ヴォルテール 「バビロンの王女」

ひつじ話

「では私の恋しいあの不思議な方の国というのはどこにありますの?
あの勇ましい方の名は何といいますの?
あの方の持っていらっしゃる国は何というところですの?
だってあの方が羊飼だなんて信じられませんもの、あなたが蝙蝠だと信じられないのと同じに。」
「(略)
あの人は自分の国の人々をあまり深く愛しています。
その人々と同じくあの人も羊飼なのです。
しかし羊飼というのがあなたの国の羊飼に似ているとお想いになってはいけません。
あなた方のはボロボロの破れ着物を引っかけて自分たちより遙かに上等な着物を持っている羊たちの番をして、貧乏の重荷を背負って呻き声を出し、主人から受取るあわれな賃金の半分を税絞りの男に払うのですから。
ガンガリードの羊飼たちは、みな生れつき平等で、いつも花の咲いている牧場を蔽うている無数の羊の主人なのです。
羊を殺すことは決してありません。

ヴォルテールの「バビロンの王女」より。
千夜一夜ふうの体裁をとった、同時代に対する風刺小説。上は、羊飼いを名乗る美青年の求愛を受けたバビロンの王女が、青年の友人である霊禽フェニクスに、その正体について尋ねる場面です。

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ジュール・ルナール 「にんじん」

ひつじ話

にんじんは、最初、もやもやした丸いものが、飛んだり跳ねたりしているのしかわからなかった。
それが、けたたましい、どれがどれやらわからない声を立てる。
学校の子供が、雨天体操場で遊んでいる時のようだ。
そのうちの一つが彼の脚の間へ飛び込む。ちょいと気味が悪い。
もう一つが、天窓の明りの中を躍り上がった。仔羊だ。
にんじんは、怖かったのがおかしく、微笑む。
目がだんだん暗闇に慣れると、細かな部分がはっきりしてくる。

「博物誌」をご紹介している、ジュール・ルナールの「にんじん」から、「羊」の章を。

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「牧師さんの羊を盗んだ男」

ひつじ話

まい年クリスマスになると、よく肥えた羊を盗むことにしている男がいた。
ある年のクリスマス、男は牧師さんの羊を盗み、十二、三歳になるその男の息子は村じゅう歌ってまわった―
うちの父ちゃん、牧師さんの羊を盗った
おかげてうちじゃ楽しいクリスマス
プディングだって肉だって食べほうだい
でもこいつはないしょ、ひみつの話
ところがある日、牧師さん本人がこの歌を聞いてしまった。
「坊や、なかなか歌がうまいね。この次の日曜の夜、教会へ来て、今のを歌ってくれないかね?」

「イギリス民話集」の「こっけいな話」の章から。偽善者の牧師さんがひどいめにあうお話です。この坊やが教会で歌った歌は、もちろん羊を盗んだ歌ではなくて……。

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ピーテル・ブリューゲル 「子どもの遊戯」

ひつじ話

「子どもの遊戯」 「子どもの遊戯」(部分)
お手玉遊び Bikkelen
このお手玉は解剖学的にみると、羊(子牛や豚でもよい)の足根骨として分類される七つの骨の一つ、距骨である。
骨は脂肪分を抜くためソーダで煮たり、ときには玉ねぎの皮で着色することもあった。

ピーテル・ブリューゲルの「子どもの遊戯」を丹念に検証した「ブリューゲルの「子供の遊戯」―遊びの図像学」から、画面左下すみの「お手玉遊び」について。
羊などの足の骨を使ったお手玉の歴史が、古代トラキアトロイア戦争のエピソード、ローマ軍の遠征による伝播、ポンペイの壁画等々を例に詳細に語られています。
同著者による「ブリューゲルの諺の世界」も、あわせてぜひ。

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『変身物語』より 「ガラテイアとアキス ポリュペモス」

ひつじ話

『あんたの額の真ん中の一つ目は、オデュッセウスにつぶされるだろう』
ポリュペモスは、からからと笑っていいます。
『このうえなく愚かな予言者よ、きさまのいうことは間違っている。
この目はとっくにつぶれているのだ―さる女の美しさを拝んでな』
(略)
荒くれた一つ目の巨人はこの丘に登って、ど真ん中に腰をおろしました。
毛の長い羊たちも、誰に追われるともなく、あとへついて来ています。
(略)
『ガラテイアよ、お前は雪のようなもくせいよりもなお白く、牧場よりも華やかだ。
(略)
ここにいる羊は、すべてがわたしのものだ。
ほかにも、谷間をうろついているのがたくさんいる。
森陰にひそんでいるのも多いし、洞穴のなかに囲われているのも多い。
ひょっとしてたずねられても、いったい何頭がいるのかを答えることは、わたしにもできないだろう。

