羊、牛、豚
うつけ者が二人の友だちと議論する。
乳や羊毛をくれる羊を屠るのは間違っている、と一人が言えば、
もう一人も、乳を出し鋤を曳いてくれる牛を殺すのも良くないと言う。
そこでうつけ者、肝臓や乳房や子宮をくれる豚を殺すのも間違っている、と言った。
「フィロゲロス―ギリシア笑話集」より
中世ヨーロッパの窓ガラス
中世のプラスチック
中世には、動物の角が現代のプラスチックのように使われた。
安くて加工しやすかったからだ。
角を窓ガラスの代わりにするには、まず角を3か月間水につけて柔らかくし、平らに伸ばして薄くはがし、さらに光が透けて見えるようになるまで磨いた。
楽器や武器から眼鏡や歯磨き粉(しかも容器は羊の角!)まで、中世ヨーロッパの生活が一望できる、「ビジュアル百科」シリーズ「中世ヨーロッパ入門 」より。
当時のガラスは大変な貴重品でしたから、代替物があっただろうとは想像がつくのですが、それが羊の角だったとは。
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「祈りを捧げる少女時代の聖ジュヌヴィエーヴ」
手作りの十字架に向かって祈る少女の姿を見て、前景の樵は柴を置き、思わず帽子を取る。その妻は空いている手を祈るように差し上げる。奥の林でも男が一人、木に隠れるようにしてこの場面を見ている。
崖の下には群れから離れた黒い仔羊が一頭おり、文字どおり「迷える仔羊」を表している。
「ウィンスロップ・コレクション―フォッグ美術館所蔵19世紀イギリス・フランス絵画」
「夏」をご紹介したことのある、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの「祈りを捧げる少女時代の聖ジュヌヴィエーヴ」です。パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴの、羊飼いであったとされる少女時代の姿。
「サテュリコン」
その斬新な趣向がみんなの目を見張らせた。というのも、円形の盆の上に黄道十二宮の絵が配置され、その上に皿飾り職人がそれぞれの宮にふさわしい固有の素材で作った食物をおいていたのだ。
つまり、白羊宮の上に外形が牡羊の頭に似たエジプト豌豆。金牛宮の上には一片の牛肉。双子宮には牛の睾丸と腎臓。
(略)
このような安っぽい料理に、ぼくらはかなり失望した表情でいやいやとりかかろうとしたとき、トリマルキオンが言った。「いやでなかったら食べてくれ。それが宴会のしきたりだ」
こう言ったとき、四人の踊子が楽隊の調べに合せて足を踏み鳴らし駆けよると、運搬台の上の部分をとった。するとその下の台に、肥えた鶏と豚の乳房と、有翼神馬ペガソスと見てとれるように胴体に翼をつけた野兎が見つかった。
(略)
トリマルキオンは肘をついて上体を起こし、こう言ったのだ。
(略)
「先刻の料理であきらかになったように、わしに新しいことを教えられる者はおらんのだ。この天界は、そこに十二柱の神が住んでいるように、同じ数の十二の形象に変容する。まず天は白羊宮となる。するとその天象の下に生れた者はみんな、たくさんの羊と多量の羊毛を授けられ、その上に頑固一徹な頭と鉄面皮な額と鋭利な角を持つことになる。この天象の下に、多くの衒学者や屁理屈屋が生れるのだ」
先日古代ローマの羊料理をご紹介したのですが、せっかくなので、納得がいかないほうの古代ローマ料理も。たぶん、こういうののほうが一般的なイメージだと思うんですが。ペトロニウスの「サテュリコン」より、トリマルキオンの饗宴の場面です。
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
ある靴屋は仕事中にも市場をぶらつくことが好きだったので、あるときそのあいだにもオイレンシュピーゲルに皮を裁つよう命じました。
オイレンシュピーゲルはどんな形に裁ったらよいのかたずねたのです。
すると靴屋は「牧人が村から(家畜を)追い立てて行くときのように、大きいのと小さいのを裁つのだ」と答えました。
オイレンシュピーゲルは「ようがす」と返事をしました。
靴屋が出て行きますとオイレンシュピーゲルは、豚、雄牛、仔牛、羊、雌山羊、雄山羊など様々な家畜の形に皮を裁ったのです。
夕方になって親方は戻って来ると、職人が裁ったものを見ようとしました。
そして職人が皮を家畜の形に切り抜いたのを見たのです。
親方は怒ってオイレンシュピーゲルをどなりつけました。「お前は一体何をやらかしたんだ。わしの皮を使い物にならないように切り刻みやがって」。
オイレンシュピーゲルは答えました。「親方、あっしは親方のいうとおりにしたまでですぜ」。
中世ドイツの伝説的人物、ティル・オイレンシュピーゲルの物語から。凝った言い回しをしたがる親方と、遍歴職人オイレンシュピーゲルの愉快な(?)攻防。
