昨日の「フォンテーヌブローの森の羊飼いと羊」に続いて、ジャン=フェルディナン・シェノーをもうひとつ。「羊飼い」です。
ジャン=フェルディナン・シェノー 「フォンテーヌブローの森の羊飼いと羊」
「夕暮れ」、「川のそばの羊飼い」、「バルビゾンの羊飼い」をご紹介している、ジャン=フェルディナン・シェノーの「フォンテーヌブローの森の羊飼いと羊」です。
『捜神後記』より 「羊炙(ひつじのしゃ)」
そのとき一人の僧が座にいた。世俗の修行僧である。
主人が一頭の羊を殺そうとすると、羊は縄を断ち切ってすぐさま逃げ出した。
身を投げ出してこの僧の膝の中に入り、頭の先を袈裟の下に突っ込んだ。
道人には救うことができなかった。
(略)
道人は焼き肉を飲み込んだが、焼き肉が皮の中を通っていくのを感じた。
ひどく痛んで我慢できない程だった。
(略)
そうして僧は病になり、とうとう羊の鳴き声をあげ、泡をふいた。
寺に帰り、暫くして亡くなった。
「幽霊を売った男」などをご紹介したことのある捜神記には、後編と呼ぶべき「捜神後記」が存在します。
この「捜神後記」から、「羊炙(ひつじのしゃ)」を。自分に助けを求めた羊を食ってしまった僧の身に起こった不幸とは。
エル・グレコ 「聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子」
エル・グレコの「聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子」です。右下に羊を抱いた聖アグネスが。
聖アグネスを描いたものとしては、フラ・アンジェリコ「聖母戴冠」、ファン・エイク兄弟のヘント祭壇画、アンドレア・デル・サルト「聖女アグネス」を、これまでにご紹介しています。
『千一夜物語』より 「羊飼いと乙女」
語り伝えますところでは、昔回教国の山々のうちのある山に、非常な知恵と熱烈な信仰とを授けられた、ひとりの羊飼いの男がおりました。
この羊飼いはおのが運命に安んじ、自分の羊の群れからとれる、乳と毛のもので暮らして、安らかな隠遁の生活を送っておりました。
そしてこの羊飼いは、自分のうちには、なみなみならぬ柔和さ、自分の上には、なみなみならぬ祝福を持っていたので、野獣どももけっして彼の羊は襲わず、この人自身をもいたく敬って、遠くから姿を見かけると、叫び声とほえ声で、これに挨拶をするほどでございました。
こうしてこの羊飼いは世界じゅうの町々に起こることなどほとんど気にかけずに、こうして長いあいだ暮らしつづけたのでございます。
マルドリュス版千一夜物語の第147話より、「羊飼いと乙女」の冒頭部分です。
千一夜物語からは、「荷かつぎ人足と乙女たちとの物語」と「羊の脚の物語」をご紹介しています。
カビールの神話 「羊ができたわけと一年のくぎり」
人間の一番はじめのお母さんが、あるとき手臼で麦粉をひいて、それを水でこねて、そのこねたものを雌の羊の形にした。
人間の一番はじめのお母さんは、両手におなべのすすをつけていた。
だから、その羊の頭は黒く、体と首と脚は白くなってしまった。
それからこのねり粉の羊を、石臼の横にあった麦のからの中に置いた。
それは大麦のからで、風によって実と選りわけられたものだった。
この大麦のからはすぐねり粉の羊にくっついて、綿毛になった。
ベルベル人の一部族、カビール族の神話「羊ができたわけと一年のくぎり」の冒頭部分です。
シャガール 「ノアの犠牲」
マルク・シャガールによる「聖書」の挿絵より、「ノアの犠牲」です。
シャガールは「ダフニスとクロエー」を、
「ノアの犠牲」というテーマについては、バチカン美術館のラファエッロの天井画とシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画をご紹介しています。
クロード・ロラン 「エジプト逃避途上の休息」
クロード・ロランの「エジプト逃避途上の休息」です。エルミタージュ美術館蔵。
「エジプト逃避」とは、嬰児キリストがヘロデ王から逃れてエジプトへ向かう、マタイ福音書の記述がもとになったテーマ。以下に引用します。
見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
新約聖書 マタイによる福音書 第二章
なお、クロード・ロランは、「パリスの審判」をご紹介しています。
アイルランドの民話 「黒い子羊」
(略)
ある暗い晩のこと、女が手おけ一杯の煮え湯を、注意しろとも言わずにいきなり撒いたのです。
即座に、まるで人が苦しんででもいるかのような叫び声が聞こえましたが、何の姿も見えませんでした。
しかし次の晩、背中全体が焼けただれた黒い子羊が家の中にはいってきて、暖炉のそばに呻きながら横たわり、それから死んだのです。
というわけで、これはその女にやけどを負わされた霊なのだと誰もが思い、死んだ羊を丁重に表に運び出し、それを地中に深く埋めました。
それでも毎晩、同じ時刻になると羊がまた家にとことこと入ってきて、横たわり、呻き、死ぬのでした。
(略)
ウィリアム・バトラー・イェイツの編纂によるアイルランド民話集より。
イェイツは、「幸せな羊飼いのうた」をご紹介しています。
シャルル・フランソワ・ドービニー 「夜明けの羊舎」
バルビゾン派の主要な一人、シャルル・フランソワ・ドービニーの「夜明けの羊舎」です。
バルビゾン派のおだやかな羊風景は、これまでに、シャルル=エミール・ジャック、コンスタン・トロワイヨン、ジャン=フェルディナン・シェノー、ジュリアン・デュプレ、そしてもちろんジャン=フランソワ・ミレーなどをご紹介しています。
羊頭付きリュトン
前一千年紀前半
土器 長……28.2 径……17.5
角の大きな羊はペルシャの王権の象徴とされる。
このリュトンは王の酒杯だったのであろうか。「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝」展図録
先日のクシャノ・ササン朝のコインに続いて、古代イランの羊をもうひとつ。コルデスターン州出土のリュトン(酒杯)です。
リュトンは、同じく「ペルシャ文明展」図録から、金製のものと銀製のものをご紹介しています。
クシャノ・ササン朝のコイン
雄羊角に蓮華(アザミ?)の花を戴く冠を被っている。
クシャノ・ササン朝はササン朝ペルシアのいわば分家で、ゾロアスター教を信じるイラン系遊牧民である。
雄羊(イラン高原に生息していた野生のムフロン羊)は、ゾロアスター教の勝利の神の化身である。
また、王権、財産、吉祥のシンボルでもあり、雄羊文は織物、スタンプ印章、銀皿などに多用された。
この伝統は中央アジア、中国を経て、正倉院の「羊木臈纈屏風」にまでつながる。
クシャノ・ササン朝(4世紀前半)の金貨です。頭に巻き角が。
ムフロン羊の文様についてはこちら、ゾロアスター教の戦勝神についてはこちらをご参照ください。
アールト・デ・ヘルデル 「神殿の入口」
レンブラントの弟子として知られるアールト・デ・ヘルデルの「神殿の入口」です。
ロベール・カンパン 「寄進者ヴェルルと洗礼者ヨハネ」
15世紀ネーデルラントの画家ロベール・カンパンによる三連画の左翼部分。洗礼者ヨハネが子羊を抱いています。