オウィディウス「変身物語」から、一つ目の巨人の悲恋と、彼の横恋慕のために破滅した恋人たちのエピソードを。
巨人ポリュペモスは羊飼いで、美女ガラテイアに対する求愛の台詞によれば、多くの羊を所有しているようです。
この羊たちが、後々、オデュッセウスを助けることになるわけですが、それはまた別のお話。
「変身物語」関係では、他に、「イアソンとメデア」の金毛の羊や、ブリューゲルの「イカロスの墜落のある風景」などをご紹介しています。

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トルコの民話 「毛皮娘」

ひつじ話

王女は、子羊の皮をもらって、それをかぶりました。
王女は、地面を這いながら、城からはなれていきました。
途中で、いくつもの森を通りました。
森には、おおかみや野獣がいて、なん度も、あぶないめにあいました。
そんなふうに、長いこと歩いていくと、やっと、ある町に着きました。
(略)
毛皮娘は、お城の中に、だれも残っていないのがわかると、羊の皮を脱いで、黄色い服を着て、パーティがおこなわれている庭へ行きました。
娘は、庭のすみに隠れて、すわりました。
けれども、娘はとても美しかったので、若い王子の目を引きつけました。

 「シルクロードの民話 アラビア・トルコ」 

アラビア・トルコの民話集から。
父王の求婚から逃れるために羊に化けた王女の顛末。「千匹皮」とか「鉢かづき」とか、お姫様が妙なものに身をやつすお話は世界中にあるようですが、この王女の行動力はイランの亡命者並みにお姫様離れしています。

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犠首饕餮文尊

ひつじ話

犠首饕餮文尊 犠首饕餮文尊(部分)

 「白鶴美術館名品選」 

ひさしぶりに殷周青銅器を。白鶴美術館蔵の犠首饕餮文尊(殷時代)です。肩のあたりに羊らしき犠首が。
白鶴美術館の所蔵品のことは一年前にご紹介してるのですが、今年もまた秋期展が開かれています。

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「White Sheep」

ひつじ話

White Sheep
White sheep, white sheep
On a blue hill.
When the wind stops
You all stand still.
When the wind blows
You walk away slow.
White sheep, white sheep,
Where do you go?
白いヒツジ、白いヒツジ
青い丘の上
風がやむと
みんなじっと動かない
風が吹くと
ゆっくりゆっくり動きだす
白いヒツジ、白いヒツジ
みんなどこへ行くの?

昨日に続いて、「英米童謡集」から、クリスティーナ・ロセッティの「White Sheep」」です。羊雲のうたですね。

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「Little Bo-Peep」

ひつじ話

Little Bo-Peep
Little Bo-Peep has lost her sheep,
And doesn’t know where to find them;
Leave them alone, and they’ll come home,
Bringing their tails behind them.
ボー・ピープちゃん ヒツジがどこかへ行ってしまった
どこにいるのかわからない
ほっておきましょ きっと帰ってくるでしょう
しっぽをちゃんとくっつけて

マザーグースの「リトルボーピープ」です。
「Bo-Peep」とは子供をあやすときに言う「いないいないばあ」のこと。
童謡の世界は羊の宝庫のはずなのに、あまりお話したことがありませんね。「メリーさんの羊」と、「バァ、バァ、ブラックシープ」をご紹介してるだけ……かな?

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「きつね物語」

ひつじ話

「きつね物語」
王様はすぐに雄羊のベリンを呼びにやり、ベリンが来ると言いました。
「ベリン殿、レナルドがな、巡礼に出かけるによって、彼のためにミサを行い、それから巡礼袋と杖を授けてはくれんか。」
雄羊が答えて言うに「我が君、私にはそんな大それたことはできません。彼は法王から破門を受けていると自ら明したばかりではありませんか。」
(略)
王様は重臣たちと宮殿にいた。王様は驚いた。何と、熊の皮で造った巡礼袋をベリンが持ち帰ったではないか。
王様が「どうした、ベリン。そちはいずくから参った。狐はどこにおる。奴の頭陀袋を持っているとはどういうわけか。」
ベリンが「我が君、知る限りのことを申し上げます。私はレナルドの家までついて行きました。旅立ちの用意ができると、彼は二通の手紙を陛下に届けてはくれぬかと頼みました。陛下のおためなら喜んで五通でも届けましょうと私が申しましたら、この巡礼袋を持ってきました。」
(略)
豹のフィラペルはそれから牢獄へ行き、まず両人を解き放ってからこう言いました。
「(略) ですから、あなた方は申し分のない約束と補償をいただけます。
陛下は、将来に渡って御両所に雄羊ベリンとその一族のものを差し与え、野原、森林構わず見つけ次第、噛むも食らうも勝手放題、何のお咎めも無しとされました。(略)」
(略)
狼の一族は王様から授かったこの特権を守り、今日に至るまで、見つけ次第ベリンの一族を遠慮なく食べております。