他にも、織匠のもとで織工になり、羊毛を打って整えるのに「もっと高く(強く)」と指示されて、屋根の上で叩いたりもしています。
「酉陽雑俎」よりいろいろ
巻八 「夢 夢と夢占い」
許超が、羊を盗んで入獄した夢をみた。
元慎がいった。
「城陽の令を得ましょう」
その後、城陽侯に封ぜられた。
巻十一 「広知 俗信と物忌み」
獣は、尾のさきが二つに分かれ、鹿のような斑(まだら)があって、豹や羊に似、心(むね)にあながあるのは、ことごとく人を害する。巻十六 「広動植之一 動植物雑纂その一」
大尾の羊。
康居では、大尾の羊を産出する。尾のわきが広い。重さが十斤ある。続集巻四 「貶誤(へんご) 誤用をたどる」
いい伝えによると、徳宗〔李适〕が、東宮に行幸したとき、太子〔李誦。のちの順宗〕は、みずから、羊の脾(ひ)〔臓物の一〕をさいていて、水分で手がべとべとしたから、餅(ピン)でそれをふいた。
太子は、帝の表情がかわったことに気づいたが、あわてもせず、その餅を捲いて食べたのである。
唐代の随筆集「酉陽雑爼」から、いくつか引用。
夢の話の元慎は、北魏の人で夢判断の上手。同音の「陽」と「羊」がかけられています。
羊の脂を餅でふく話は、注によると、皇帝が食物の浪費だと不快に思うのを察した太子が手をふいた餅を食べる型の説話は、隋・唐代の野史によくある、とのこと。
「酉陽雑爼」には、他に、すでにご紹介済みの神羊の話や玄奘の見た西域の大羊の話なども含まれています。
古代ローマの羊料理
古代ローマ人は羊のことをペクスと呼び、自分の財産を羊の群れの規模ではかり、それを通貨の代用にしていた。
のちにローマで「通貨」を指したことばはペクーニアであった。
アピキウスは仔羊と仔山羊のレシピだけを記している。
仔羊または仔山羊のロースト
未処理の仔山羊または仔羊。肉に油と胡椒をこすりつける。
混じりけのない微粒子状の塩と大量のコリアンダーの種をふりかける。
オーブンに入れて焼いて供する。 (アピキウス 366)
あらかじめオーブンを摂氏240度に熱しておく。
仔羊を洗い、皮に切れ目を入れて、風味料が肉にしみいるようにする。
オリーブオイルをこすりつけてから、内側と外側に、挽いたコリアンダーの種と胡椒と塩を大量にふりかける。それから豚の大網膜で包む。
ロースト用の浅底鍋に脂を塗ってそのなかに仔羊を置くか、あるいは焼き串を仔羊に刺すかして、オーブンに入れて褐色に焼きあげる。
ときどきラードかオリーブオイルを塗りつける。
オーブンの温度を摂氏200度に下げて、重さ1キログラムにつき1時間の割合で焼きつづける。
肉からしたたりでる汁を定期的に塗りつける。
それが終わったらオーブンから取りだして、15分おいて落ちつかせる。
食堂で切り分ける。
古代ローマの料理ついて、歴史とレシピを概観することができる「古代ローマの食卓」より、羊料理のレシピを。
アピキウスはティベリウス帝の頃の美食家ですが、ここではその名にあやかった古代の料理書のこと。
古代ローマ人は、意外と、現代の我々にも納得のいくものを食べていたようです。
デューラー 「テオクリトスの『牧歌』のための扉絵細密画」
1495―96年、有名なヴェネツィアの出版社アルドゥス・マヌティウスのもとで刊行されたテオクリトスのギリシャ語版『牧歌』の第1ページを、デューラーは友人のヴィリバルト・ピルクハイマーとその夫人クレスツェンティアのために、グヮッシュと金のハイライトを用いる周縁細密画をもって飾った。
デューラーが描いたのは、書物の内容に相応しい牧歌的な羊飼いの生活である。
あけましておめでとうございます。今年も「ひつじnews」をよろしくお願い申し上げます。
さて、先日の「多くの動物のいる聖母子」に続いて、デューラーです。個人の蔵書のための装飾ですね。
ギルランダイオ 「神殿から追い出されるヨアキム」
「キリストの降誕」をご紹介したことのある、ドメニコ・ギルランダイオによる聖母マリアの生涯を描いた連作から、「神殿から追い出されるヨアキム」です。サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂。
後に聖母の父親となるヨアキムが、子に恵まれないことを理由に神殿への供物を拒否される場面です。絶望したヨアキムは荒野で羊飼いたちと暮らすようになるのですが、そのあたりは、以前ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画でお話したことがありますね。
クリスティーナ・ロセッティ 「シング・ソング童謡集」
On the grassy banks
Lambkins at their pranks;
Woolly sisters, woolly brothers,
Jumping off their feet;
While their woolly mothers
Watch by them and bleat.
