であるにせよ、ここに来て、おれといっしょに岩の上に腰をおろすがよい。どこへいっても、家畜たちにとってここほど草のたっぷりあるところはない。それに、おまえにも見えるように、羊飼いにとってはありがたい木陰もあるからな」といった。
アトラスの孫は、いわれるままに腰をおろし、よもやまの話をして、すぎゆく時間の流れをみたし、葦笛の旋律でこの番人の眼をなんとか眠りこませようとした。

「ピュタゴラスの教え」「ガラテイアとアキス」などをご紹介している「転身物語(変身物語)」より。
羊飼いに化けたメルクリウスが、百眼の巨人アルグスを眠らせて暗殺しようとする場面です。

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テオクリトス 「牧歌」

ひつじ話

エイデュリア 第一歌 テュルシス
テュルシス
甘くささやく松の木は、あそこの泉のほとり。
山羊飼よ、君の葦笛も甘くひびく。
君ならパーンの次に賞をもらえるだろう。
パーンが角生えた牡山羊をもらうなら、君には牝山羊。
神が牡山羊の賞を受けるなら、君には牝山羊だが、
乳をしぼる前の仔山羊の肉はうまい。
山羊飼
羊飼よ、君の歌は、あそこの岩の高みから
流れ落ちる水音よりも甘い。
ムーサイに羊が贈られるなら
君は仔羊を賞にもらう。ムーサイが
仔羊を好むなら、君は羊を連れてゆく。
テュルシス
山羊飼よ、ニンフたちにかけて、お願いだ。
あの岡のギョリュウの茂みに座って笛を聞かせてくれないかい。
そのあいだ、君の羊のめんどうはぼくがみる。

デューラーの細密画をご紹介したときに触れた、テオクリトスの「牧歌」です。
牧歌一般については、ウェルギリウス「牧歌」スペンサー「羊飼の暦」をご紹介しています。
さらに、イェイツ「幸せな羊飼いのうた」、シェイクスピアの「冬物語」「お気に召すまま」「ダフニスとクロエー」なども関連してくるかと。

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「走れメロス」

ひつじ話

メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。
メロスの十六の妹も、きょうは兄の代わりに羊群の番をしていた。
(略)
花嫁は夢見心地で首肯いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、
「仕度の無いのはお互いさまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ」

太宰治「走れメロス」です。
妹の結婚準備のために都まで来たはずなのに、気がつけば王の暗殺未遂犯として、親友を人質に3日で故郷と都を往復する羽目になる牧人メロス。上の引用は、明日の朝には別れを告げねばならない故郷での、妹たちへの台詞。妹と羊が同列らしいです。

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『転身物語』より「ピュタゴラスの教え」

ひつじ話

獣肉で食卓を賑わすことを非難したのも、かれが最初であった。
かれが最初に、学識のふかい言葉で(しかし、人びとはそれを信じようとはしなかったが)つぎのように主張したのである。
「(略)だが、羊たちはどんな罪をおかしたというのか。
おとなしい羊たち、おまえたちは、人間の生活を助けるためにうまれ、乳房には甘い乳をいっぱいにたたえ、おまえたちの毛はわれわれのやわらかな衣服となり、死ぬよりも生きていてこそ役に立つのではないか。
(略)
すべてのものは、たえず変転するが、なにひとつとして消滅するものはないのだ。
生命の息ぶきは、転々とめぐり、甲から乙へ、乙から丙へ移りゆき、つぎつぎに肉体に宿をもとめる。
動物のからだから人間の身体に移ることもあれば、人間の身体から動物のからだに居をかえることもある。」

先日来ひっぱっているトリマルキオンの饗宴「フィロゲロス」のお話に絡んで、羊肉食問答をもうひとつ。オウィディウス「転身物語」(「変身物語」)より、輪廻思想に基づいたピュタゴラスの主張です。

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「サテュリコン」(続き)

ひつじ話

「ところで」とトリマルキオンはつづけた。
「(略)だまっとる獣について言うと、いちばん精を出して働くのが牛と羊だ。
わしらは牛のおかげでパンを食べとる。
羊はその毛でもってわしらの身を飾ってくれる。
そこで誰かが羊の肉を食べ、おまけに羊毛を着るならば、そいつは不埒な狼藉者だよ。」

先日ご紹介したトリマルキオンの饗宴の続きです。「フィロゲロス」の「羊、牛、豚」と少し通じるものがあるかと。しかし、宴席の話題としてはかなり微妙ですね、これ。

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