中世ヨーロッパに流布した動物物語である、悪知恵に長けた狐を主人公とする「狐物語」の、15世紀の英訳版から。
ライオンを王とする動物たちの宮廷で、司祭の雄羊ベリンは悪狐レナルドに恨まれて陥れられます。
やはりレナルドのために牢獄に入れられていた狼と熊に食われる羽目になってしまうのですが、どうやら今でも、その特権は有効のようです。あんまりな。

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『源平盛衰記』より「維盛入道熊野詣附熊野・大峰の事」

ひつじ話

一夜通夜し給ひて、祈誓は本宮に同じ事、翌日は明朝香・神の蔵に暫く念誦し給ひて、那智へぞ参り給ひける。
佐野の浜路に着き給へば、北は緑の松原影滋く、南は海上遙かに際もなし。
日数の移るに付けても、あた命の促(つづま)るほど、屠所の羊の足早く、心細くぞおぼしける。

 「新定 源平盛衰記 第五巻」 

源平盛衰記巻第四十より、「維盛入道熊野詣附熊野・大峰の事」の一節です。
敗軍の将である平維盛が、入水を思いながら熊野詣でをする心境が、「屠所の羊」にたとえられています。
日本における「屠所の羊」や「羊の歩み」のイメージについては、「砧」幸田露伴「羊のはなし」「源氏物語」など「十二類絵巻」でお話しています。

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ジュール・ルナール 「博物誌」

ひつじ話

羊たちは道じゅうを占領し、両側の溝にはさまれて波うち、道からあふれ出る。
そうかと思うと、道にぎっしりすしづめに集まって、ふっくりしたひとかたまりになり、ばあさん連のやるみたいな小きざみな足どりで、地べたを踏んで進む。
いったん駆けだしはじめると、無数の脚が葦の葉が鳴るような音をたて、道に積もった土ぼこりの層は、はちの巣みたいに穴だらけになる。

ジュール・ルナールの「博物誌」より、「羊」です。
「博物誌」は、身近な動物たちが簡潔かつ的確に、かつ愛情こめて表現された、味わい深い短編集です。

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今昔物語集 「京兆の潘果、羊の舌を抜きて現報を得る語」

ひつじ話

家に帰る間、潘果(はんか)、見れば一の羊、牧人の為に遺さ被て(のこされて)独り草を食して立てり。
(略)
潘果、羊の音(こえ)を人の聞かむ事を懼れて、忽(たちまち)に其の羊の舌を抜き捨てつ。
然れば羊、音無くして家に帰りぬ。夜に至りて此を殺して煮て食しつ。
其の後、一年を経て、潘果が舌、漸くかけ落ちて遂に消え失せぬ。
然れば潘果、陳牒して職を罷る。

「震旦韋慶植、殺女子成羊泣悲語」をご紹介したことのある、今昔物語集巻九より第廿三話、「京兆の潘果、羊の舌を抜きて現報を得る語(ものがたり)」です。
羊を盗み、鳴かないように舌を抜いて、食う、という三重の罪を犯した若者に下りた報いは、自分の舌を失うことでした。さて、罪を悔いた潘果はどうしたか?
先日お話した「羊炙(ひつじのしゃ)」と似た、因果応報談ですね。

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フローベール 「紋切型辞典」

ひつじ話

羊飼い〔berger〕   羊飼いはみんな魔法使い。
  聖母マリアと言葉を交わせるという特技を持っている。※
  ※ マリア信仰が高まった十九世紀には、ルルド、ラ・サレットなどで聖母マリアが顕現するという奇蹟が何度も起こり、その際、聖母の姿を目にしたのはしばしば羊飼いの少年少女だった。

ギュスターヴ・フローベールのパロディ辞典「紋切型辞典」から。
内容や表現の「紋切型」感そのものが揶揄の対象になっているのがポイント。
現代日本人にとっては、むしろ、19世紀フランス人の常識を知る手がかりとして重宝です。
羊飼いは、やはり相当あやしげなもの扱いされていたようですね。
この羊飼いのイメージについては、ミレーの伝記や、ジュール・ヴェルヌの「カルパチアの城」アルフォンス・ドーデーの「星」をご紹介したときに触れています。
あと、ファンタジー小説内の設定ながら、「狼と香辛料」のノーラは、たぶんこうしたイメージから作られたキャラクターなのではないかと。

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シャガール 「イサクの犠牲」

ひつじ話

「イサクの犠牲」 「イサクの犠牲」(部分)
神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭(はんさい)としてささげなさい」。
(中略)
そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使いが天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
み使いが言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

旧約聖書 創世記 第22章

「ノアの犠牲」をご紹介しているマルク・シャガールの聖書のシリーズから、「イサクの犠牲」を。
兵庫県立美術館で10月15日(水)まで開催されているシャガール展で、現物が見られるようです(と言いつつ、ひつじnewsはまだ行ってません……)。ぜひー。
「イサクの犠牲」テーマについては、シャルトル大聖堂の人像円柱などをご紹介しています。

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