くさの どてで
ちいさなこひつじたちが ふざけている
やわらかいけの しまいたち やわらかいけの きょうだいたちが
とびはねている
やわらかいけの おかあさんたちが
そばで みまもり メーとないている
「シング・ソング童謡集―クリスティーナ・ロセッティSING‐SONG A NURSERY‐RHYME BOOK訳詩集」
「White Sheep」をご紹介したことのある、クリスティーナ・ロセッティの童謡です。
ブリューゲル 「春」
《春》において、ブリューゲルは種蒔き、羊の毛刈り、耕地、アーケードの棚にブドウの蔓をはわせる作業など種々の労働を描く一方、小川のほとりで音楽を奏でながら愛を語りあうといった季節の楽しみをも描き込んでいる。
ピーテル・ブリューゲル下絵の版画、「春」。画面中景で羊の毛刈りが行われています。
ブリューゲル下絵の版画は、「良い羊飼いのたとえ」をご紹介しています。
「列子」天瑞篇
また羊の肝は「地皋(ちこう)」すなわち泥に変化し、馬の血は「転鄰(てんりん)」すなわち狐火となり、人の血は「野火」すなわち鬼火となる。
鷂(たか)は鸇(はやぶさ)となり、鸇(はやぶさ)は布穀(ふこく)〔よぶこ鳥〕となり、布穀は久しくたつとまた鷂となる。
また燕は蛤となり、田鼠(もぐら)は鶉となり、くさった瓜は魚となり、古い韭は「莧(けん)」すなわち藺草(いぐさ)となり、年老いた羭(くろひつじ)は猨(さる)となり、魚の卵は虫となる。
「列子」冒頭の天瑞篇、『万物はみな「機」より出て「機」に入り、変化転生する』より。
野ざらしの髑髏と向かいあって万物の流転について思索する場面なのですが、そのたとえのなかに聞き捨てならない一言が。羊が老いるとサルに……そうか、サルに。
屠羊之肆(とようのし)
「屠羊説は居處(きょしょ)卑賤なるも、陳義甚だ高し。子其れ我が為に之を延くに三旌の位(さんせいのくらい)を以てせよ」と。
屠羊説曰く、「夫れ三旌の位は、吾其の屠羊の肆より貴きを知るなり。萬鍾の祿(ばんしょうのろく)は、吾其の屠羊の利より富むを知るなり。
然れども豈以て爵祿を貪りて、吾が君をして妄施の名有らしむ可けんや。説敢て當らず。
願はくは復た吾が屠羊の肆に反らんことを」と。
遂に受けざるなり。
通釈
(王は)「屠羊説は、卑しい身分でありながら、その述べている義理は傑出している。そなたは、私のために、彼に三公の位を与えて召し出してくれ」
と頼んだ。しかし、屠羊説は、
「三公の位をいうものは、私もそれが羊を屠殺する店よりも貴いことを知っています。またその万鍾の俸禄が羊屠殺業の利益よりも多額であることも知っています。
しかし、それだからといって、私が爵位や俸禄を欲張り取って、我が大君にみだりに賞を与えたという悪名を被らせてよいものでしょうか。私はけっして三公の位の名誉に当たりません。
どうか私を羊屠殺の店に帰らせてください」
と言って、またまた辞退し、ついになんの恩賞も受けなかったのである。「全釈漢文大系17 荘子 下」
「荘子」譲王篇より、「ふさわしい分際」を意味する故事成語「屠羊之肆(屠羊説之義)」です。
敗戦による楚王の亡命に付き従った羊屠殺人の説は、王の復帰にともなって恩賞を受けることになりますが、元の職に戻れたことこそが賞である、国都の防衛や回復に働いたわけでもない、と辞退をくりかえし、元の肆(店)に戻る、というお話。
「荘子」からは、「読書亡羊」と、逍遙遊篇より羊角のお話をしています。
デューラー 「多くの動物のいる聖母子」
アルブレヒト・デューラーの「多くの動物のいる聖母子」です。アルベルティーナ版画素描館蔵。画面右手奥で、羊飼いたちが天使のお告げを聞いています。
デューラーは、「黙示録」より「子羊の崇拝」をご紹介しています。
群羊を駆りて猛虎を攻む
且つ夫れ従を為す者は、以て群羊を駆つて猛虎を攻むるに異なる無し也。
夫れ虎の羊における、格せざるや明らかなり矣。
今大王猛虎に与せずして、群羊に与す。
ひそかにおもへらく、大王の計過てり矣と。
通釈
また、そもそも合従を〔して、秦に敵対〕するということは、群羊を駆り立てて猛虎に攻めかかるのと異なるところがありません。
虎と羊とでは勝負にならないことは明らかです。
今、大王は猛虎と手を結ばずして群羊と仲間になっておいでです。
ひそかに、大王のはかりごとは過っておられると、考えております。
戦国策・楚策から、弱い者を集めて強者に対抗するという意味の故事成語、「群羊を駆りて猛虎を攻む」。
縦横家である張儀が、楚王に対して連衡策を説く場面で使われる表現です。
戦国策からは、他に「亡羊補牢」と、「中山君、都の士大夫を饗す」をご紹介しています。